> 初見です。 何故理系からある種文系に変更したのですか。
>一次元性を知りながらも、riskはどんな感じで、 脚本外でお客さんに対する配慮等ございましたら アドバイス宜しくお願い致します。
いつもの脚本論ではないですが、
若者は進路に悩むものだと思うので、参考の為、
人生のひとつの例として書いておきます。
一行で言うと、
「僕は理系に出会う前に、先にドラえもんに出会っていたから」
です。
とくに整理して書けないので、
長いです。
僕が小学生になるころ、丁度コロコロコミックが創刊されました。
アニメの放映と大体同じ時期です。
人生で一番夢中になった漫画とアニメかもしれません。
夢中というよりは、僕の成分のようなものです。
70年生まれの前後の人たちは、そうだと思います。
生れた時からドラえもんがいた世代とは違って、
「ぼくらの物心と同時にドラえもんがスタートした」のです。
てんとう虫コミックスも集めました。
全巻買ってはもらえないから、
友達同士で「〇巻を買ってもらう」なんて決めて、
あいつは〇巻、こいつは△巻、と決めて、
友達同士で回し読みをしていました。
僕が夢中になったのは、道具やストーリーやキャラもさることながら、
藤子氏の科学への造詣です。
大陸棚のこと、倍々に増えていく数学、
恐竜のこと、天気のこと、宇宙のこと。
もしも世界のこと、
人間を成分どおりに入れたら赤ちゃんができること、
タイムパラドックス、ワープのこと。
僕は男の子だったので、学研の図鑑も好きでした。
とくに宇宙が好きでした。
天文学者になりたいとおもったりもしました。
絵も描き始めていたと思います。
小学生のときにはじめて漫画をかきはじめました。
ドラえもん的な、日常の世界に変なキャラが現れる、
ギャグ的なものだったのは覚えています。
このブログの最初の方に「異物論」と称して、
世界へ異物をほうりこむ方法論は、
たぶん藤子不二雄から学んだのでしょう。
だから、僕は、自然科学と、ギャグと、絵をかくことと、
物語が好きなのです。
全部が入ったドラえもんが好きなのです。
だから、
小学校の得意科目は国語と図工なんですよ。
体育はずっとあきらめてます。運動神経ないです。
音楽も苦手です。音程をとれない子供でした。
(大学生になって、歌は教科書的音程を合わせる行為ではなく、
台詞の一種なのだと開眼するまで、大嫌いでした)
だから、文系理系を決めるまで、
どっちの方向性とか、知らなかったんです。
理科と国語と図工(美術)に秀でた子供、
というのも、教師は扱いにくかったでしょうね。
あと、中二で出会った先生方にも影響を受けています。
とくに物理の古川先生には感動しました。
(このブログにもその時のエピソードを書いています)
宇宙へのロマンを思い出し、
そうか惑星はこの運動方程式で動いてるのかと感動しました。
古文の澤田先生の、関西の文化と古文が密接に関係している、
という話にも感動しました。
平安時代の古典の現場に、遠足でよく連れてかれた。
「え〜ず」というcan notの意味を示す係り結びは、
関西弁で、「よう〜でけへん(せえへん)」と訳すと、
もっとも語順一致でニュアンスが出る、と主張しておられ、
そう訳すと〇をくれる人でした。
僕の言葉へのこだわりの基礎はこのあたりかなあ。
現国の中條先生は、はじめて僕の作文をほめてくれた人です。
絵はもちろんいろんな人からほめられてた。
で。
文理の進路を決めるとき、
「物理で習うことには、まだまだ先がある」ということを知ります。
国語や英語は、最悪小説を読んでいけばいいけど、
物理のこの先を知りたいと思ったんです。
僕は数学が苦手でした。
国語が得意ですからね。
でも、それより前に天文学が好きだったので、
理系に進むことになります。
同時に、
僕は漫画を描いていました。
僕が中二(1984)で強烈な影響を受けたのが、
当時のカンフーブーム。
体育が得意じゃないから、強くなりたいという憧れもありました。
ジャッキーチェン映画は、テレビで毎月一回はやってたかな。
北斗の拳の大ブームは少しあとです。
リンかけの阿修羅一族あたりからジャンプは毎週買ってましたね。
当時は180円。
中学のフェンス乗り越えて外に出て、
ジャンプ買いに行ったこともあった。
(朝にフライングゲットする技が広まるのはそのあと)
同時期に僕はプログラミングもやってました。
「ゲームセンターあらし」のすがやみつるが、BASIC入門を書いていた時代。
PC-8001を買ってもらい、
ベーマガを定期購読してゲームを作ってもいました。
ゲーセン通いはその時から。
一番はまったゲームは、ファミコン版ウィザードリィ、
大学でのスト2、バーチャロンです。
(まだネットの黎明期。
アファームド使いの僕が書いた「バーチャロン近接戦闘マニュアル」は、
当時わりと流通しましたね。ネットのどこかで保存されてます)
当時最新の技術は、人工知能です。
プログラムで「知性」がつくれるかも、という最初のブームでしたね。
SF好きの僕がこれに喰いつきます。
