2017年08月19日

なぜ牛乳石鹸のwebCMは炎上したか2:メアリースー

あのストーリーの気持ち悪さの正体は、
ここの脚本論で徹底的に叩いている、
初心者にありがちな甘えである。

メアリースーとそれはいう。


メアリースーの解説はここではしない。
過去記事を検索すれば死ぬほど出てくる。
一番古い記事から全部読め。

メアリースーとは、
「私は悪くない。
私はそのまま愛されたいし、
私は私の全能感を満たされたい。
苦労することなく一瞬で」
という甘えた幼児的な願望が、
そのまま主人公に反映されたものである。

これは、よそから見ると、
「この人が悪いのに、
何故か愛されたり誉められたり大切にされて、
しかも奇跡が都合よく起きる」
というように見える。

「そんなわけないやろ。都合よすぎ。
世間はお前の願望に都合よく合わせてくれへんぞボケ」
というように見える。

この怒りが、炎上の原因である。
もっとも、脚本論に詳しくない人はメアリースーのことを知らないので、
「なんとなく気持ち悪い」しか言えない。
だから、目に見えるところを叩く。

しかし叩かれるべきなのは、
父親のリアルな生活でもなく、
母親と子供でもなく、酒でもなく、
「作者の甘え」である。


私は悪くない。私は認めて欲しい。
苦労することなく。
そして奇跡が起こって、
ちょっとごめんっていったら許してくれて、
何故か子供が起きてきて走ってきて欲しい。

そういう、ちんけな甘えだ。

そしてその奇跡が、牛乳石鹸で起こるんだってさ。
そんなバカな。

牛乳石鹸の中の人は、
この作者に怒った方がいい。
「お前の願望に都合よく奇跡を起こすために、
うちの大切な商品を流用しないでください」と。

「うちの石鹸は、汚れを落としたり、
添加物なしで肌に優しくするために、
頑張っているのです。
あなたの甘えを覆い隠すためにあるのではない」と。


恐らく、牛乳石鹸の中の人も、
炎上させる人々も、
メアリースーという言葉を知らないから、
モヤモヤだけが残ったまま、
日々は進むだろう。


物語とは行動である。
行動によって問題を解決することだ。
この主人公は、問題を解決したか?
行動したか?
一回だけ行動した。「ごめん」と謝っただけ。

これは、メアリースーのテンプレとして僕が出した、
「落下する夕方」テンプレそのものではないか。

メアリースーには、すべてを許してくれる、
ビッグマザーがいたのであった。
それは妻と子供だ。

普通の妻と子なら、だいぶ怒ってるよね。
先に怒って寝ちゃうよね。
それがごめんっていったら許してくれる?
ビッグマザーもいいとこだぜ。甘えてんじゃねえよ。


あれ?
これって何かに似てるね。

僕の大嫌いな、東京ガスのCMだ。

毎日辛いけど弁当を作った母親が、
息子から「ありがとう」と弁当に入った手紙を受けとるやつと、
就職活動が辛くて落ち込んでる女子大生が、
母親に手作りの料理を作ってもらうやつ。

三本すべてに共通するのは、
・前半から中盤、後半ぎりぎりまで、
ひたすら主人公の辛さを描く
・なんの行動もなく急にビッグマザーに認められる
・泣く、ほっとする、よかったと思う
・それは、「自分が悪くない」から。
という構造だ。

物語とは行動である。
行動によって問題を解決することだ。
これらは三本とも、
問題を解決するために、自ら行動しない。
何故か相手に認められておしまいだ。

だから、根本的な問題は解決していない。

あれ?
そういえば「かもめ食堂」も同じ構造だね。
僕はこの作品についても、おばさんの願望とこき下ろした。
何故ならそれは、メアリースーという甘えだからだ。

この映画も、CM系の人が作ったんだよね?
CMには、メアリースーだらけじゃん。
無能脚本家だらけじゃん。



人生は、切り開くものだ。
切り開く勇気を出さずに、ただ認められて幸せ、
なんてのは、待っているだけの乙女のすることだ。

甘えてんじゃねえ。

物語とは行動である。
物語とは人生である。

炎上した理由は簡単だ。
この父親は甘えているからだ。

あと、牛乳石鹸の広告にもなっていないから、
僕はCM業界人として、下手くそ!とこき下ろしておく。
posted by おおおかとしひこ at 00:43| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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