マラソンライティングとか、色んな名称がある。
「書くこと」に対するトレーニング法。
1. 時間を決める。10〜20分。
2. その間、手を止めず書き続ける。
トップスピード分速○字を維持して、止まったり休んではいけない。
途中で書くことがなくなるが、喋りを止めないみたいな感じで、
「手を止めない」ことのトレーニングが、
このトレーニングの主旨である。
面白かろうが面白くなかろうが、かまわず続けろ。
これは創作ストーリーだとすぐ詰まるので、
エッセイとかアイデア出しとかにちょうどいい。
書くことの内容は、
たとえば、
・最近思うことなんでも
・かつて好きだったけど忘れてしまったものについて
・思いついた映画のオープニングをなるべく詳しく
・好きな映画の話をダラダラする
・好きな女の話をダラダラする
・日本の政治について
などだ。
整理しないと書けないものはやめておこう。
混沌のまま、整理されないまま出して行く練習だ。
整理はあとでやるための、ストレス一気出し、
みたいなことにもよく使われる。
自己啓発的に、
「私の夢」「私のダメなところ」
なんてのを何回もノンストップライティングさせる、
なんてのはよくある。
手帳なんかにトゥドゥリストを書き出す、
なんてことはこれの短時間の利用だ。
トゥドゥリストを20分も書き出す人はいないから、
これはノンストップライティングの題目としては誤り。
なので、ダラダラとなんでも書ける題目を選ぶのがよい。
で。
これはなんのためにやるのだろう。
実は、無意識に触るためにやるのである。
私たちは顕在意識があり、
これが理性を保たせている。
普段の、俺はこう思うとか感じるとかは、ここが統御している。
寝るときは、これが寝る。
起きたら、これが起きる。
ところで、ノンストップライティングをしていると、
半分瞑想状態みたいになってきて、
理性のガードが緩むときがあるんだよ。
寝てるのとも違うけど、夢を見ているような状態ね。
音楽の演奏をしてるときに、そういうトランス状態に入ったりするよね。
意識が半分飛びかかってるときに、
尚それが続く状態のこと。
それを、書くという運動で体験するのが、
このノンストップライティングの目的だ。
そうすると何が出てくるかというと、
無意識なんだね。
つまり、脈絡のない、滅茶苦茶なものが出やすい。
それが出ても気にせずどんどん書いていくと、
繋がらない話やイメージが、どんどん涌き出てくる。
まあ落書き帳みたいになっていくというわけだ。
絵でそういうの描く人はいるけど、
それを文章でやってみようってこと。
だからノンストップライティングは、
お題について書きながらも、
脱線しまくる。
それは夢の脈絡のなさと、ほとんど同じ。
顕在意識を解放して、
潜在意識、無意識の思うままに手を動かす練習。
ものを書く人は、
調子のいいとき、自動書記状態になって、
スラスラと書けたハイパー状態を経験したことがあると思う。
一作品に一回ぐらい出現するよね。
そのときは、たとえば30分くらいは、
ノンストップライティングだったと思うんだ。
ノンストップライティングの練習の目的は、
この自動書記状態を、強制的に作り出すことだ。
普段の私たちは、理性が統御している。
それは無茶なことをしちゃダメとか、そういうことを制御しているのだが、
同時に、「これつまんねえな」という自己批判もしている。
書くのが辛いときは、たいていこの自己批判が邪魔をしていることが多い。
書く喜びよりも、批判が勝って身動きが取れない状態だ。
自動書記状態のときには、その自己批判理性がいない。
だからモーレツに書ける。
面白いか面白くないかは、自動書記のときは考えない。
(モーレツに面白いと心から信じている。
本当に面白いか面白くないかは、関係がない)
ノンストップライティングは、
それを人為的に出現させる。
そういう練習法。
で。
当然無意識で書くので、
夢日記みたいに滅茶苦茶なことを書く。
あとで読み返しても、意味が分からなかったり、
矛盾していたり、何かのパクりだったりもする。
しかし、少なくともその10分や20分、
あなたは自動書記のトランス状態に入れたということである。
最初は危機が迫ったときにしかスーパーサイヤ人になれなかったのが、
次はいつでもスーパーサイヤ人になれる技術を手にいれるようなもの。
ただし、滅茶苦茶なことを書いてる可能性もある、
というだけのことだ。
さて。
これをやると、「書くことへの恐怖」を取り除くことが出来る。
とにもかくにも、書くだけなら出来るようになる。
使えるところだけ拾ってあと捨てる、
ということに慣れることが出来る。
ノンストップライティングで書いたことの、
一言だけ使ってあとは全捨て、なんて、
しょっちゅうあること。
だけど、20分でそれが出来れば、
三日間書けなくて悩むとか、
半年書けなくて放置するとか、
二度と筆を取らなくなる、
ということを、回避出来るようになる。
少なくとも一語は進み、何かについてのアイデアが、
無意識から出るからだ。
(新作のアイデアが出ることもあるよ!)
