前記事の続き。
なぜこれを書いたかというと、
初心者の思い込みをまず融解させるということもあるけど、
脚本打ち合わせで、しょっちゅうこういうことが起こるからである。
脚本打ち合わせには、複数の人が参加する。
そして全員が脚本家ではない。
だから、素人なりにアイデアを出す。
それに多いのが、前記事で上げたものだ。
すごいオープニング(あとは考えて)、
魅力的な人物やコンビ(あとは考えて)、
世界観(あとは考えて)、
すごそうな事件(あとは考えて)、
大どんでん返し(残りは考えて)、
斬新な構成(あとは考えて)、
と、すべて、
「おれはここまで考えたから、あとはよろしく」
と無茶ぶりされることが、非常に多いということ。
「いやいやいや、なんも考えてないし、
それは何もストーリーに関係ないどころか、
ストーリーをそれにはめなきゃいけなくなるので、
余計難しい袋小路でっせ」と、
その場で説教できればいいけど、
たいてい年上の人ばかりだから、
「それで、どんな事件が起きて、
どんな解決があるんですか?」と聞けばいい。
無茶ぶりをストレートに返せるのは、
その思いついた現場だけだ。
そうすれば相手は困る。
次は考えていないからだ。
その場でなにかを足していっても、
袋小路にはまっていく。
そういうときに、
すでに用意した、
「とても面白い事件と、
その見事な解決、そして目を離せない展開」
を見せれば、ぐうの音も出ないというわけだ。
もっとも、たいていこうはいかなくて、
脚本打ち合わせに、
全然関係ないアイデアを突然思いつかれて、
これ入んないかな、なんて相談されることはしょっちゅうだ。
そして素人ほど、自分のアイデアを却下されることに慣れていないから、
却下すると傷ついたりする。
それでも鬼になって却下しないと、甘え癖がつくので、
首尾一貫した論理性から却下することだ。
気持ちで採用不採用を決めるのではなく、
論理で断るのがよい。
もっとも、それまでに論理性のあるストーリーが構築されていない限り、
その却下に必然性はなくなるけど。
つまり、脚本というのは、
そこらで簡単に思いついた、
一貫性のないアイデアに、
簡単にレイプされかかる、
ということを言おうとしている。
漫画原作の脚本のむごさは、
こうした、その場の思いつきの、
首尾一貫性のない、非論理的なものの集合体であることに起因する。
たとえば「進撃の巨人」のむごい脚本は、
そういう一貫性のなさに支えられている。
例で出した以外にも、
「こういうビジュアルを思いついた」
「こういうシチュエーションを思いついた」
「こういう台詞を思いついた」
と、前後の脈絡のないものを思いつく人はたくさんいる。
それ入る場所ないし、と断っても、
「それをつくるのも仕事」と説得されることもある。
そしてたいてい、
前後の脈絡に無理のある、
よれたストーリーになってゆく。
強固なる首尾一貫。
無駄のない論理構造。
すべてが計算されて、無駄なきこと。
それがそもそもできていないと、
その隙を突かれて、
なよなよになっていくこと間違いなしである。
そんな現場が当たり前だから、
僕みたいに理屈で論破する人は嫌われる傾向にある。
作品を大事にするか、
世間を渡ることを大事にするか、
選ぶのは自由だが。
ということで、
どんな人でも、アイデアを言う権利はある。
しかしそれがストーリーのアイデアであるときのみ、
検討するがいい。
2017年08月22日
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