キャラクターを先に練ってしまうと、
プロットが進まないことが、まれによくある。
キャラクターが出来れば出来るほど、
新しいシチュエーションを与えると、
勝手に喋り出したり、
勝手に動き始めて、ストーリーが転がることがよくある。
特に、
一人だけでなく複数のキャラクターが出来ているときは、
この傾向は顕著だ。
いつもの漫才をしながら、
あるいはいつもの絶妙なコンビぶりを見せながら、
新しいシチュエーションに突っ込みを入れたり、
あれはこうではないかと予測し始めたりする。
あまつさえ、勝手に行動をはじめたり、
誰かに連絡を取り始めることもある。
下手をすると、
プロットを書いているはずなのに、
彼らの台詞で埋め尽くされて行く。
これは、とてもよくあることだ。
逆に、そこまで自動化されないと、
キャラクターが生き生き動くのを、
描くことすら出来ない。
だが、プロットを書くときにはこれは間違っている、
と釘を刺しておく。
単純に考えよう。
プロットとは、時間の圧縮である。
120ページの話を5ページとか1ページに圧縮しようとしている。
つまり、実際の時間軸ではなく、
全体を俯瞰する目線で書かなければならない。
ところが、キャラクターの反応や喋り出すことは、
そのストーリーの時間軸のままだ。
圧縮して行動するわけでなく、
リアルタイムの反応なのだ。
だからこれはプロットではない。
キャラクターの目線に降りると、俯瞰が出来なくなる。
つまり、キャラクターが勝手に動き出すことは、
あなたが俯瞰から見るのを邪魔し、
圧縮していない地平に強制的に縛り付けてしまうのだ。
ストーリーを考えるとき、
「このキャラだったらどうするだろう」と考えて、
次の展開を想像することはよくある。
というか、次の展開を考えることは、
キャラクターの行動(主人公だけでなく、
敵や味方や第三者や世間などの、
意思を持つ全ての人)と、
その順番と結果を考えることに等しい。
あと偶然何が起こるかを多少付け加える程度かな。
だから、
「そのキャラクターなら」と考えることは、
ついついそのキャラクターの目線に降りてしまうことと、
同じことなのである。
しかし、入り込みすぎてはいけない。
そいつらに任せると、脱線がとても起こる。
それは、キャラクター性(性格、しゃべり、技能)
だけで動かしてしまうからだ。
もう一度基本に戻らなくてはならない。
そのキャラクターとは、
目的(とその動機の強さ)が主軸であったことを。
逆にいうと、
キャラクターはプロットの邪魔だ。
楽しいけれど、すぐ本線が脱線してしまうのだ。
(二次創作はキャラクターを楽しむものだ、
と考えるなら、ストーリーが脱線しようが何しようが構わない。
それが、ヤマ無し意味無し落ち無しの本質である)
理想的には、
プロットのあとにキャラクターを作った方がいいくらい。
プロットから見たら、俯瞰の視線を邪魔する厄介者である。
(逆に、プロットだけの話だと余裕や遊びがなく、
詰まらないものになる)
しかし現実には、
プロットとキャラクターとは、
互いに影響しながら出来上がっていくものだったりして、
なかなかその分離は難しかったりする。
プロットを考えるのが苦しくて、
ついついキャラクターのお喋りに逃げてしまうことは、
経験したことがあるだろう。
だから、あなたの話はちっとも続きがうまく書けないのである。
ちょっと黙れ。
そうキャラクターに言うのも、作者の権利だ。
キャラクターの目線にいるのではなく、
全体を俯瞰し、時間軸を圧縮した目線から、
全てを考えるのがプロットである。
なぜこの人はこれをするのか。
そしてどうなったのか。
なぜこの人はこれをするのか。
そしてどうなったのか。
なぜこの人は…
のリストが、プロットの本体だといっても過言ではない。
その骨格を考えているときは、
キャラクターのお喋りは不要である。
この骨格においては、
キャラクターとは理由と行動だけの要素に還元されているからである。
(これは、副次的に感情移入を助けることになる。
「そのような状況におかれ、
そのような理由があるのだとしたら、
誰だってそういう行動をするだろう」
という、共通の理解を得ることが、
骨格上で出来るからだ。
キャラクターが特異すぎると、
「その人はそりゃそうだろうよ」と、
自分との分離を感じてしまう。
誰もがそうだ、そしてこのキャラクターも、
というポイントが感情移入の糸口になる)
ということで、
キャラクター同士が漫才をはじめたら、
黙らせよう。
もっと上から眺めよう。
キャラクターを目的と行動だけの要素に俯瞰しよう。
そうすれば、
「次に何が起こるのか」
「次に誰が何をしようとするのか」
「それを予測していた人は誰か」
「誰がどういう行動を実際にするのか」
「どういう経過があり、どう結果が出たか」
「それを受けて、次に誰が何のために何をするのか」
などを考えやすくなるだろう。
その視点からならば、
矛盾や間違いも見つけられる。
「ここおかしくね?このこと知ってたよね?」とか、
「何で急にそう思ったんだ?」なんて箇所を、
チェックしやすくなる。
それらが矛盾ない一本の線になったとき、
プロット、つまり、
「なんでこうなるかが全部説明できる、
はじめから最後までの顛末」が完成したと言える。
心配しなくても、
このあと、あなたのキャラクターは喋りまくるよ。
そのときに十分漫才でもコンビネーションでも描けばいい。
キャラクターは執筆段階に属する。
プロットは構想段階に属する。
混同してはならない。
「キャラクターが動き出すまで待つ」人は、
やり方が間違っていると思う。
それは、プロットの作り方を知らず、
キャラクターを動かすのがただ楽しいだけの人だ。
必ず矛盾や書けなくなる、行き止まりになる。
プロットとは、
逆に行き止まりのない、
滑らかな行動リストであるといえる。
(それを伝統のリズム、あるいは新しいリズムに乗せたのが、
ページ数つきのプロット=構成だ)
2017年08月07日
この記事へのコメント
コメントを書く