2017年08月07日

理想のタイトル

ビフォーの本質と、
アフターの本質を、
両方兼ね備えていること。


タイトルをつけるのは大変難しい。

ヒキが強い、キャッチーであることは重要だ。
それには、言葉としてのキャラが立っていなければならない。
言葉がただ派手ならいいわけではない。
それの表す意味、つまり概念そのものが新しいものであるのが理想だ。

その言葉が現れる以前にその考え方はなかったが、
その言葉を知った瞬間(それが表す意味を理解したとき)、
もはやそれなしではその概念を表せないもの、
が理想である。

それこそ、新概念新登場かつキャッチーである。

さらに理想は、時代を変える流行になるのが理想で、
セカンドベストは、皆が唸るようなものである。

(ラノベでは長いタイトルが流行っているが、
僕はこれは誤りだと考えている。
そうやって説明しなければいけないということは、
おおむね同じものの微細な差異を説明しているからだ、
と僕は想像する。
おおむね同じものとは、ラノベ的なもの、といえる。
つまりアニメやゲームの世界観をベースにしたもので、
メアリースー願望をうまく叶えるものであり、
現実に即したものとは異なる、ゲーム的ファンタジーの地続き、
という感じのものだ。
僕の認識が間違っていたら正してください)



で、本題。

そのタイトルは、ビフォーの本質が必要だと思う。
つまり、見る前から目立つキャラを持つということは、
それが期待誘因になるということ。
「そういう新しい世界が待っている」と期待させるものだということ。
もちろん、
Aなる主人公が逆のBに出会い、Cする、
あるいはCすることが出来るか、
なんてログライン式やビフォー式を使ったものでもいいし、
そこに関係ない新しい言葉をポンと置いてもよい。

たとえば「ジュラシック・パーク」は、
その概念自体が全く新しいものであった。
「恐竜を甦らせ、サファリパークのように回る」という新しさは、
「恐竜をCGという新技術で作る」という映像技術と、
不可分な見世物である。
だからこれはビフォーに振り切ったタイトルである。
見世物小屋のタイトルだ。
「怪奇蛇女」と同じ本質である。
(スピルバーグは、見世物小屋を作るのが大変うまい)

それが見世物小屋である限りは、
タイトルはビフォーに振り切る手もある。
僕が常に批判する「シンゴジラ」も、
ビフォーに振り切ったタイトルで見世物小屋で、
だから批判している。
じゃあ「ジュラシック・パーク」との違いは?
シンゴジラが30年遅れて、初めて見た絵じゃなかったことだ。
あれが30年前に新技術CGで作っていれば、
パイオニアとして尊敬した。

新しいものを作るには、パイオニアでなければならない。

つまり見世物小屋としての鮮度が古いから、
僕はシンゴジラに、
見世物小屋以上のものに期待するわけだ。
(それがなかった)


ビフォーの本質だけでは、映画にならない。
なぜなら、映画とは、変化によってテーマを語るからである。
変化前と変化後を並べて、
その差異がテーマに落ちるものである。
それが物語だ。
(つまりシンゴジラは、主人公になんの変化もないので、
物語ではなく事件録、見世物小屋にすぎない。
人々が自信を取り戻した、という物語なら、
主人公も自信を取り戻して終わるべきだ。
「チャンスのないオタクがチャンスを与えられ、
望み通りの活躍をした」では、その人自身になんの変化も起こっていない。
ルサンチマンが解消されただけである)


そして、
アフターの本質すら、
タイトルに入っているのが理想である。
それはネタバレを避けるなら、
暗示の形がちょうどよい。

「ジュラシック・パーク」も「シンゴジラ」も、
ビフォーしかなく、アフターの本質が入っていない。
そもそもアフターの本質なる変化もないから、
つけようもないからね。


ここでそうなっているタイトルを並べたいのだが、
なかなか思い出せない。

そもそもこの記事を書こうと思ったのが、
昨日書いたプロットを「狼が見ていた」とタイトルをつけて、
冒頭とラストに狼が見ている意味をつけたことで、
話のテーマに落とせたことで、
ひとつの発見をしたと思ったからだ。


逆に、アフターに振り切って、
謎のタイトルをずっと前ふっている作品もある。
最後の方で、
そういう意味のタイトルだったのか、
と全てが氷解するやつもある。
「ツイン・ピークス」は見てないけどそういう予感がする。
「ソウ」は、英語だとSAWで、二つの単語の掛詞なのだが、
うまいことビフォーとアフターになってると思う。
(見てない方のためにこれ以上は書けない)
この見事さは、確かに邦訳できねえよな、と思った記憶がある。

「マトリックス」は謎過ぎるタイトルだが、
デジタル仮想世界の事をマトリックスというだけか、
とガッカリした記憶がある。
数学的な行列の意味とか、番号付けの一対一対応とか、
そういうのがテーマになり、
なるほど仮想世界のことと、テーマのこと両方を意味していたのか、
になってれば完璧だったよね。


かつては、あまり知らない現象でキャッチーなものを、
タイトルにつけることがあった。
「カッコーの巣の上で」なんてのだ。
カッコーの託卵にひっかけたタイトルなのだが、
ちょっとインテリに見えたもの。
ちょっと前はシュレディンガーとか二重性とかパラレルとか、
量子力学のワードがよく入ったように思う。

しかしこれも検索できるようになってしまった現代では、
あんまりインテリ臭を出せないので、
避けた方がいいかもね。
(今しばらくは、ディープとか機械学習とかAIは入りそうだけど)



そういう意味で、
なかなか完璧なタイトルをつけるのは難しい。
難しいなら、それを避けて上に書いたようなパターンを考えてもいい。

そのストーリーの本質はなにか?
ビフォーとアフターでまるで変わる。

それを想定してタイトルがついてると、
「分かってるなあ」ってなるものだ。

なかなかそういうのには巡り会えないのは、
やはりそこまで完璧な形になるのは、
難しいからではないかと思う。

ビフォーの本質が面白く、キャッチーで、新しい概念を提出し、
それがアフターでがらりと変わり、深いものが残るもの。
それが理想。

そもそもそういう風に脚本を書けなければ、
ビフォーとアフターの本質をダブルに重ねたタイトルは、
作れないかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 10:45| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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