2017年08月22日

これを思いついても2

前記事の続き。
なぜこれを書いたかというと、
初心者の思い込みをまず融解させるということもあるけど、
脚本打ち合わせで、しょっちゅうこういうことが起こるからである。


脚本打ち合わせには、複数の人が参加する。
そして全員が脚本家ではない。
だから、素人なりにアイデアを出す。
それに多いのが、前記事で上げたものだ。

すごいオープニング(あとは考えて)、
魅力的な人物やコンビ(あとは考えて)、
世界観(あとは考えて)、
すごそうな事件(あとは考えて)、
大どんでん返し(残りは考えて)、
斬新な構成(あとは考えて)、
と、すべて、
「おれはここまで考えたから、あとはよろしく」
と無茶ぶりされることが、非常に多いということ。

「いやいやいや、なんも考えてないし、
それは何もストーリーに関係ないどころか、
ストーリーをそれにはめなきゃいけなくなるので、
余計難しい袋小路でっせ」と、
その場で説教できればいいけど、
たいてい年上の人ばかりだから、
「それで、どんな事件が起きて、
どんな解決があるんですか?」と聞けばいい。
無茶ぶりをストレートに返せるのは、
その思いついた現場だけだ。

そうすれば相手は困る。
次は考えていないからだ。
その場でなにかを足していっても、
袋小路にはまっていく。
そういうときに、
すでに用意した、
「とても面白い事件と、
その見事な解決、そして目を離せない展開」
を見せれば、ぐうの音も出ないというわけだ。

もっとも、たいていこうはいかなくて、
脚本打ち合わせに、
全然関係ないアイデアを突然思いつかれて、
これ入んないかな、なんて相談されることはしょっちゅうだ。
そして素人ほど、自分のアイデアを却下されることに慣れていないから、
却下すると傷ついたりする。
それでも鬼になって却下しないと、甘え癖がつくので、
首尾一貫した論理性から却下することだ。
気持ちで採用不採用を決めるのではなく、
論理で断るのがよい。
もっとも、それまでに論理性のあるストーリーが構築されていない限り、
その却下に必然性はなくなるけど。


つまり、脚本というのは、
そこらで簡単に思いついた、
一貫性のないアイデアに、
簡単にレイプされかかる、
ということを言おうとしている。

漫画原作の脚本のむごさは、
こうした、その場の思いつきの、
首尾一貫性のない、非論理的なものの集合体であることに起因する。

たとえば「進撃の巨人」のむごい脚本は、
そういう一貫性のなさに支えられている。

例で出した以外にも、
「こういうビジュアルを思いついた」
「こういうシチュエーションを思いついた」
「こういう台詞を思いついた」
と、前後の脈絡のないものを思いつく人はたくさんいる。

それ入る場所ないし、と断っても、
「それをつくるのも仕事」と説得されることもある。
そしてたいてい、
前後の脈絡に無理のある、
よれたストーリーになってゆく。

強固なる首尾一貫。
無駄のない論理構造。
すべてが計算されて、無駄なきこと。
それがそもそもできていないと、
その隙を突かれて、
なよなよになっていくこと間違いなしである。


そんな現場が当たり前だから、
僕みたいに理屈で論破する人は嫌われる傾向にある。
作品を大事にするか、
世間を渡ることを大事にするか、
選ぶのは自由だが。


ということで、
どんな人でも、アイデアを言う権利はある。
しかしそれがストーリーのアイデアであるときのみ、
検討するがいい。
posted by おおおかとしひこ at 18:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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