2017年08月07日

【カタナ式】ブラインドタッチに、そもそも肉体的条件がある

飛鳥配列を無理矢理にでもマスターしようとしている。
そのモチベについては先の記事にくわしい。
そこでひとつの変化が僕におとずれた。
qwertyローマ字のブラインドタッチが、
少しできるようになっているのだ。
飛鳥のブラインドタッチを(いやいやながらも)やっているうちに、
「薬指や小指が徐々に動くようになって来た」のだ。

つまり。
「僕は、そもそもブラインドタッチができる指ではなかった」
ということになる。


飛鳥は英語のブラインドタイピングが前提の指使いだという。
ということは、qwertyのブラインドぐらい朝飯前にしておけ、
という前提である。
僕はそのそもそもの前提ができていなかったが、
無理矢理やるうちに、ある程度身についてしまったといえる。
つれえよ。

qwertyのブラインドタッチについては、
僕はずっと「出来ない」と主張してきた。
それは、頭の記憶容量ではなく、
「そもそも指が動かない」という問題ではないかと思ったのだ。
そして、これはほかのふつうの「ブラインドタッチができない」
人にも共通しているのではないか、と考えたのである。


薬指が動かない。小指が動かない。
薬指と中指を間違う。薬指と小指を間違う。
左薬指と右薬指を、鏡像対称に間違う。
左中指と右薬指を、鏡像対称+混同で間違う。

僕は飛鳥配列練習中に、
この現象にしょっちゅう悩まされている。
そもそも指を自在に動かすことができないと、
こういう混同が起こる。

これまで〇〇配列を作って来た人たちは、
ブラインドタッチが出来る人たちだけであろう。
そもそもこのように指が動かない人のことを、
そもそもの考慮にいれていないのではないだろうか、
というのが僕の気づいたことだ。

薬指は僕の自由にまだならない。
頻度が低いキーが割り当てられていようとなかろうと、
そもそも自由に動かないんだから、
どんなキーでも押せないし、別の指と間違える。
そういう「手の指が未分化な人」がたくさんいることを、
ブラインドタッチ強者は知らないのではないか。

カナ配列を見ていて、「あんなに覚えられない」という感覚は、
頭のことでなく、「指の予感」のような気がするんだよね。
「暗記ができないはずがない」なんて、マスターした人は言うけど、
僕はそうは思わない。
だって「左薬指で、ホームの位置のキーを押す」ことすら、
僕は毎回確実にできないのだ。
頭の暗記とは、違うところに指がいる。
頭で思ってもできない指がいる。


僕はqwertyのブラインドタッチができない。
wsxazや、op,.あたりがどうにもできない。
それは、頭が覚えられないのではなく、
「指が反応してそこまで動いていくことができない」のである、
ということをようやく理解したわけだ。


全国のブラインドタッチができないみなさん。
そもそも、左薬指が動く? 左右の八本の指を、独立して動かせる?
そのような人ならば、qwertyだろうが他の配列だろうが、
ブラインドタッチができる可能性がある。
逆に、どんなにやっても指が動かない人は、
できない可能性がある。

自分の手なのに?
たとえば足の指は、もう独立して動かないよね。
「親指とその他」くらいの神経しかもう通ってない。
僕の薬指や小指は、その程度だってこと。

有名な実験に、
「目をつぶって、自分の足の人差し指をつまんでください」
というやつがある。やってみて。
たいていの人は、中指をさわっているそうだ。


まず神経を目覚めさせないと、
指を動かす神経回路をつくらないと、
そもそもブラインドもくそもねえよ、
って話。

(これは音痴がなぜ治らないか、ということに似ている。
音が外れているという判断ができているか、
正しい音とのずれがわかるか、
そのずれを修正して出力できるか、
という入出力のループができないと、
音痴は治らない。
ほとんどの人は、出力が出来ないでいる。
だって、カラオケが苦手な人は、
自分が音痴だって自覚はあるからだ。
わかっていてもできない出力なんて、
人間には山ほどあるのだ)



ということで、
足の指同様、手の指が動かない人は、
まず手の指が動くように訓練するか、
あるいは人差し指と中指だけでブラインドタッチが可能
(厳密には、左親指と右薬指を補助的に使います)な、
カタナ式をやればいいとおもうよ。


「〇〇配列をマスターする」には、
ふたつの段階がある。
「その配列をブラインドタッチできる指の能力をつけること」と、
「その配列を指に覚えさせること」だ。
(第三段階で、「忘れないように維持する」もあるかも)

そもそも人の指はそんなに器用じゃない。
出来る人は、自分基準に人の能力を見積もりがちだよね。
JISカナ配列やニコラが出来る人から乗り換えれば、
そりゃ新下駄や飛鳥や月は、とてもいい配列になるだろう。
しかしそもそもqwertyすら出来ない人は、
それ以前のところで躓いていると思う。
世の中のパソコン教室は、誰もそこを救ってないんじゃないか。
(そしてその地味で辛いトレーニングは、金にならないから教えない)


ということに、今気づきました。
飛鳥や新下駄や月はそれぞれに優秀だと思う。
なのになぜみんな知らないのか、やらないのか、
という主な理由が、実はこれなんじゃないかなあ。

持てないペンは、ないのと同じ。
posted by おおおかとしひこ at 17:24| Comment(4) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おそらくは初めまして。面白い視点だと思いました。

…が、これでは五十音順を元にした諸配列が広まっていない理由を説明できませんね。
Posted by 鈴見咲君高 at 2017年08月12日 00:04
鈴見咲君高さんコメントありがとうございます。

五十音も指が覚えられないですね。僕は。
ひとつの指でみっつ覚えるので精一杯かな。
カタナ式はその原則からスタートしたような記憶があります。

親指シフトやJISカナ入力そのものが、
特殊能力が必要なんじゃないかなあと考えており。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年08月12日 00:31
以前、大岡さんがコメントされたように、大量の文章を書く人はだいたい文系で、買ったPCのQWERTYキー配列とMicrosoft WORDをそのまま使う以外の選択肢を思いつかないのだとすれば、
エディタソフトやキー配列を変えられる人は、ある程度PCすなわちQWERTY配列も使いこなしていることになるので、この記事はなかなか的を射ている気がします。

そういえばその昔、和文タイプライターは50音順、もしくはいろは順でした。いまも銀行のATMは50音表ですね。
活字(あるいは支店名)を探して一つひとつ入力するという方向性だと、50音順になるのではないかと。

JISカナ配列の成り立ちについては
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/ISCIE2003.pdf
に詳しい記述があります。
当初は電報(かな文字のみ)なので漢字変換はなかったわけですが、そのころから50音順ではなく、使用頻度の高い文字を中央に集めていたようです。
Posted by LDIR at 2017年08月13日 16:06
LDIRさんコメントありがとうございます。

QWERTYの謎の安岡さんですね。
大正時代のカナモジカイも一応調べましたが、僕はそこに合理を見出せませんでした。
(漢字かな変換なしが前提だろうし)
で、とりあえずちょっとは理解できた飛鳥を実験的に触っています。

僕の指の感覚では、50字はブラインドでは捌ききれないですね。
あとの記事(カタナ式が目指すこと)に書いたように、僕の自我は6くらいにしか割れなくて、
一指3文字担当くらいまでかなあ。つまり18文字までしか出来ない感じがありますね。
QWERTYローマ字で扱ってる文字数が、ぎりぎり似てますね。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年08月13日 16:51
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