2017年08月07日

プロットを進めるには、キャラクターを黙らせろ

キャラクターを先に練ってしまうと、
プロットが進まないことが、まれによくある。


キャラクターが出来れば出来るほど、
新しいシチュエーションを与えると、
勝手に喋り出したり、
勝手に動き始めて、ストーリーが転がることがよくある。
特に、
一人だけでなく複数のキャラクターが出来ているときは、
この傾向は顕著だ。

いつもの漫才をしながら、
あるいはいつもの絶妙なコンビぶりを見せながら、
新しいシチュエーションに突っ込みを入れたり、
あれはこうではないかと予測し始めたりする。
あまつさえ、勝手に行動をはじめたり、
誰かに連絡を取り始めることもある。
下手をすると、
プロットを書いているはずなのに、
彼らの台詞で埋め尽くされて行く。

これは、とてもよくあることだ。

逆に、そこまで自動化されないと、
キャラクターが生き生き動くのを、
描くことすら出来ない。

だが、プロットを書くときにはこれは間違っている、
と釘を刺しておく。


単純に考えよう。

プロットとは、時間の圧縮である。
120ページの話を5ページとか1ページに圧縮しようとしている。
つまり、実際の時間軸ではなく、
全体を俯瞰する目線で書かなければならない。

ところが、キャラクターの反応や喋り出すことは、
そのストーリーの時間軸のままだ。
圧縮して行動するわけでなく、
リアルタイムの反応なのだ。
だからこれはプロットではない。

キャラクターの目線に降りると、俯瞰が出来なくなる。

つまり、キャラクターが勝手に動き出すことは、
あなたが俯瞰から見るのを邪魔し、
圧縮していない地平に強制的に縛り付けてしまうのだ。


ストーリーを考えるとき、
「このキャラだったらどうするだろう」と考えて、
次の展開を想像することはよくある。
というか、次の展開を考えることは、
キャラクターの行動(主人公だけでなく、
敵や味方や第三者や世間などの、
意思を持つ全ての人)と、
その順番と結果を考えることに等しい。
あと偶然何が起こるかを多少付け加える程度かな。

だから、
「そのキャラクターなら」と考えることは、
ついついそのキャラクターの目線に降りてしまうことと、
同じことなのである。

しかし、入り込みすぎてはいけない。
そいつらに任せると、脱線がとても起こる。
それは、キャラクター性(性格、しゃべり、技能)
だけで動かしてしまうからだ。
もう一度基本に戻らなくてはならない。
そのキャラクターとは、
目的(とその動機の強さ)が主軸であったことを。

逆にいうと、
キャラクターはプロットの邪魔だ。
楽しいけれど、すぐ本線が脱線してしまうのだ。
(二次創作はキャラクターを楽しむものだ、
と考えるなら、ストーリーが脱線しようが何しようが構わない。
それが、ヤマ無し意味無し落ち無しの本質である)

理想的には、
プロットのあとにキャラクターを作った方がいいくらい。
プロットから見たら、俯瞰の視線を邪魔する厄介者である。
(逆に、プロットだけの話だと余裕や遊びがなく、
詰まらないものになる)

しかし現実には、
プロットとキャラクターとは、
互いに影響しながら出来上がっていくものだったりして、
なかなかその分離は難しかったりする。


プロットを考えるのが苦しくて、
ついついキャラクターのお喋りに逃げてしまうことは、
経験したことがあるだろう。
だから、あなたの話はちっとも続きがうまく書けないのである。


ちょっと黙れ。
そうキャラクターに言うのも、作者の権利だ。
キャラクターの目線にいるのではなく、
全体を俯瞰し、時間軸を圧縮した目線から、
全てを考えるのがプロットである。

なぜこの人はこれをするのか。
そしてどうなったのか。
なぜこの人はこれをするのか。
そしてどうなったのか。
なぜこの人は…
のリストが、プロットの本体だといっても過言ではない。

その骨格を考えているときは、
キャラクターのお喋りは不要である。
この骨格においては、
キャラクターとは理由と行動だけの要素に還元されているからである。

(これは、副次的に感情移入を助けることになる。
「そのような状況におかれ、
そのような理由があるのだとしたら、
誰だってそういう行動をするだろう」
という、共通の理解を得ることが、
骨格上で出来るからだ。
キャラクターが特異すぎると、
「その人はそりゃそうだろうよ」と、
自分との分離を感じてしまう。
誰もがそうだ、そしてこのキャラクターも、
というポイントが感情移入の糸口になる)



ということで、
キャラクター同士が漫才をはじめたら、
黙らせよう。
もっと上から眺めよう。
キャラクターを目的と行動だけの要素に俯瞰しよう。

そうすれば、
「次に何が起こるのか」
「次に誰が何をしようとするのか」
「それを予測していた人は誰か」
「誰がどういう行動を実際にするのか」
「どういう経過があり、どう結果が出たか」
「それを受けて、次に誰が何のために何をするのか」
などを考えやすくなるだろう。

その視点からならば、
矛盾や間違いも見つけられる。
「ここおかしくね?このこと知ってたよね?」とか、
「何で急にそう思ったんだ?」なんて箇所を、
チェックしやすくなる。

それらが矛盾ない一本の線になったとき、
プロット、つまり、
「なんでこうなるかが全部説明できる、
はじめから最後までの顛末」が完成したと言える。


心配しなくても、
このあと、あなたのキャラクターは喋りまくるよ。
そのときに十分漫才でもコンビネーションでも描けばいい。

キャラクターは執筆段階に属する。
プロットは構想段階に属する。
混同してはならない。

「キャラクターが動き出すまで待つ」人は、
やり方が間違っていると思う。
それは、プロットの作り方を知らず、
キャラクターを動かすのがただ楽しいだけの人だ。
必ず矛盾や書けなくなる、行き止まりになる。

プロットとは、
逆に行き止まりのない、
滑らかな行動リストであるといえる。
(それを伝統のリズム、あるいは新しいリズムに乗せたのが、
ページ数つきのプロット=構成だ)
posted by おおおかとしひこ at 13:21| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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