編集とは、切り貼りや交換によって意味を作る行為だ。
風呂入るまで同じ。
風呂にタイトルが入る。「さ、洗い流そ。」
風呂から出てくる主人公。ごめん。
牛乳石鹸のロゴ。
これならば、少なくとも、
牛乳石鹸は、汚れを(それは心にたまったものも)
洗い流す、という、広告的意味を伝えることができる。
この編集をすれば少なくとも広告にはなる。
出来のわるいストーリーではあるが。
以下脚本論。
暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう。
改訂をためしてみる。
つまり、夫が逃げちゃダメだと向き直るストーリーにたいして、
罪にたいしての贖罪が釣り合っていないわけだ。
子供はもう寝てるだろ。
居酒屋に持ってったケーキ大丈夫か。
斜めにケーキ持ってたから絶対ぐちゃぐちゃだ。
グローブ買っただけで一緒にキャッチボールしてない。
(伏線の未解消)
電話に出なかった件(伏線の未解消)。
あの飾りつけを作ったのは夫婦どっち。
それを、後輩を連れてっていいカッコしようと思ったがそれもうまくいかなくて、
それで誕生日を台無しにしたオレ、
もうダメだと無様に言い訳を言ったとしても、
「だからなんだい。言い訳はわかった。
それに対して何をしてくれるんだい」
と言われるだけだ。
マイナスに対するプラスが必要だ。
主人公は、それを行動で示さなければならない。
ここは都合よく子供が(夫婦喧嘩により)起きてきてしまったことにして、
真夜中にキャッチボールをすることにすればいい。
妻も一緒にするべきだ。
だんだん面白くなってきて、
思わず声を出して住人に怒られてすいませんと謝って、
無言で「しーっ」てやりながら真夜中のキャッチボールをする、
なんて絵もチャーミングだろう。
で、三人で狭い風呂に入って背中を流せばいい。
そのときにはじめて、
「さ、洗い流そ」と言えばいい。
典型的な親父にはなれなかったが、
不格好ながらも自分なりの親父になれた、
というところで終わればいいのだ。
このストーリーがよくないのは、
マイナスに対してプラスがなさすぎることだ。
マイナスのまま終わるから、
幸福が来ないのである。
だから、そんなもの見せる意味ある?と思うわけだ。
勿論、「真夜中のキャッチボール」が最適解かどうかは知らない。
もっといい案もあり得る。
むしろ知恵を絞るべきは、そこの部分だ。
どうあれば、これらのマイナスをチャラにする、
いや、それ以上のプラスになるかだ。
マイナスで始まるのは構わない。
マイナスをプラスに逆転できれば気分がいい。
マイナスで終わるのがよくないだけだ。
人生と同じだと、僕は思う。
物語とは、架空のなにかではない。
架空の形をした、人生そのものだ。
2017年08月19日
この記事へのコメント
大岡様 いつもありがとうございます。素朴な疑問をいいでしょうか。なぜ、これほどまでにダメなCMを、牛乳石鹸はOKしてしまったのでしょうか。素晴らしい!これは絶対ウケる!と内輪受けし、世間の人達もきっと共感する!と確信したとすれば、牛乳石鹸サイドもまた、メアリースー病だったということでしょうか。
Posted by すーざん at 2017年08月19日 19:22
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