物語というのは、沢山のことが同時進行する。
ひとつだけのプロットラインを追うのは、単調だ。
ふつうは、登場人物ごとに目的や焦点を分けて、
複数の目的や焦点が同時進行しているように描く。
一人のイコンが、その焦点、というペアにする。
もちろん、一人の中で複数の問題を抱えていてもよく、
(よくあるのは、メイン問題とラブストーリー)
混乱さえしなければ、いくつあっても構わない。
ところで、それは進行せずに、スタックすることがある。
それを自覚的にコントロールできているか。
ある焦点を追っている。
それは途中でおいといて、
別の焦点をはじめる。
それを途中でおいといて、
また元にもどるときもあれば、
別の焦点がはじまることもある。
それを織りなすのは、指揮者であるあなたの采配である。
いくつのプロットを同時進行させるのか、
それをどの順で見せるのか、
ある路線の何が別の路線に影響して話が進むか、
などを編成するのはあなただ。
しかし、観客からすると、
複数のスタックが同時にある状態であることに注意されたい。
ひらたくいうと、
「あれのあれはどうなったんだっけ」が、
たくさんたまっている、ということである。
それがそう思ったときに、素直に提示されると、
人は安心する。
「ああそうそう、それの続きが見たかったのだ」と思い、
素直にその展開に夢中になってくれる。
そこに別のプロットラインが混ざって来て、
融合した展開になったり、複数の焦点に分れたりもする。
そういう順番を構成ともいうわけだ。
しかし、
「あれのあれはどうなったんだっけ」というのが、
思ったとしてもなかなか来ないとき、
人はフラストレーションがたまる。
そして、それが一定数たまると、
「覚えきれないから、もうどうでもいいや」とあきらめる。
その一定数はいくつかは分らない。
人にもよるし、重大さにもよるかもしれない。
「これ、あとで伏線に使うんだろうなあ」と、
スタックしておいても、忘れることもよくある。
まさに忘れた頃に出す為に、スタックし続けることもある。
しかしそれは下手のやり方である。
「伏線は記憶に鮮烈に残ることを、
別のやり方で使う」ほうがいいからだ。
このことについては、過去記事を参照されたい。
忘れるほどにスタックさせると、
「もうどうでもいいや」と、
疲れてしまうことがよくある。
記憶負担が多くなるからだ。
「ずーっとこっちは覚えているのに、
なかなかそれに触れてくれないなんてひどい」と思ってしまうわけだ。
逆に、それでフラストレーションを一時ためといて、
満を持して出せば「キター」となるわけだ。
つまりじらしプレイである。
じらしの上手な人と、下手な人がいるということだ。
そもそもじらしをせず、一本道しか書けない人、
じらしをやろうとしてもフラストレーションをためすぎてしまう人、
じらしをやろうとしても我慢できずすぐ出しちゃう人、
思わせぶりなことを書いといて忘れてて、じらしに気づかない人、
じらしを悪用してハッタリに使う人
(なんかあるんだろうなと思わせただけ)は、
下手である。
上手なじらしを学ぶべきだ。
上手なじらしは、
スタックをひとつに絞る。
ずっとそれだけを待たせるのが上手い。
「ワンピースの意味」というのが、ぼくはなかなかうまい手だなあと思っている。
もっとも、最後のネタバラシでこけたら目も当てられないが。
(だからそれが怖くて、じらしの結末をつけない、
怖がりもたくさんいるよね)
いくつスタックしている?
それを常に把握して、
じらしの波状攻撃ができるようになったら、
ストーリーテラーになってきたといえるのだろうね。
2017年08月21日
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