中盤を書くことは難しい。
仮に問題設定と見事な解決を組むことができても、
それを魅力あふれる中盤で見せていくことは、
才能と技術の両方が必要だ。
Bストーリーをどうするか決めるといい、
という視点で論じてみよう。
まず、メインプロットがある。
メインとなる事件と、解決のペアの線である。
主人公がそれに巻きこまれ、あるいは自ら渦中に入り、
それを見事に解決するまでの、メインストーリーである。
これをAストーリーという。
ところが、おはなしというのは、
それだけでは意外と単調でもたない。
もっと寄り道してほしいと願うものである。
それはおそらく、
人は一つのことを連続して考えていると飽きてしまうからである。
なんとも贅沢な話だよね。
逆に、たったひとつのプロットだけで、
ずっとひきつけ続けられるのならあなたは天才なので、
そのまま書いてみたまえ。
たとえば、
殺人鬼から逃げるだけのメインプロットで、
最初から最後まで集中力の途切れない話、
なんてめったにないだろうね。
ということで、
たいていメインプロットには別の話が入ってくる。
挿入されたり同時進行になる。
それをサブプロットという。
何本あってもよい。混乱しなければ。
(たいてい複数の登場人物が出てきたら、
その人分のサブプロットがある)
で、そのうち最大のメインのものを、
メインサブプロットということにする。
多くの脚本理論では、Bストーリーと呼ばれるやつだ。
(メインの事件解決に対して、
Bストーリーはラブストーリーであることが、
ハリウッドでは多いらしい)
本題。
Bストーリーはどうあるべきか?
僕は、
「ABの二本で本筋を構成する」と考えて、
Bストーリーをつくるとよいと考えている。
つまり、「ABの二本立てで一本の話、と考えた時に、
どういう二本立てが面白いか」ということで考えるといい。
容易に考えられるのは、
ABを対比的にすることだ。
似たようなものでありながら、
表裏一体の関係になるのがいいだろうね。
Aが調子いいときはBが下がり、
また逆もあるだろう。
そういう意味で、対照的なふたつが同時進行する、
というのは、典型的なサブプロットだったりする。
それは、ある意味「同じテーマを逆からみた関係」になっていることが多い。
たとえばドラマ「風魔の小次郎」の十話では、
任務に忠実がゆえ心を通わせない竜魔と、
任務のことを考えつつも、
人として生きようとする小次郎の生き方が対比される。
それはテーマ「新しい忍び」
(心を殺すことではなく、人間としても懐に入って、
忍びとしても人間としてもいきていく)
ということを浮き彫りにする。
だから小次郎の恋はうまく行くし、
蘭子さんの恋はうまく行かない。
うまく行くかどうかは、つまり人間として生きることを、
肯定するかしないかの差だというわけだ。
このことによって、テーマを浮き彫りにするわけだ。
ふたつの両極端になるものは、
どうしても対比法になる。
ライバル同士のサブプロットは、
互いに対照的な生き方になるだろう。
敵味方のサブプロットは、
同じテーマを裏表から見たものになるはずだ。
また、同じ人物内でサブプロットを走らせてもいい。
プライベートと仕事、なんてのは典型的な表裏一体のサブプロットだね。
もちろん、これらのストーリーラインが交わらないのは、
ふたつある意味がない。
ひとつのストーリーがもうひとつに影響を及ぼしたり、
(たとえば仕事が長引いたせいで、恋人のデートに間に合わなくなる。
仕事が首になったので、彼女の部屋にヒモとして転がり込む、など)
ふたつが鉢合わせする、などである。
その二本立てのストーリーが、
どう絡み合い、どう展開し合うのか、
そのタイミングをずらしたり合わせたりするだけで、
最初は精いっぱいかも知れない。
しかしそれがサブプロットの基本である。
おそらくもっとも出来のいいストーリーは、
ABの二本のストーリーラインだけで勝負したものだと、
僕は考えている。
CDE……とサブプロットの数をいたずらに増やすのは、
あまり褒められたものではない。
