2017年08月20日

解決には、驚きがなければならない

ただ単に、誰もが分かることをやってもしょうがない。
前半で驚きがあって後半になかったら、
ピークは前半だ。

つまり、後半のクライマックス、
感情のピークに、驚きの解決法を持ってくるのがベストだ。


衝撃のどんでん返し!
衝撃のラスト15分を目撃せよ!
あっと驚く結末!

なんて煽り文句がよくあるけれど、
そんなのとは関係なく、
解決には驚きがあるべきだ。

驚きのないクライマックスは、
スパイスが足りないと思う。

こうなるんだろ?という期待に対して、
そのままを出すのは、
なかなか気持ちいいものだが、
それを少し越えてほしい、
という贅沢な要求が人にはあるからだ。

それは一種のサービスかも知れない。
メニューに書いてあるやつより、
ちょっと多目に盛ってあるとか、
小さなおまけがついてるとか、
そういうやつだ。

それは、ちょっとしたサプライズになるわけだ。


驚きを使うのは、こちらのやり方を通す、
ポピュラーな方法である。
「あなたのダイエットは間違っていた」と言われれば驚くし、
どういうことだと話を聞いてもらいやすくなる。
(ダイエットではもはや使い古された手法なので、
あなたの挨拶は間違っていた、とかなら聞いてくれるかも)

先入観が崩れると人はうろたえるものだ。
そこに新しい、矛盾のない真実を置くと、
なるほどねと納得する。

驚き→うろたえ→新しい論理→なるほど、
の過程だ。

これは科学の発展と同じで、
おそらく人類の普遍的な、何かの理解の仕方なのではないかと考える。


クライマックスでは、テーマを理解する、
という段階がある。
うまくいくと、これを利用できるわけである。


つまり、ただクライマックスで驚きの解決法を示しても、
単なるスパイスに過ぎない。
それがテーマに落ちたとき、
なるほどなあという深い部分に落ちるわけだ。


ところで、
驚きを作るのは容易なことではない。
単に意外なことをするのは誰でも出来る。
(一番簡単なのは、全裸になればいい)

問題はそのあとで、
なるほどね、と納得いくような、前振りとしての驚きになるかどうかだ。
(全裸になる納得いく理由がないなら、
それは単なる驚き目的であり、その後の納得目的ではない)


その場の空気を全部ひっくり返して、
さらにそれ以上の納得を用意するのがベストだけど、
それは中々難しいので、
大抵はこれに伏線を使う。

あれのあれはこういうことだったのか!というわけだ。

そこには、驚きと納得が、セットであるわけだ。
上手な伏線とその解消ほど、
驚きをうまく作り、
全てをひっくり返し、
しかも種明かしの納得度が高く、
しかもテーマに落ちているものである。

その最もよい驚きの解決法は、
「ゲーム」「ソウ」「アンブレイカブル」「ヴィレッジ」に見ることができる。
ネタバレを避けるためここでは深入りしない。


で。

実のところこれを作るのは難しい。
だからこそ、
下手くそな人は驚きだけをやりたがる。
その責任を取れず、未完に終わっていくのがほとんどだ。
映画「マルホランドドライブ」はその典型だし、
エヴァも恐らくそうなるだろう。
狼少年と同じだ。
狼が来た!は驚きだが、
肝心の狼がいないのなら、それはハッタリ野郎である。

だから、驚きの展開とか、衝撃のラスト自体は、
作ることは簡単なのだ。

そこから、腑に落ちるかどうか、納得いくかどうか、
テーマに落ちているかどうかが、問題だ。

そういう意味で「ユージュアルサスペクツ」の、
有名なラストは、僕は認めていない。
狼少年の新しいやり方であったことは認めるが、
それがテーマを語ることに関係ないし、
そこで提出された世界観は、
映画全体で用意されたものにはみえない。

ゲームやソウは、それが最初から仕組まれていて、
見事にラストに結実する完璧さがある。
それには敵わないと僕は見ている。
これらに比べれば、ユージュアルサスペクツのそれは、
単なるミステリーのトリックをひとつ発明したレベルだと思う。
それはそれで凄いんだけど。


余談だが、ファイアパンチは、
そろそろ狼少年確定かも知れない。
行き掛かり上ラストまで付き合うが。

思い出すに、GANTZもそうだった。
ピークは宇宙人襲来の驚きと納得
(このための訓練だったのか!)と、
巨大スーツあたりだったかな。
それがラストに結実していれば傑作ランクだったのだが、
急に微妙作に成り下がったねえ。
竜頭蛇尾、羊頭狗肉とはこのことである。



つまり。
竜や羊は、クライマックスからラストにあるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 17:17| Comment(4) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ユージュアルサスペクツに関しては元々アガサクリスティの作品「アクロイド殺し」のトリックを元にしてますからトリックの発明でもなんでもありませんよ。

映画にしてもヒッチコックが同様の試みをして失敗作だったと本人が述べている「舞台恐怖症」や、黒澤明の「羅生門」も同じテクニックを使っているので別段新しいものではないと思います。
Posted by kentya at 2017年08月20日 18:55
kentyaさんコメントありがとうございます。

ご指摘ありがとうございます。
だとするとユージュアルサスペクツに映画史的価値はねえな。
ネタバレにつきちゃんと比較して論じてるのを探すのがしんどいですね。自分でわざわざ比較検討するのも面倒だなあ。

僕はむしろ舞台恐怖症(未見)がどう失敗したか比較したいです。
羅生門とは、驚く場所(ラストかどうか)という点で、
構成が違うので別物と考えます。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年08月20日 22:00
記事とは全然関係ないですが
無限の住人とファイアパンチの作者が対談してました。
ご興味があれば。
http://www.shonenjump.com/p/sp/1706/fp_interview/
Posted by DDD at 2017年08月20日 22:31
DDDさん情報ありがとうございます。
興味は…ねえーッ!(車田アッバー)
Posted by おおおかとしひこ at 2017年08月20日 23:19
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