2017年08月13日

会話劇から無言劇へ

ハリウッドの格言を何回も紹介するけど、
「最良の会話は、無言である」というのがある。
これは、無言で突っ立ってるのがベストである、
と言っているわけではない。

無言で何かをする(アクション)こそが、
最も雄弁に、
その人の意思、気持ち、表情、切迫感を伝える、
ということを言っている。


アクションとは、
何も殴る蹴るとかカーチェイスとか爆発である必要はない。
ト書きに書く動詞のレベルである。

たとえば、「目をあわせ、うなづく」
ことが最も雄弁にその人を語ることもある。

ドラマ「風魔の小次郎」第12話のアバン、
項羽と小龍が、羽を見せてうなづくアイコンタクトは、
双子の最も良かった芝居のひとつだろう。

「あとを頼むぞ」「分かった」じゃダサい。
「やっぱ羽だよな」「そうだ」でもダサい。
「俺の羽をお前に託す」「分かってる」でもいまいち。
無言で羽に頷きあうことが、
そのすべてを含むことに注意されたい。


つまり、
下手に台詞にすると、
意味が限定されてしまう。
無言で何かをすることは、
台詞で限定されない、もっと広い意味を含める。

能面と同じだ。

観客が勝手にそこに、豊かな意味を投影することで、
無言なのに無限になるのである。


どんな告白の言葉より、手を繋ぐ方が雄弁だったりする。
どんな契約の文章より、椅子に座ることのほうが雄弁だったりする。

人は、わずかな動作で意思を表現することが出来る。

「決意の顔をする」とか「悲しい顔をする」とかト書きに書くやつは素人だ。
「風林火山を地面に叩きつける」ことで決意を示すとか、
「窓の外から入ってきた、風が運んだ桜の花びらを見る」ことで、
悲しみに耐えていることを示すべきだ。


台詞で進展させるのが台詞劇だとすると、
無言で進展させるのが無言劇である。

これらは組み合わせることができる。
何かを主張したり、決断することを、
台詞で言ってもいいし、
動作で示してもいい。

「ボタンを押す」は、
代表的な決断の無言劇だ。
ッターン!から核ミサイル発射まで、
様々なドラマを作ることが可能である。

欧米だとサイン、日本だとハンコもそう。
「カリオストロの城」では、
「沈黙をもって答えよ(結婚の契約)」という契約の仕方もあった。
何か凄いことをすることが、契約の意思を示すこともある。
「私が欲しければ、この火を越えてきなさい」もそうだよね。
そう設定してしまえば、
あとは無言で火に焼かれることが、凄まじい無言劇だ。


映画は行動だ。

会話劇が書けるならば、
このようにどれかひとつを無言による行動にするといい。

黙ってこっそりやるんじゃなくて、
みんなが注目する中、無言にすると劇的になる。
注目しているということは、
つまりそれがどうなるのかという、
焦点がハッキリしていることが前提。

そのときに、たとえば無言で手にナイフを刺したりしたら、
壮絶なる決断を表現できたりするわけだね。
重い荷物を担いで、黙々と作業を続ける、
という芝居もよくある。


ここぞというとき、無言で何かをすることにしてみよう。
それが一番いい芝居になる。

ドラマ風魔の10話、小次郎の告白の時の目。
そこに台詞はいらないよね。
そういうこと。
人は見つめあうだけで、何かを伝えることが出来る。
嘘をついていない目は、きらきらしている。


勿論文脈が必要で、
「今何を考えているでしょう」クイズではない。

その文脈を作るのが、そもそもあなたの仕事である。
posted by おおおかとしひこ at 12:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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