ここの脚本論は、ストーリーを書こうとする人のために、
ストーリーとはなんぞやということを僕なりに書いている。
では、このストーリーの作者の甘えについて、
構造を見ておこう。
以下、()の中が作者の本音である
序盤〜中盤
主人公のつらさ(つらい私に感情移入してほしい)
後輩を飲みに連れていく(仕事と家庭に引き裂かれる俺。
ヒーローは家庭から理解されないのだ)
(辛さに耐えるだけだよ。自分から行動できないよ。
したらリスクあるじゃん。男はつらいねえ)
家に帰って、責められる(言い訳しないのがカッコいい)
ターニングポイント:
風呂入ってリセット(ハイここ商品入ってCMになったよ!
怒ってるのに「風呂入る」はおかしくね?
CMなんだからいいじゃん不自然でも!)
結末:
謝ったら許してくれた(俺は悪くない。
それを全部認めて。勇気だして「ごめん」て言うことは、
俺にとって大変な行動なんだ)
(ああ、妻も子供もわかってくれた。やっぱり俺は愛されてるなあ←一人悦)
日常が戻る(雨降って地固まるとはこのことさ。ふふふ←一人悦)
ブリッジ:さ、洗い流そ。
(気持ちもスッキリ、汚れもスッキリ。
石鹸は心の汚れやわだかまりも洗い流すのさ←一人悦)
僕が以前出したメアリースーの典型「落下する夕方」テンプレもこうだった。
「主人公は最後に(ごく簡単な)一歩を踏み出して終わる」だ。
作者は甘えているから、なるべく楽したい。
だから行動はラストまでせず、流されるだけである。
そして最後に自分からごくごく簡単なことしかしないくせに、
なぜかハッピーエンドになる。
それは、甘えているからだ。
ストーリーというのは、
問題がはじまって、主人公が行動するのに、
最初の1/4以内でなければならない。
というのは、
行動を起こしたら反発や波紋が広がるからだ。
主人公は、それに対して責任をとり、
なおかつそれを解決しなければならない。
その為に次の行動をし、それが波紋をまた呼んで…と、
連鎖的に事態が転がっていくのが中盤だ。
中盤は全体の半分は欲しい。
そうでないと、ことを起こしたらすぐ解決してしまうので、
主人公の苦労(行動を起こした責任)が伝わらないからである。
それがどう報われるのかを描くのがラストだ。
主人公の行動の連鎖、世間の抵抗や波紋は、
ここに来て大団円を迎える。
主人公の行動は意味があったし、
それは世間にとってもいいことになった、
というのがハッピーエンドだ。
主人公は遅くとも1/3までに行動をするべきだ。
何故なら、
ストーリーとは、「行動に結果で責任をとるまでの過程」だからである。
これが本体である。
「わたしの辛い現状」は本体ではなく、前菜である。
辛い現状を打破するために、何か行動を起こしたのだが(序盤)、
それが波紋を呼びそれにまた行動をしたら、
また大変なことになり、事態を収集しようとしたらまた色々あり(中盤)、
最終的には大団円となった(クライマックス)
というのがストーリーだ。
この甘えた作者はそれを知らず、
行動を起こす前の序盤ばかり描いていた。
なぜか。
「行動を起こし、抵抗する世間ごと幸せな結果に導く」を、
実生活でしたことがない、子供だからである。
子供だから、ビッグマザーに甘えたいのだ。
子供だから、どうやったら他人を幸せにして、かつ自分も幸せになれるか知らないのだ。
アメリカ映画においては、
そんな大人をヒーローという。
主人公という言葉に対応する英語は、heroである。
何が甘えで、甘えでないことはどういうことかを、
分かりやすく書いてみた。
もしこの主人公がヒーローであるならば、
「ごめん」と謝るまでが全体の1/4で、
そこから機嫌を損ねた妻と子に対して、
もう一度ちゃんとした誕生日をするまでの、
悪戦苦闘を中盤とし、
それが成功して、
「飲みに行かずまっすぐ帰ってきた場合よりも、
もっといい誕生日になった」
という結末を迎えなければならない。
それが、この設定で要求されるドラマの水準だ。
悪戦苦闘が中盤の色々だ。
抵抗されるだろう。世間は白い目で見るだろう。
後輩に協力を仰いでも断られるだろう。
そういうものから、クライマックスへ徐々に盛り上げるのが中盤だ。
このフィルムは、2分半ほどあった。
2分40秒としても、
誕生日の失敗から風呂入る、ごめん、行動開始:40秒
悪戦苦闘:80秒
クライマックス:40秒
というバランスで書かなければならない。
しかるに、尺は計ってないが、
辛い日々:2分
風呂とごめん:30秒
くらいのバランスになっている。
この男は何もしていない。
風呂に入ってごめんと言っただけだ。
それはストーリーではない。
子供である作者の、最も大きな行動である。
子供はストーリーが書けない。
相手も人であることを理解してないし、
行動に制限がある。その代わり責任もない。
社会的責務もない。
逆に、ストーリーとは、
相手も人であることを前提にし、
行動はすべてをやるべきで、責任が全部被さってきて、
社会的責務も発生するなかで、
ハッピーエンドをもたらすことを言うのだ。
この話(話のレベルに達していない)の作者よ。
顔から火を出して黒焦げになれ。
脚本を書くレベルにない者がプロでやると、
こういうことになり、二度と立ち直れないだろう。
ここの脚本論の読者は、こうならないように、
自分の子供の部分と大人の部分を、
うまく自覚して制御しながら、ストーリーを書いていこう。
ああ心地いいなあというのは危険だ。
何かに酔ってる可能性が高い。
酩酊は観客全員を巻き込むものだけにするべきで、
自分の願望の実現に酔っている場合ではない。
ストーリーを書くのは痛くて辛い。
この場合で言えば、
「飲みに行かずまっすぐ帰ってきた場合よりも、
もっといい誕生日をする」になるまでの、
起伏ある七転八倒を考えることは、
相当難しく骨がおれる。
一回ぐらいどんでん返しもほしいね。
(難しいから、普通そんな設定の話は作らないものだが)
それから逃げるのは、甘えだ。
2017年08月19日
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