書くのが辛いときは、
書くのが怖くなったときだ。
それは、「何を書いても詰まらなくなる」という、
恐怖に取りつかれているときである。
詰まらなくても20分ノンストップで書ける、
という技術を持っていると、
わりと、「どうとでもなる」という意識になる。
「ここのつまらないブロックはこれくらいにして、
さっさと次の面白いブロックに進もう。
ここのブロックは埋めてしまえ」
ということも出来るようになる。
で、ノンストップライティングのときと同じで、
「あとで直せばいいや」と割りきれるようになる。
とにかく最後まで書くのだ。
最後まで書けさえすれば、時間はかかるけど直しに入れる。
最後まで書けてないのは、まだ俺は本気出してないだけという言い訳だ。
童貞は最初にいい女とやるまで捨てないみたいな、
完璧主義障壁があるということを知れ。
ノンストップライティングは、その壁を20分で壊す方法である。
何回かやってもいいし、
一日一回コツコツとやってもいい。
別に発表することもない。
(ちなみにブログや日記には、
ノンストップライティングと同じ効果がある。
もうちょっとまとまったことを書くんだけど)
ノンストップライティングをやると、
貯めないようになる。
インプットとアウトプットのループが出来る。
つまり、書く癖がつく。
実はみんなこれが一番欲しいんじゃない?
書く癖というのは、
実は毎回毎回ヒットをすることじゃない。
空振りしようが転ぼうがかすろうが、
とにかく振り続けることを言う。
それで手応えのあったところだけを、世に出せばいいのさ。
書けない人は、それすらも出来ないってことをイメージすれば、
書く癖ってのは大事なんだよな。
僕はずっと親指シフトの、
「指が喋る」という状態はどういうことなのだろう、
とそれを知りたかった。
日本語入力コンソーシアム(現在の親指シフト:ニコラ配列の主管団体)によると、
分速200から240カナぐらいが、そういう状態らしい。
それって前記事に上げた動画の、123文字/分くらいってことだよね。
で、ほとんどカタナ式は、そこに来てるんだよね。
僕はカタナ式の開発日記を、このブログとは別個に書いている。
思うことをノンストップライティングしている。
あれ?
じゃあ指が喋るって状態って、
いつもやってる手書きの、ノンストップライティング状態か、
ということに、
最近気づいた。
なんだよ。理系の最新の技術でやる最高峰は、
ライター修行のはじめのほうでやることじゃんかよ。
そんなの後生大事にいってんじゃねえよ。
その進歩の遅さが、俺が理系進路を見限った理由なんだよな。
と思い、
ノンストップライティングを記事にまとめてみた。
つまり、こういうことすら知らないで、
ものを書くなんてあり得ないと思うんだよね。
ていうか、アイデア出しの時なんか、
数時間も、何日もこういうことしてるよね。
手書きの時代からね。
僕は何日も徹夜でみんなで企画を練るのに、
若い頃沢山付き合わされた。
肉体的には辛かったけど、
あの企画出しの徹夜会議こそ、ノンストップライティングの鍛練だった。
バンバン書け。あとで直せ。
少なくとも20分自動書記出来るレベルには、
手と脳を鍛えとけ。
つくるを日常にするって、そういうことだ。
2017年08月16日
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