ハリウッドの格言を何回も紹介するけど、
「最良の会話は、無言である」というのがある。
これは、無言で突っ立ってるのがベストである、
と言っているわけではない。
無言で何かをする(アクション)こそが、
最も雄弁に、
その人の意思、気持ち、表情、切迫感を伝える、
ということを言っている。
アクションとは、
何も殴る蹴るとかカーチェイスとか爆発である必要はない。
ト書きに書く動詞のレベルである。
たとえば、「目をあわせ、うなづく」
ことが最も雄弁にその人を語ることもある。
ドラマ「風魔の小次郎」第12話のアバン、
項羽と小龍が、羽を見せてうなづくアイコンタクトは、
双子の最も良かった芝居のひとつだろう。
「あとを頼むぞ」「分かった」じゃダサい。
「やっぱ羽だよな」「そうだ」でもダサい。
「俺の羽をお前に託す」「分かってる」でもいまいち。
無言で羽に頷きあうことが、
そのすべてを含むことに注意されたい。
つまり、
下手に台詞にすると、
意味が限定されてしまう。
無言で何かをすることは、
台詞で限定されない、もっと広い意味を含める。
能面と同じだ。
観客が勝手にそこに、豊かな意味を投影することで、
無言なのに無限になるのである。
どんな告白の言葉より、手を繋ぐ方が雄弁だったりする。
どんな契約の文章より、椅子に座ることのほうが雄弁だったりする。
人は、わずかな動作で意思を表現することが出来る。
「決意の顔をする」とか「悲しい顔をする」とかト書きに書くやつは素人だ。
「風林火山を地面に叩きつける」ことで決意を示すとか、
「窓の外から入ってきた、風が運んだ桜の花びらを見る」ことで、
悲しみに耐えていることを示すべきだ。
台詞で進展させるのが台詞劇だとすると、
無言で進展させるのが無言劇である。
これらは組み合わせることができる。
何かを主張したり、決断することを、
台詞で言ってもいいし、
動作で示してもいい。
「ボタンを押す」は、
代表的な決断の無言劇だ。
ッターン!から核ミサイル発射まで、
様々なドラマを作ることが可能である。
欧米だとサイン、日本だとハンコもそう。
「カリオストロの城」では、
「沈黙をもって答えよ(結婚の契約)」という契約の仕方もあった。
何か凄いことをすることが、契約の意思を示すこともある。
「私が欲しければ、この火を越えてきなさい」もそうだよね。
そう設定してしまえば、
あとは無言で火に焼かれることが、凄まじい無言劇だ。
映画は行動だ。
会話劇が書けるならば、
このようにどれかひとつを無言による行動にするといい。
黙ってこっそりやるんじゃなくて、
みんなが注目する中、無言にすると劇的になる。
注目しているということは、
つまりそれがどうなるのかという、
焦点がハッキリしていることが前提。
そのときに、たとえば無言で手にナイフを刺したりしたら、
壮絶なる決断を表現できたりするわけだね。
重い荷物を担いで、黙々と作業を続ける、
という芝居もよくある。
ここぞというとき、無言で何かをすることにしてみよう。
それが一番いい芝居になる。
ドラマ風魔の10話、小次郎の告白の時の目。
そこに台詞はいらないよね。
そういうこと。
人は見つめあうだけで、何かを伝えることが出来る。
嘘をついていない目は、きらきらしている。
勿論文脈が必要で、
「今何を考えているでしょう」クイズではない。
その文脈を作るのが、そもそもあなたの仕事である。
2017年08月13日
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