ビフォーの本質と、
アフターの本質を、
両方兼ね備えていること。
タイトルをつけるのは大変難しい。
ヒキが強い、キャッチーであることは重要だ。
それには、言葉としてのキャラが立っていなければならない。
言葉がただ派手ならいいわけではない。
それの表す意味、つまり概念そのものが新しいものであるのが理想だ。
その言葉が現れる以前にその考え方はなかったが、
その言葉を知った瞬間(それが表す意味を理解したとき)、
もはやそれなしではその概念を表せないもの、
が理想である。
それこそ、新概念新登場かつキャッチーである。
さらに理想は、時代を変える流行になるのが理想で、
セカンドベストは、皆が唸るようなものである。
(ラノベでは長いタイトルが流行っているが、
僕はこれは誤りだと考えている。
そうやって説明しなければいけないということは、
おおむね同じものの微細な差異を説明しているからだ、
と僕は想像する。
おおむね同じものとは、ラノベ的なもの、といえる。
つまりアニメやゲームの世界観をベースにしたもので、
メアリースー願望をうまく叶えるものであり、
現実に即したものとは異なる、ゲーム的ファンタジーの地続き、
という感じのものだ。
僕の認識が間違っていたら正してください)
で、本題。
そのタイトルは、ビフォーの本質が必要だと思う。
つまり、見る前から目立つキャラを持つということは、
それが期待誘因になるということ。
「そういう新しい世界が待っている」と期待させるものだということ。
もちろん、
Aなる主人公が逆のBに出会い、Cする、
あるいはCすることが出来るか、
なんてログライン式やビフォー式を使ったものでもいいし、
そこに関係ない新しい言葉をポンと置いてもよい。
たとえば「ジュラシック・パーク」は、
その概念自体が全く新しいものであった。
「恐竜を甦らせ、サファリパークのように回る」という新しさは、
「恐竜をCGという新技術で作る」という映像技術と、
不可分な見世物である。
だからこれはビフォーに振り切ったタイトルである。
見世物小屋のタイトルだ。
「怪奇蛇女」と同じ本質である。
(スピルバーグは、見世物小屋を作るのが大変うまい)
それが見世物小屋である限りは、
タイトルはビフォーに振り切る手もある。
僕が常に批判する「シンゴジラ」も、
ビフォーに振り切ったタイトルで見世物小屋で、
だから批判している。
じゃあ「ジュラシック・パーク」との違いは?
シンゴジラが30年遅れて、初めて見た絵じゃなかったことだ。
あれが30年前に新技術CGで作っていれば、
パイオニアとして尊敬した。
新しいものを作るには、パイオニアでなければならない。
つまり見世物小屋としての鮮度が古いから、
僕はシンゴジラに、
見世物小屋以上のものに期待するわけだ。
(それがなかった)
ビフォーの本質だけでは、映画にならない。
なぜなら、映画とは、変化によってテーマを語るからである。
変化前と変化後を並べて、
その差異がテーマに落ちるものである。
それが物語だ。
(つまりシンゴジラは、主人公になんの変化もないので、
物語ではなく事件録、見世物小屋にすぎない。
人々が自信を取り戻した、という物語なら、
主人公も自信を取り戻して終わるべきだ。
「チャンスのないオタクがチャンスを与えられ、
望み通りの活躍をした」では、その人自身になんの変化も起こっていない。
ルサンチマンが解消されただけである)
そして、
アフターの本質すら、
タイトルに入っているのが理想である。
それはネタバレを避けるなら、
暗示の形がちょうどよい。
「ジュラシック・パーク」も「シンゴジラ」も、
ビフォーしかなく、アフターの本質が入っていない。
そもそもアフターの本質なる変化もないから、
つけようもないからね。
ここでそうなっているタイトルを並べたいのだが、
なかなか思い出せない。
そもそもこの記事を書こうと思ったのが、
昨日書いたプロットを「狼が見ていた」とタイトルをつけて、
冒頭とラストに狼が見ている意味をつけたことで、
話のテーマに落とせたことで、
ひとつの発見をしたと思ったからだ。
逆に、アフターに振り切って、
謎のタイトルをずっと前ふっている作品もある。
最後の方で、
そういう意味のタイトルだったのか、
と全てが氷解するやつもある。
「ツイン・ピークス」は見てないけどそういう予感がする。
「ソウ」は、英語だとSAWで、二つの単語の掛詞なのだが、
うまいことビフォーとアフターになってると思う。
(見てない方のためにこれ以上は書けない)
この見事さは、確かに邦訳できねえよな、と思った記憶がある。
「マトリックス」は謎過ぎるタイトルだが、
デジタル仮想世界の事をマトリックスというだけか、
とガッカリした記憶がある。
数学的な行列の意味とか、番号付けの一対一対応とか、
そういうのがテーマになり、
なるほど仮想世界のことと、テーマのこと両方を意味していたのか、
になってれば完璧だったよね。
かつては、あまり知らない現象でキャッチーなものを、
タイトルにつけることがあった。
「カッコーの巣の上で」なんてのだ。
カッコーの託卵にひっかけたタイトルなのだが、
ちょっとインテリに見えたもの。
ちょっと前はシュレディンガーとか二重性とかパラレルとか、
量子力学のワードがよく入ったように思う。
しかしこれも検索できるようになってしまった現代では、
あんまりインテリ臭を出せないので、
避けた方がいいかもね。
(今しばらくは、ディープとか機械学習とかAIは入りそうだけど)
そういう意味で、
なかなか完璧なタイトルをつけるのは難しい。
難しいなら、それを避けて上に書いたようなパターンを考えてもいい。
そのストーリーの本質はなにか?
ビフォーとアフターでまるで変わる。
それを想定してタイトルがついてると、
「分かってるなあ」ってなるものだ。
なかなかそういうのには巡り会えないのは、
やはりそこまで完璧な形になるのは、
難しいからではないかと思う。
ビフォーの本質が面白く、キャッチーで、新しい概念を提出し、
それがアフターでがらりと変わり、深いものが残るもの。
それが理想。
そもそもそういう風に脚本を書けなければ、
ビフォーとアフターの本質をダブルに重ねたタイトルは、
作れないかも知れない。
2017年08月07日
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