これは本当に難しいことだ。
創作における作者は神だ。
神にならないと書けない。
その全能感が創作の喜びのひとつだ。
俺はこの世界をつくったぞ、と。
だけど、その熱が冷めて冷静になったとき。
それが大したものじゃないと気づくとき。
反動がキツイ。
あんなに全能感溢れて夢中でやったことが、
子供の遊びレベルだったと分かったときの恥じ入り。
これは多くの人が経験することだ。
いや、俺は一番なのだと狭い世界に閉じ籠ることで、
その矜持を保とうとする人たちもいる。
それは逃げだと、薄々分かってるんだろうけど。
自分が一番じゃないことを認めるのには、
勇気がいる。
日常生活で一番の人は、たぶん創作をしない。
一番になれないから、人は創作をする。
これなら一番になれるかと思って。
で、その全てをなげうって作ったものが、
大したものじゃないと認めることは、
人生の絶望みたいなことだ。
希望へのルートをひた走っていたのに、
それが奈落だと知ったようなものだ。
大逆転で大成功だと思ったものが、
大逆転で大失敗。
まるでミッドポイントだ。
だが、その絶望を知ったものは幸いである。
創作をしなければ、
一生味わうことのなかった、貴重な苦味であるからだ。
あなたの味わう絶望は、あなた以外の誰も共有できない。
だけど安心しなさい。
だから、あなたはオリジナルになるのである。
これは、他の人と似たような人生を歩む人には、
決して経験できない絶望だ。
創作は、オリジナルでなければならない。
本当のことを言うと、
そこが創作のスタートラインなのだ。
ようやく獅子の子が、千尋の谷底に落ちただけだ。
その谷から這い上がるか、谷底で諦めるか、
ここは谷底でなく天国だとうそぶくかは、
獅子の子の心次第だ。
私は創作者として無力な子供に過ぎない。
そう自覚しよう。
そうでないと、その先何も学ぶことがなくなる。
格闘マンガにたとえれば簡単だ。
敗北を知らない最強キャラは、
一回負けたら絶望で終わる。
早いうちに敗北を知れたキャラは、
それをバネにして成長する。
漫画だからこうなのではない。
現実も同じである。
ただ現実では、絶望した人は辞めていく確率が高い、
というだけのこと。
あなたの全力を尽くした作品はいまいちだ。
それがどうした。
改善すべきところは分かるし、改善するのもやぶさかではない。
しかし、それ以上に面白いものを思いついたので、
それを書こうと思う。
そうあるべきだと思う。
完璧で最上なものを書いたら、
それ以上の作家生活はない。
創作して生きることとは、
いつも過去の自分を上回って行き続けることを言うと、
僕は思う。
絶望した人は幸いである。
挽回のチャンスを、次回作に得る。
あなたはその為に今絶望の暗闇にいるのである。
これは、全ての創作者が経験していることだと思う。
自分は一番じゃない。
全てはそこからスタートしている。
だけど、次は一番かも知れない。
でも一番じゃないかも知れない。
でも一番のを思いついた気がする。
その繰り返しで、少しずつ登りつつあるのだ。
ある程度登ってくると、滑落したりもする。
常に登り続けられる保証もない。
こんなことを書いているのも、
ぼくは次回作を書き始めたからである。
ちょいちょいカタナ式記事で触れているが、
一万字も遊びで書いてる訳じゃない。
自分は一番じゃない。
でも作る。
過去に夢中になった名作を越えること。
見てなくて最近知った名作をも越えること。
過去の自分を越えること。
一番じゃないから、一番を目指すことが出来る。
その為に、登り続けられる。
敵は過去。それが未来だ。
2017年08月13日
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