2017年08月23日

中盤の書き方:ABストーリー

中盤を書くことは難しい。

仮に問題設定と見事な解決を組むことができても、
それを魅力あふれる中盤で見せていくことは、
才能と技術の両方が必要だ。

Bストーリーをどうするか決めるといい、
という視点で論じてみよう。


まず、メインプロットがある。
メインとなる事件と、解決のペアの線である。
主人公がそれに巻きこまれ、あるいは自ら渦中に入り、
それを見事に解決するまでの、メインストーリーである。
これをAストーリーという。


ところが、おはなしというのは、
それだけでは意外と単調でもたない。

もっと寄り道してほしいと願うものである。
それはおそらく、
人は一つのことを連続して考えていると飽きてしまうからである。

なんとも贅沢な話だよね。


逆に、たったひとつのプロットだけで、
ずっとひきつけ続けられるのならあなたは天才なので、
そのまま書いてみたまえ。
たとえば、
殺人鬼から逃げるだけのメインプロットで、
最初から最後まで集中力の途切れない話、
なんてめったにないだろうね。


ということで、
たいていメインプロットには別の話が入ってくる。

挿入されたり同時進行になる。
それをサブプロットという。
何本あってもよい。混乱しなければ。
(たいてい複数の登場人物が出てきたら、
その人分のサブプロットがある)

で、そのうち最大のメインのものを、
メインサブプロットということにする。
多くの脚本理論では、Bストーリーと呼ばれるやつだ。
(メインの事件解決に対して、
Bストーリーはラブストーリーであることが、
ハリウッドでは多いらしい)



本題。
Bストーリーはどうあるべきか?

僕は、
「ABの二本で本筋を構成する」と考えて、
Bストーリーをつくるとよいと考えている。

つまり、「ABの二本立てで一本の話、と考えた時に、
どういう二本立てが面白いか」ということで考えるといい。

容易に考えられるのは、
ABを対比的にすることだ。
似たようなものでありながら、
表裏一体の関係になるのがいいだろうね。

Aが調子いいときはBが下がり、
また逆もあるだろう。

そういう意味で、対照的なふたつが同時進行する、
というのは、典型的なサブプロットだったりする。

それは、ある意味「同じテーマを逆からみた関係」になっていることが多い。
たとえばドラマ「風魔の小次郎」の十話では、
任務に忠実がゆえ心を通わせない竜魔と、
任務のことを考えつつも、
人として生きようとする小次郎の生き方が対比される。
それはテーマ「新しい忍び」
(心を殺すことではなく、人間としても懐に入って、
忍びとしても人間としてもいきていく)
ということを浮き彫りにする。

だから小次郎の恋はうまく行くし、
蘭子さんの恋はうまく行かない。
うまく行くかどうかは、つまり人間として生きることを、
肯定するかしないかの差だというわけだ。
このことによって、テーマを浮き彫りにするわけだ。


ふたつの両極端になるものは、
どうしても対比法になる。
ライバル同士のサブプロットは、
互いに対照的な生き方になるだろう。
敵味方のサブプロットは、
同じテーマを裏表から見たものになるはずだ。

また、同じ人物内でサブプロットを走らせてもいい。
プライベートと仕事、なんてのは典型的な表裏一体のサブプロットだね。


もちろん、これらのストーリーラインが交わらないのは、
ふたつある意味がない。
ひとつのストーリーがもうひとつに影響を及ぼしたり、
(たとえば仕事が長引いたせいで、恋人のデートに間に合わなくなる。
仕事が首になったので、彼女の部屋にヒモとして転がり込む、など)
ふたつが鉢合わせする、などである。

その二本立てのストーリーが、
どう絡み合い、どう展開し合うのか、
そのタイミングをずらしたり合わせたりするだけで、
最初は精いっぱいかも知れない。
しかしそれがサブプロットの基本である。

