さらに続き。
1. テーマをつくり、構成をつくり、細かいところを作っていく。
(トップダウン)
2. ディテールをつくり、それを転がしていくうちに落ちまで書ける。
(ボトムアップ)
僕はどちらも間違いであると考えている。
私たちのアイデアや閃き、
これを書きたいと思う強烈な思い、
いわば狂気の源泉は、
妄想と同じ形をしている。
つまり、理屈も全体もない、
断片である。
これから始めてボトムアップで全体をつくると、
容易に最後まで書けないのは、
体験ずみであることと思う。
脈絡がないからだ。
じゃあ逆なのか。
トップダウンで大まかな所から書いていくのか。
それも間違いだ。
なぜなら、まだ出来ていないものを、
全体から部分へと効率よく展開できるわけがないからである。
全体→構成→ディテールと、
淀みなく開いていけるのは、
既に全部できたものだけだ。
アウトラインプロセッサを僕が否定するのも、
これが理由だ。
トップダウンでは、論文は書けるかも知れないが、
物語は書けない。
何故なら、
物語とは、
「理屈が合っていても、そこに面白いエネルギーがないと、
詰まらない」ものだからだ。
面白いエネルギーとはディテールのパワーのことだ。
じゃあやっぱりディテールから先に作って…
と、無限ループにはまる。
僕は、まず芯を作ればいいと思う。
芯というのは、あなたにとっての芯。
それはディテールだろう。
こういうものが書きたいというコアになる部分だ。
でもそれ出発では、均整の取れた全体は作れない。
夢だからだ。
そこで、その夢を現実化するためには、
どういう物語構成が適しているかを、
理屈や知性で考えるのである。
(そこに脚本理論が使われる。
三幕構成なんてのもそのひとつ)
この構造なら、このドリームを実現する余地があるぞと。
そのときに、
その物語構造にテーマが必要になるとわかるから、
そこで改めて、
(あなたの心の芯ではない)物語の芯を作るのだ。
それは、テーマやらコンセプトやらモチーフやらという、
これまで「本質」と近しい言葉で書いてきたものだ。
これらは、演繹と帰納である程度作れる。
事件と解決のペアや、テーマからの逆算で、
当初の渇きや欠落を作ればいい。
サブプロットだって、メインプロットとテーマがあれば、
その部分集合や補集合から選べば対比をつくれる。
このへんはほとんど論理的導出みたいなことだ。
なんならアウトラインプロセッサは、このときには使えるかもしれない。
平行する複数のプロットにアウトラインプロセッサは弱いけど。
で。
その論理的芯と、あなたの最初の夢の芯は、
異なるだろう。
次にするべき、
おそらく一番大事なことは、
物語の論理的芯に、
あなたの夢の芯と同等(またはそれ以上の)の、
情熱や出来のいいものや熱を帯びたものを、
創作することである。
物語の芯でいうと、
その一点は「クライマックスで全てが解決する場面」だ。
その逆算で主人公の欠落があり、
その順接でテーマがある。
つまり、芯の中の芯が、
あなたの夢の芯に匹敵するか、
またはそれ以上に大事なものになるまで、
あなたはそのストーリーを書くことが出来ない。
と僕は思う。
それを見つけたときに、
僕は「書ける」と考える。
情熱だけでもない、理屈だけでもない、
そのような真ん中を創作できたとき。
そこまで出来れば、
あとはトップダウンとボトムアップを繰り返して、
植物が根を張るように、
ストーリもディテールも構成も、
何もかも同時に出来ていくと思う。
もちろんいくつかの迷いどころや、
面白いのを思い付かない難所はあるだろうが、
それでも、妄想と分析を繰り返せば、
ほとんどのことは出来上がると思う。
僕は、その源泉が、真ん中の芯だと思う。
最初のあなたの狂気(または夢または情熱)。
論理的な芯が、
混ざりあっていずれあなたの夢想や狂気になること。
それらが全てを産み出せるほどの、
何か尋常でない回転力をもったとき、
トップダウンもボトムアップでもない、
同時に全てが出来ていくプロセスを体験すると、
僕は思う。
トップダウンではストーリーは出来ないよ。
ボトムアップでもストーリーは出来ないよ。
出来る、という入門書があるのなら、
それは方法論を学ばせるための、
初心者向けの方便である可能性が高い。
トップダウンは理屈や脈絡。
ボトムアップは情熱や狂気なる、夢なるもの。
相反するものの両方の芯になる、
真ん中のものが出来ないと、
僕はストーリーなんて出来ないと考えている。
非常に言語化しにくい部分なので、
伝わったかどうか自信がない。
まあそういうこともあるよねと思うぐらいでもいいや。
2017年08月14日
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