カナ入力をずっと試しているのは、
ブラインドタッチの下手さを乗り越えるだけの、
ある確かめたいことがあったからだ。
「脳内発声のありなし」だ。
カナ入力だと脳内発声なしになるのではないか、
という仮説が僕の中にあって、
それを確かめてみたいのである。
飛鳥配列が、
調子のいいときは一秒一カナ以上にはなってきたから、
脳の中を観察してみた。
ローマ字入力であるところのカタナ式と、
カナ入力であるところの飛鳥配列では、
僕の練度によるスピードが全然違うので対等な比較はできないけど、
今のところ、
ローマ字は脳内発声あり、
カナ入力はなし、
のような気がする。
脳内発声と言うよりは、
ローマ字入力は、
「言う代りにローマ字を打つ」という感覚に近いかもしれない。
つまり、少なくとも、
僕の口は言おうとしている。
口を動かす代わりに左右の手が動く、という感覚。
これがカナ入力になると違う。
頭の中にカナが浮かんで、
直接印字されていく感じ(遅いけど)。
そこに「音」は介在しない。
文字が「概念」に近い。
思考はたぶん概念だ。
それをそのま文字にするか、
「言う」ことに変換した後に手を動かして文字にするかの違い。
一回「言う」というイメージが入ってくるか来ないかの差だ。
僕はカナ入力派のいうところの、
「一回ローマ字に変換するからローマ字は遅い。
日本語をそのまま打てるカナのほうが速い」という説が、
いまいち信じられていない。
それはあんたの脳内ローマ字変換が遅いだけやん、
なんて単純に思っていた。
しかし、そうことは簡単ではない。
たぶん、
「言う変換」のあり/なし
ではないかというのが僕の仮説である。
黙読で、
脳内発声ありなしの人がいる。
僕はない。
手書きで書く時もない。
しかしローマ字で書く時だけある。
カナ入力は、ないみたい。
(これは人によって違う可能性が高い)
ローマ字入力をするとき、僕は言っている。
この記事はローマ字入力で書いているので、
これは僕の発言に近く、
書かれた思考ではない。
言う言葉と書く言葉には差がある。
脚本は、言う言葉をメインに書く。
小説は、言う言葉も書くが、メインは地の文だろう。
地の文は言う言葉か?
おそらく、書く言葉だと考える。
思っていることを言うのと、書くのは、ぼくは違うと考える。
どう違うかを、まだうまくいえないけど、
書かれた言葉のほうが、整理されているような気がする。
言う言葉のほうが、時間軸をもっている気がする。
静止した写真と、動くムービーのような違い。
で。
脚本やブログを書くには、
ローマ字入力のほうがいきいきして書けて、
小説や論文を書く時には、
カナ入力のほうがいいんじゃないか、
なんて考えている。
あるいはカナ入力でブログを書いている人もいるだろうが、
それって、消えてなくなる発言よりも、
永遠に残る分析的な文に近い文章になってるんじゃないかな、
と予測するわけだ。
書く道具によって、僕は文体や内容が変わると考えている。
吉本隆明の著作は難解であるが、
その講演は非常にわかりやすいという。
言うことと書くことは、意味が仮に同じでも、
アプローチやその結果としての文体が異なるのではないか。
ワープロ以前以後で、日本語は変容したと思う。
ネットスラングは、徐々に昔日の日本語を駆逐しはじめていると思う。
(正確にいうと、同一の人の中の言語が変わるのではなく、
違う道具を使う世代が、旧世代が死んだら別の言葉になっている、
みたいな、種の淘汰進化に近いと思うけど)
僕が飛鳥でカナ入力をしているときは、
まだ指に集中しているのもあるけど、
脳の中は静かである。
「カナ入力のほうが思考に集中できる」
という、主に親指シフターに見られる特徴は、
脳内発声がなくて頭の中が静かなことと、
関係しているのではないかと考える。
仮説段階であるが、
ローマ字入力者は常に言っていて、
カナ入力者は、常に書いているのではないか。
(ローマ字で書いたものは、
たいてい推敲しないと話にならない。
言うことは結構支離滅裂なものです。
カナで今まで長文を書いたことがないので、
それを追試したいと考えている)
これは訓練すれば変わるのか。
カナ入力がまだ実用段階にないから、
単にそれどころではないのか。
もう少し追試してみたい。
わたしはわたしの思うことを素直に書きたい。
ただそれだけなのにねえ。
『ローマ字入力は脳内発声あり、カナ入力はなし説』って、昔は逆の意見が多数派だったと思うのですが、最近は変わってきたのでしょうか?ローマ字入力は音声を「分解」しなくてはならないから脳内発声とはバランスが取れない、ということだったように思いますが。
昔のことは知らんのです。配列道半年なので。
僕の個人的説です。
その「ローマ字」はQWERTYローマ字でしょうか、
それともM式的な行段含むのでしょうか。
僕はフリックでも脳内発声ありなので、
行段という仕組みがそうなのかも知れません。
しかし手書きの時は脳内発声なしなんです。
音声で書いてないんだと思います。