目標は、一日一万字を日常に出来るレベル、
と宣言しておくか。
専業のプロでは、
西尾維新という化物がトップクラスに量産する。
一日二万字(8時間)らしい。
人間業とは思えないので、
並の人間としては、
一日一万字としようか。
ここの脚本論は一記事大体2000字なので、
一日5記事。出来ない量ではない。
手がなんとかなっても、
先に書くことがなくなりそうだけど。
書き物は、一種の狂気だと思う。
そんな書くことないよ普通の人は。
作家は、取り憑かれたように書く。
逆に、取り憑かれないと書けない。
一日一万字書いても、
三日で三万字書けるだろうか。
文庫一冊十万字。
十日で書ききれるとは思えない。
十分に準備したとしても、
文字書き自体に、
推敲ぬきでも半月じゃ終わらないよねえ。
カタナ式の用途は、
このあたりを想定している。
元々自分が欲しい道具をつくったようなものだ。
この狂気についてこれる入力方式が欲しいのだ。
QWERTYローマ字は不合理だ。
カナ入力は、いいと言われる親指シフトでも、
僕の手では無理そうである。
音声入力はまだ試していない。
ポメラは打鍵姿勢がキツくて切った。
だったらスマホのほうが楽だ。
ひとつの入力方式に拘らなくていいのかも知れない。
たとえば一日の半分は音声入力、
残りはタイピングで、
一日一万字を維持してもいいのかも知れない。
そういう用途を、
色々に発明された配列が想定しているとは、
僕にはあまり思えなかった。
ベンチマークとしてタイプウェルの成績をあげる人が多いのに、
全然僕は魅力を感じない。
人類最速の100メートル走を競ってもしょうがない。
執筆はマラソンどころか、東海道五十三次である。
数十秒間の打鍵効率を○倍して、
一日8時間×一ヶ月の執筆生活を近似出来るとは思えない。
(タイプウェルは動画に上げやすいというのもあるだろうね)
僕が飛鳥を試しているのも、
作者が唯一一日一万字という数字を出してくれたからだ。
作家に多いという親指シフト、ニコラ配列は、
じゃあ実際のところの生産量がどれくらいか、
具体的に出てこなかった。
ニコラは触ってみたけど、
小指に違和感があって挫折した。
同時シフトのテンポ感が分かりやすい動画もなくて、
僕のやり方が単に悪かったのかも知れない。
ニコラ原理主義者の言い分を見ると、
対QWERTYローマ字、対JISカナでは優位点は理解できるが、
他の入力方式に対して俯瞰で見ている人が見つからなかった。
一日一万字打とうと思うと、
配列なんて消えなきゃいけない。
東海道五十三次を歩くのに、
右足の次は左足、左足の次は右足、
と意識しないのと同じだ。歩いたことないけど。
指を8本または10本使う配列では、
僕は配列を消すまでは出来なさそうだ。
僕の自我は8つに割れない。
この年になって鏡文字の障害を起こすとは思わなかったよ。
僕の自我はせいぜい3つ×2ぐらい。
「1、2、沢山」の「右、左」くらい。
出来ればもっと減らしたい。
フリックは一本指か二本指だもんね。
でもフリックで一日一万字はキツイ。
いや、スマホというデバイスが目にキツイだけで、
PC+タッチパッドなら行けるのかも知れない。
つまり、文字入力は、
結局ペンぐらいになりたい。
そういうデバイスがないから、
僕はやはり手書きで第一稿を書き、
なんらかのシステムでデジタル変換するだろう。
(カタナ式がこれだけ巡航速度が上がってきてるのに、
僕の手書きの巡航速度はこれよりまだ速い)
僕らの世代はQWERTY先でフリックがあとだったけど、
これからの世代はフリックが先でQWERTYがあとだろう。
会社に入って初めてキーボード触る、
なんて人も結構いるかも知れない。
卒論をフリックで書く時代だ。
そういう人たちにとって、
QWERTYキーボードはもう要らないと思うんだ。
だって不合理だもの。
昨日、ブラインドタッチには肉体的条件がある、
と書いた記事がバズったようだ。
500人くらいが読んだ模様。
そもそも「文を書くための道具」って何だっけ、
と僕は考えたい。
それに両手の小指や薬指を使わなきゃいけないのは、
繊細すぎると思う。もっというと、脆弱だと思う。
僕らがピアニストの真似をしても、脆弱だ。
目指せ一日一万字。
昨日の1万5000字のダメージは、
ほとんどない。0ではないのは確かなので、
これを継続的にやって、腱鞘炎にならないような、
配列及び打鍵システムを詰めていきたい。
余談だが、西尾維新展覧会の、
無人パソコンでの打鍵展示を見た。
文字打ちに合わせてキーボードのキーが沈むような展示で、
まるで幽霊が執筆してるかのように見せていた。
で、そこで使われていた配列は、
まごうことなきQWERTYローマ字であった。
(本人のものを収録せず、ただの適当デモの可能性もある)
僕の指だと、確実に無理だし壊すなあと思った。
一日一万字。
月産十万字分の執筆と推敲。
指の弱い人でも、自我が6つぐらいにしか分割出来ない人にも、
コンスタントに作家生活が出来るレベルを、
カタナ式は目指したい。
作家は書く文章がメインであるべきであり、
指の能力でふるいにかけられるべきではない。
文章をトレーニングする前にピアニストにならなければならないのは、
間違っている。
デジタルは、選民の為にあるのではない。
2017年08月13日
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