それらを絡め始めると、すぐ迷路になり、
どれかが迷子になるからだ。
(あれのあれはどうなったんだっけ、なんてすぐなる。
また、解決のタイミングがバラバラで、
一気に解決するようなカタルシスを組むのが大変難しい)
たった二本の絡み合いだけで、全てを表現する勝負をしてもいい。
白黒だけで全ての写真を撮るように。
主人公と、誰で、その世界は構成されるのか想像しよう。
その二人が抱えた目的や動機を把握しよう。
それぞれの行動を考えよう。
いつかその二人はどこかで出会うことになる。
一回出会うだけで終わりなのか、
何回か会うことになるのか。
二回目や三回目はどうなるのか。
立場やその時の目的や危急なことは違うのか。
それらを考えていくうちに、
「その世界は、その二人で出来ている」とでもいえるような、
二本の主軸が出来て来る。
ラブストーリーはまさにそうやって作る。
主人公だけの話ではなく、
相手も十分に描かなくては面白くない。
なんで女主人公の話が「恋も仕事も!」になりやすいかと言うと、
恋がAストーリーで仕事がBストーリーだからなんだよね。
男主人公の場合、仕事がAストーリーで恋がBストーリーになることが多い。
(「だから女はチャラチャラしている」なのか、
「だから男はつまらない」なのかは知らないが。
男女性差別を突っ込むなら、
こういうところの非対称性を突っ込むべきだと思うのだが、
そこまで脚本のことをしらないと、それは難しいだろうねえ)
話がそれた。
ラブストーリーは、主人公の抱える話をA、
相手の抱える話をBとした、二本立てである。
二人が出会うことで、それぞれが解決に導かれるような、
絡み合いがなければならないわけだ。
そうでなければ、対等でない、一方的な話になってしまう。
勿論、ラブストーリーだけでなく、
ほかの話も同じようなものだ。
主題(モチーフ)が二人の愛や恋ではなく、
別の関係というだけのことである。
いずれにせよ、ラブストーリーと同じくらいの、
濃い関係性、宿命ともいえる関係性がそこに生まれて、
色々からんだ末、なんらかの決着がつく。
一人だけで世界にいたら生まれなかったストーリーが、
二人が出会うことによって、動き出す。
それは、二本の主軸があるからだ。
主人公だけを考えていると、
なかなかそういう発想にいたることはない。
梶原一騎の漫画は、逆にそういう発想だけでつくられている。
巨人の星(星飛雄馬と、花形や佐門や蛮や一徹)、
あしたのジョー(矢吹丈と力石)、
愛と誠(愛と誠)
などを思い浮かべれば、理解しやすいだろうね。
その世界に、二本(巨人の星は複数本)の主軸が
通っていることがわかると思う。
主人公のAストーリー(センタークエスチョン)ばかり考えていたら、
なかなかここには到着しない。
もちろん、Bストーリーを踏まえる前提でAストーリーが作られるわけだ。
ABは、絡み合いながら発展する。
ストーリー全体を、
「主人公と、誰のストーリーなのか」という発想にすれば、
面白いBストーリーに辿りつける可能性はある。
(注意すべきは、セカイ系にならないこと。
主人公とその人しかいない無人の世界だと、
それはそれで退屈になる。人はもっと集団で生きている)
それが中盤になる。
コンフリクトとか、難しいことは考えなくてもいい。
その二本のストーリーがどう進行し、
どこでどう絡み合って変化していくかだけを考えると、
それがコンフリクトだよ。
違う人間が出会えば違うポイントがあるわけで、
つまりコンフリクトとは対立やケンカではなく、
違うポイント、とでも理解しておけばよい。
なにかが異なって、なにかをしようとすれば、自然と競合がおこるものである。
あとは複合的にそれを掛け合わせていくと、
ドラマ「風魔の小次郎」のような、重層的な人間ドラマになるよ。
その世界は、誰と誰の物語か。
そういう目で見れば、考えやすいかもしれない。
2017年08月23日
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