2017年08月17日

複数のストーリーを考えるメリット

一本考えるのもしんどいのに、たくさんも?
デメリットも沢山あるけど、メリットを先に述べよう。

「ふたつ(以上)を比較することで、
これに何が足りないか、何を思いつけば完成か、
分析できる」だ。


ストーリーというのは、
出来る順番はバラバラだ。

核になるものが出来て広がってはいくけど、
その核がストーリーの真の核とも限らない。
(過去記事参照)
そしてどこ方面にストーリーが出来ていくか、
作者すらコントロールは出来ない。

紙に落としたインクが、どっちにどう広がっていくか、
予測できないことに似ている。
(ストーリーというのは自由意思で作っていると錯覚するが、
ほんとうは紙に広がるインクのような、
自然現象かもしれない)


だから、複数のストーリーの出来上がり方は、
毎回毎回バラバラだ。

ということで、複数のストーリーを同時に考えていると、
その出来上がり方の比較が出来る。

何から思いついたのか、
テーマか、キャラか、場面か、トップシーンか、
セリフか、デザインか、モチベか。
それはなんでもいい。
出来る順番が違うということを理解するといい。

で、途中まで組上がったとき、
こっちは第一ターニングポイントが出来ているがこっちは弱いとか、
こっちはサブプロットが複雑だがこっちは足りないとか、
こっちは情だがこっちは理性が強いとか、
こっちは強烈なキャラがいるがこっちはいないとか、
こっちはクライマックスにアイデアがあるけどこっちはないとか、
そういう比較が出来るようになるわけだ。

既に出来上がった完璧な作品と比べると、
「あれも足りないこれも足りない」と焦るばかりだけど、
足りてない同士だから、そこまで焦らなくてよくなる。

なので、
「私はこのストーリーについて、
(足りていない)○○を、次に思いつくべきだ」
という優先事項を分析できるのだ。

(経験的にトゥドゥリストにまとめても、
まとめなくてもいい。
トゥドゥリストを作ると仕事みたいになって義務化して嫌がるか、
備忘録として活用するかの違い)

意識の中で、ふたつのストーリーを重ねて透かす、
みたいなことだ。

紙に書いたものを透かすのがベストだけど、
大きさと位置が合わないと透かしても意味ない。
なので、そのようなものをイメージするだけでいい。

どっちも充実してるパートは濃い影になる。
どっちかがあってどっちかがないと、薄い影になる。
どっちもないところは白。

ああなるほど、こっちはこれがなかったわ、
どっちもまだ○○が出来てないわ、
とセルフチェックが可能だ。


ストーリーを俯瞰できる地図をつくる。
途中状態でも。
で複数のそれらを比較する感じ。

どっちも最初10分ぐらいしか出来てない場合は、
あまり意味がないけれど、
半ばくらいあるときは、どこかが歯抜けになっているので、
それを自覚して集中的にそこに取り組む、
という方法においては、
この比較は役に立つ。



複数のストーリーを同時に考える、
デメリットのほうは沢山ある。

・書けなくなったら別のストーリーに現実逃避してしまい、どれも完成しない
・複数が混ざる
・全体でひとつの作品になってしまい、個々を独立作品として見たとき、
たいして面白くない(マーベルシネマティックユニバースがそうなりかかっている)
・あれはあれ、これはこれ、と自分の中で使い分けてしまい、
各作品の自由闊達さが失われる
・ネタ被りを避けるあまり、上のことを言い訳にしてしまう
・結局どれも面白くないときの絶望
・毎回同じパターンになる自己嫌悪、いやこれは作風という開き直りで客観性を失う
・ざっくりいうと、どっちつかず

などなど。

メリットとデメリットを知りながら、
使いこなしていくといいだろう。
posted by おおおかとしひこ at 15:22| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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