2017年08月13日

【カタナ式】カタナ式が目指すこと

目標は、一日一万字を日常に出来るレベル、
と宣言しておくか。


専業のプロでは、
西尾維新という化物がトップクラスに量産する。
一日二万字(8時間)らしい。

人間業とは思えないので、
並の人間としては、
一日一万字としようか。

ここの脚本論は一記事大体2000字なので、
一日5記事。出来ない量ではない。
手がなんとかなっても、
先に書くことがなくなりそうだけど。


書き物は、一種の狂気だと思う。
そんな書くことないよ普通の人は。
作家は、取り憑かれたように書く。
逆に、取り憑かれないと書けない。
一日一万字書いても、
三日で三万字書けるだろうか。
文庫一冊十万字。
十日で書ききれるとは思えない。
十分に準備したとしても、
文字書き自体に、
推敲ぬきでも半月じゃ終わらないよねえ。


カタナ式の用途は、
このあたりを想定している。
元々自分が欲しい道具をつくったようなものだ。
この狂気についてこれる入力方式が欲しいのだ。

QWERTYローマ字は不合理だ。
カナ入力は、いいと言われる親指シフトでも、
僕の手では無理そうである。
音声入力はまだ試していない。
ポメラは打鍵姿勢がキツくて切った。
だったらスマホのほうが楽だ。

ひとつの入力方式に拘らなくていいのかも知れない。
たとえば一日の半分は音声入力、
残りはタイピングで、
一日一万字を維持してもいいのかも知れない。



そういう用途を、
色々に発明された配列が想定しているとは、
僕にはあまり思えなかった。
ベンチマークとしてタイプウェルの成績をあげる人が多いのに、
全然僕は魅力を感じない。
人類最速の100メートル走を競ってもしょうがない。
執筆はマラソンどころか、東海道五十三次である。
数十秒間の打鍵効率を○倍して、
一日8時間×一ヶ月の執筆生活を近似出来るとは思えない。
(タイプウェルは動画に上げやすいというのもあるだろうね)


僕が飛鳥を試しているのも、
作者が唯一一日一万字という数字を出してくれたからだ。
作家に多いという親指シフト、ニコラ配列は、
じゃあ実際のところの生産量がどれくらいか、
具体的に出てこなかった。
ニコラは触ってみたけど、
小指に違和感があって挫折した。
同時シフトのテンポ感が分かりやすい動画もなくて、
僕のやり方が単に悪かったのかも知れない。
ニコラ原理主義者の言い分を見ると、
対QWERTYローマ字、対JISカナでは優位点は理解できるが、
他の入力方式に対して俯瞰で見ている人が見つからなかった。



一日一万字打とうと思うと、
配列なんて消えなきゃいけない。
東海道五十三次を歩くのに、
右足の次は左足、左足の次は右足、
と意識しないのと同じだ。歩いたことないけど。

指を8本または10本使う配列では、
僕は配列を消すまでは出来なさそうだ。
僕の自我は8つに割れない。
この年になって鏡文字の障害を起こすとは思わなかったよ。

僕の自我はせいぜい3つ×2ぐらい。
「1、2、沢山」の「右、左」くらい。
出来ればもっと減らしたい。

フリックは一本指か二本指だもんね。
でもフリックで一日一万字はキツイ。
いや、スマホというデバイスが目にキツイだけで、
PC+タッチパッドなら行けるのかも知れない。

つまり、文字入力は、
結局ペンぐらいになりたい。

そういうデバイスがないから、
僕はやはり手書きで第一稿を書き、
なんらかのシステムでデジタル変換するだろう。
(カタナ式がこれだけ巡航速度が上がってきてるのに、
僕の手書きの巡航速度はこれよりまだ速い)


僕らの世代はQWERTY先でフリックがあとだったけど、
これからの世代はフリックが先でQWERTYがあとだろう。
会社に入って初めてキーボード触る、
なんて人も結構いるかも知れない。
卒論をフリックで書く時代だ。
そういう人たちにとって、
QWERTYキーボードはもう要らないと思うんだ。
だって不合理だもの。


昨日、ブラインドタッチには肉体的条件がある、
と書いた記事がバズったようだ。
500人くらいが読んだ模様。
そもそも「文を書くための道具」って何だっけ、
と僕は考えたい。
それに両手の小指や薬指を使わなきゃいけないのは、
繊細すぎると思う。もっというと、脆弱だと思う。
僕らがピアニストの真似をしても、脆弱だ。

目指せ一日一万字。
昨日の1万5000字のダメージは、
ほとんどない。0ではないのは確かなので、
これを継続的にやって、腱鞘炎にならないような、
配列及び打鍵システムを詰めていきたい。



余談だが、西尾維新展覧会の、
無人パソコンでの打鍵展示を見た。
文字打ちに合わせてキーボードのキーが沈むような展示で、
まるで幽霊が執筆してるかのように見せていた。
で、そこで使われていた配列は、
まごうことなきQWERTYローマ字であった。
(本人のものを収録せず、ただの適当デモの可能性もある)
僕の指だと、確実に無理だし壊すなあと思った。

一日一万字。
月産十万字分の執筆と推敲。

指の弱い人でも、自我が6つぐらいにしか分割出来ない人にも、
コンスタントに作家生活が出来るレベルを、
カタナ式は目指したい。


作家は書く文章がメインであるべきであり、
指の能力でふるいにかけられるべきではない。
文章をトレーニングする前にピアニストにならなければならないのは、
間違っている。
デジタルは、選民の為にあるのではない。
posted by おおおかとしひこ at 11:42| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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