2017年08月21日

ためているスタックは、いくつあるか

物語というのは、沢山のことが同時進行する。
ひとつだけのプロットラインを追うのは、単調だ。
ふつうは、登場人物ごとに目的や焦点を分けて、
複数の目的や焦点が同時進行しているように描く。
一人のイコンが、その焦点、というペアにする。
もちろん、一人の中で複数の問題を抱えていてもよく、
(よくあるのは、メイン問題とラブストーリー)
混乱さえしなければ、いくつあっても構わない。

ところで、それは進行せずに、スタックすることがある。
それを自覚的にコントロールできているか。


ある焦点を追っている。
それは途中でおいといて、
別の焦点をはじめる。
それを途中でおいといて、
また元にもどるときもあれば、
別の焦点がはじまることもある。

それを織りなすのは、指揮者であるあなたの采配である。
いくつのプロットを同時進行させるのか、
それをどの順で見せるのか、
ある路線の何が別の路線に影響して話が進むか、
などを編成するのはあなただ。

しかし、観客からすると、
複数のスタックが同時にある状態であることに注意されたい。
ひらたくいうと、
「あれのあれはどうなったんだっけ」が、
たくさんたまっている、ということである。
それがそう思ったときに、素直に提示されると、
人は安心する。
「ああそうそう、それの続きが見たかったのだ」と思い、
素直にその展開に夢中になってくれる。
そこに別のプロットラインが混ざって来て、
融合した展開になったり、複数の焦点に分れたりもする。
そういう順番を構成ともいうわけだ。

しかし、
「あれのあれはどうなったんだっけ」というのが、
思ったとしてもなかなか来ないとき、
人はフラストレーションがたまる。
そして、それが一定数たまると、
「覚えきれないから、もうどうでもいいや」とあきらめる。
その一定数はいくつかは分らない。
人にもよるし、重大さにもよるかもしれない。
「これ、あとで伏線に使うんだろうなあ」と、
スタックしておいても、忘れることもよくある。
まさに忘れた頃に出す為に、スタックし続けることもある。
しかしそれは下手のやり方である。
「伏線は記憶に鮮烈に残ることを、
別のやり方で使う」ほうがいいからだ。
このことについては、過去記事を参照されたい。

忘れるほどにスタックさせると、
「もうどうでもいいや」と、
疲れてしまうことがよくある。
記憶負担が多くなるからだ。
「ずーっとこっちは覚えているのに、
なかなかそれに触れてくれないなんてひどい」と思ってしまうわけだ。

逆に、それでフラストレーションを一時ためといて、
満を持して出せば「キター」となるわけだ。
つまりじらしプレイである。

じらしの上手な人と、下手な人がいるということだ。
そもそもじらしをせず、一本道しか書けない人、
じらしをやろうとしてもフラストレーションをためすぎてしまう人、
じらしをやろうとしても我慢できずすぐ出しちゃう人、
思わせぶりなことを書いといて忘れてて、じらしに気づかない人、
じらしを悪用してハッタリに使う人
(なんかあるんだろうなと思わせただけ)は、
下手である。

上手なじらしを学ぶべきだ。

上手なじらしは、
スタックをひとつに絞る。
ずっとそれだけを待たせるのが上手い。
「ワンピースの意味」というのが、ぼくはなかなかうまい手だなあと思っている。
もっとも、最後のネタバラシでこけたら目も当てられないが。
(だからそれが怖くて、じらしの結末をつけない、
怖がりもたくさんいるよね)

いくつスタックしている?
それを常に把握して、
じらしの波状攻撃ができるようになったら、
ストーリーテラーになってきたといえるのだろうね。
posted by おおおかとしひこ at 17:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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