おそらくもっとも出来のいいストーリーは、
ABの二本のストーリーラインだけで勝負したものだと、
僕は考えている。

CDE……とサブプロットの数をいたずらに増やすのは、
あまり褒められたものではない。
それらを絡め始めると、すぐ迷路になり、
どれかが迷子になるからだ。
(あれのあれはどうなったんだっけ、なんてすぐなる。
また、解決のタイミングがバラバラで、
一気に解決するようなカタルシスを組むのが大変難しい)

たった二本の絡み合いだけで、全てを表現する勝負をしてもいい。
白黒だけで全ての写真を撮るように。



主人公と、誰で、その世界は構成されるのか想像しよう。

その二人が抱えた目的や動機を把握しよう。
それぞれの行動を考えよう。
いつかその二人はどこかで出会うことになる。
一回出会うだけで終わりなのか、
何回か会うことになるのか。
二回目や三回目はどうなるのか。
立場やその時の目的や危急なことは違うのか。

それらを考えていくうちに、
「その世界は、その二人で出来ている」とでもいえるような、
二本の主軸が出来て来る。

ラブストーリーはまさにそうやって作る。
主人公だけの話ではなく、
相手も十分に描かなくては面白くない。

なんで女主人公の話が「恋も仕事も!」になりやすいかと言うと、
恋がAストーリーで仕事がBストーリーだからなんだよね。
男主人公の場合、仕事がAストーリーで恋がBストーリーになることが多い。
(「だから女はチャラチャラしている」なのか、
「だから男はつまらない」なのかは知らないが。
男女性差別を突っ込むなら、
こういうところの非対称性を突っ込むべきだと思うのだが、
そこまで脚本のことをしらないと、それは難しいだろうねえ)

話がそれた。
ラブストーリーは、主人公の抱える話をA、
相手の抱える話をBとした、二本立てである。
二人が出会うことで、それぞれが解決に導かれるような、
絡み合いがなければならないわけだ。

そうでなければ、対等でない、一方的な話になってしまう。


勿論、ラブストーリーだけでなく、
ほかの話も同じようなものだ。
主題(モチーフ)が二人の愛や恋ではなく、
別の関係というだけのことである。
いずれにせよ、ラブストーリーと同じくらいの、
濃い関係性、宿命ともいえる関係性がそこに生まれて、
色々からんだ末、なんらかの決着がつく。


一人だけで世界にいたら生まれなかったストーリーが、
二人が出会うことによって、動き出す。
それは、二本の主軸があるからだ。

主人公だけを考えていると、
なかなかそういう発想にいたることはない。
梶原一騎の漫画は、逆にそういう発想だけでつくられている。
巨人の星(星飛雄馬と、花形や佐門や蛮や一徹)、
あしたのジョー(矢吹丈と力石)、
愛と誠(愛と誠)
などを思い浮かべれば、理解しやすいだろうね。
その世界に、二本(巨人の星は複数本)の主軸が
通っていることがわかると思う。

主人公のAストーリー(センタークエスチョン)ばかり考えていたら、
なかなかここには到着しない。
もちろん、Bストーリーを踏まえる前提でAストーリーが作られるわけだ。
ABは、絡み合いながら発展する。


ストーリー全体を、
「主人公と、誰のストーリーなのか」という発想にすれば、
面白いBストーリーに辿りつける可能性はある。

(注意すべきは、セカイ系にならないこと。
主人公とその人しかいない無人の世界だと、
それはそれで退屈になる。人はもっと集団で生きている)


それが中盤になる。
コンフリクトとか、難しいことは考えなくてもいい。
その二本のストーリーがどう進行し、
どこでどう絡み合って変化していくかだけを考えると、
それがコンフリクトだよ。
違う人間が出会えば違うポイントがあるわけで、
つまりコンフリクトとは対立やケンカではなく、
違うポイント、とでも理解しておけばよい。

なにかが異なって、なにかをしようとすれば、自然と競合がおこるものである。

あとは複合的にそれを掛け合わせていくと、
ドラマ「風魔の小次郎」のような、重層的な人間ドラマになるよ。



その世界は、誰と誰の物語か。
そういう目で見れば、考えやすいかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 23:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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