理系の進路を考えた時、
天文学よりこっちをやりたいと思ったんです。
宇宙人に会ったり、宇宙の果てを探るより、
ロボットなら先に会えそうだと。
で、機械工学や電子工学には興味がなかったので、
頭脳の方、当時は人工頭脳という言い方もありましたが、
人工知能研究を知りたいと思ったんです。
関西でその学科があるのは、
阪大か京大。
現役で阪大の情報工学科落ちて、
一浪して京大の応用人工知能論(学科は数理工学科)に入ります。
勉強は勉強。
漫画を描いたり映画を撮る(中三、高一でカンフー映画を作った)
のは遊びでできる。
単純に僕はそう思ってましたね。
サークルは、漫研に最初見に行って、次に映研に見に行きました。
ここが人生の分かれ目です。
映研のほうが、かわいい子が多いんです。
京大には、正直いってかわいい子はいない。
しかし、京都女子大や同志社女子の子がサークルに入る。
漫画の好きな女の子と、映画の好きな女の子では、
レベルが違うのですよ。
ということで、映研に入ったわけです。
「最悪漫画は一人で描ける」といいわけして。(笑)
で、そこで8ミリ映画を3本撮りました。
理系かつ京大なので、大学院に進学です。
そこで夢中になった本が、
「ゲーデル、エッシャー、バッハ」という本です。
「人工知能を研究することは、
要するに人間とは何かに踏み込むことなのだ」
ということに気づきます。
じゃあ、俺の興味は、
人間に近いなにかをプログラミングでつくる事なのか、
それとも映画や漫画で、人間とは何かを追求することなのか、
という問いを立てることになります。
(ちなみに天文学者への夢は、
京大での相対性理論の講義で脱落します。
偏微分方程式まではいけたけど、テンソルを学ぶのに、
非可換系の集合論をやってなかったので、歯が立たなかった。
量子力学もかじりましたが、なんで虚数を使うとうまくいくのか、
その理由がわからなくて納得いかず。
すべては方便なのだ、と知るのは、だいぶあとのこと)
卒業を間近に、
「なにを一生作っていくか」ということを考えました。
(商売じゃなくて「つくる」ということを考えてました)
で、教授や当時の研修室のみんなには、
(僕が絵を描いたり映画を撮ってることは知ってましたから)
「僕はドラえもんが好きだったんです。
ドラえもんの頭の中身、つまり人工知能をやりたくてここに来たんですが、
僕がほんとにやりたかったことは、
ドラえもんそのもの(つまりストーリー)をつくることだったんです」
と言ったと思います。
漫画が好きで、映画が好きで、テレビが好きで、
かわいい女の子が好きで、カンフーが好きで、
国語が好きで、絵が好きで、SFやコンピューターが好きなオレは、
こうして、
たぶん全部がはいったもの、
映画を、一生つくっていきたいと、思ったわけです。
で、当時助監督を募集してたのはCM業界だけで、
しかも岩井俊二がCM出身として脚光を浴びていたころ。
色々考えて、大好きな関西を離れて、
僕は東京で勝負することを決めたわけです。
ドラえもんに出会ったから、
理系のいろいろなことが大好きになり、
ドラえもんに出会ったから、
ストーリーのことが大好きになったようなものです。
僕がはじめて見に行きたいと言った映画は
(それまで父親が映画好きだったので、
「2001年宇宙の旅」や「未知との遭遇」はスクリーンに連れてってもらいました。
速攻寝た。小学生だったので、「宇宙からのメッセージ」のほうが好きでした)、
「ドラえもん・のび太の恐竜」です。
小3だったかな。
さて、僕の軸足はどこにあるのか、
自分でもまだ迷っていたりします。
でも僕の作風に、どこか影響を与えてるのではないでしょうかね。
あと乙女座なので、感性の襞が細かいので、少女漫画も好きですよ。
それは映研での、大失恋物語と直結し……(以下略)
だから、
ドラマ「風魔の小次郎」は、
僕の全部が爆発した、
はじめて僕が思い通りにプロでやれた作品です。(予算はのぞく)
あれがなかったら、僕はどこか別のところにいたでしょうね。
ぐだぐだですいません。
自分でも、いろいろ興味を広げ過ぎた感があります。
ピカソみたいに〇〇の時代とか分かれてたら簡単なんですが。
質問の答えになっているでしょうか。
つまり僕は、社会人だろうが、小学生だろうが、
「ほんとうに好きなものに囲まれて、それをつくる人生」
をしようと思っていたのではないかと思います。
だからぼく、邦画の実写嫌いなんですよ。
おもしろいストーリーほとんどないんだもん。
大岡様
最近ブログを読み始めたのですが、
歯に衣着せぬもの言いに感銘を受けています。
と同時に、どっしりとした脚本に対するお考えに
惚れ惚れします。
脚本には門外漢の私ですが、今年度の城戸賞を獲る予定です。私の拙作は是非貴方様に映像化して欲しいくらいです。昨今の日本映画を見てつくづくそう感じます。
暑い夏を乗り切られることを祈って。
草々
城戸賞なんて通過点です。
十本ぐらい入選して、ノーベル文学賞をとってください。
ご健闘を。