なぜ複数の人による話し合いで、よいものが作れないのか?
一見、様々なアイデアが出たり、
欠点をカバーする発想が出て補完できたりするような錯覚がある。
しかし現実には、こういう人が必ず出てくる。
これは某ちゃんねるの過去スレでの書き込みだ。
>> いや、もう能書きは良いから。モノを見せてくれ。それについてつべこべ言うから。
どういう感じのものが理想か?について、
イメージを膨らませている段階、
理論的にこうだ、これは違うあれは違う、
だからこのあたりが正解ではないか?
などという、
具体を立ち上げる前の、
「どのへんに向かうか?」という議論を皆で始めたとき。
それが想像できないのか、
抽象に耐えられず具体が欲しくなるのか、
必ずそう発言する人が出てくる。
いわく、「叩き(台)」をつくろうと。
つまりこれは、馬鹿の発言だ。
何が馬鹿か。
1. モノというものは、あるコンセプト(理屈)から作られる。
そのコンセプトに対してベストの実装をするべき。
設計とは、コンセプトと実装をまとめあげることである。
その設計図にしたがって実装は行われる。
コンセプトに対して実装が甘い(工期やコスト)という現実はあるものの、
コンセプトが100%過不足なく実現されるものを、(本来の)実装という。
2. 実装を見てからつべこべ文句を言うのは、
コンセプトに対してつべこべ言うことだ。
3. したがって、実装の段階でつべこべ文句を言うと、
コンセプトを詰める段階に戻る。
4. つまり1を全面的に直すことになる。
設計、実装のコンポのやり直しだ。
5. で、次にコンセプトを詰めずに、「再び実装で判断」になるとすると、
1に戻る無限ループが起こる。
ここで全面的にスタッフが死ぬ。
積み上げた石を崩されるのはつらい。
積み上げた石を別の法則に並べ直すのは、
モチベーションが削られる。
6. 最終的につべこべ言う人が「OK。これが欲しかったものだ」
と満足するのは、最初に立てたコンセプトではなく、
「その人が無意識に欲しかったもの」であることがほとんどだ。
7. その人が欲しかったものが、全ての人にとって良いものとは限らない。
そもそも最初のコンセプト会議では、全ての人にとって良いものを、
作ろうとアイデアを練っていたはずだ。
8. 従って、その人専用のものを作り出すために、
多くの人が無限ループを体験するはめになる。
9. そして、コンセプトなきモノが世に出て、売れず、無限ループ。
10. 更に厄介なのは、実装を見てからつべこべ言う人が複数いる場合。
一つに収束する工程数列が、複数の解に右往左往する、
振動数列になることがある。
ところで、これが収束するのは、
その複数の人が誰もが不満を抱えたまま妥協するか、
スタッフが疲弊していなくなるか、
締め切りが来て不格好な実装のまま世に出るときだ。
11. その人が欲しかったものが一部埋め込まれたが、
全体のコンセプトとは外れる違和感が残ったもの、
そこだけ矛盾を抱えたもの、
などの中途半端な状態で、リリースされることも多い。
その場合は「コンセプトを練りきれていない」という酷評を受けることになる。
「一本スジの通っていない、よれたもの」になるからである。
(逆に、スティーブジョブスの完全なる意志が最後まで貫かれたのが、
iPodあたりからのMacの快進撃だ。
スティーブ亡きあとのMacの迷走は、
一つのコンセプトに貫かれていない違和感を、
そこかしこに見ることに見ることが出来る)
迷走の逆は、
最初にゴールを灯台のようにまっすぐ照らし、
力を蓄えてペース計算をし、
その計画通りに、まっすぐ全力疾走することだ。
(夏休みの宿題を思い出してもわかるように、
人は計画を計画通りに進めることは苦手だ)
制作チームというのはこの為に集まる。
ゴールまでの全力マラソンを、互いに支え合うために。
ところが、
灯台がなく手探りで進まなければならず、
時々灯台が別のところを照らし、
ほうほうの体でゴールしたと思ったら、
別のところに走れと、
何度も何度もなんども指示されるとき。
誰も、どんなチームでも、
正しくゴールに、美しく、見事に、たどり着くことなどできやしないだろう。
こんなこと俯瞰で考えればわかるのに、
どうして現実にはそううまくいかないのか。
どうして映画はつまらなく、
CMはクソみたいな内容のくせに、改訂改訂改訂改訂して、自殺者が出るのだろうか。
>> いや、もう能書きは良いから。モノを見せてくれ。それについてつべこべ言うから。
とおっしゃる、馬鹿のせいである。
もし正当なリーダーシップを持ってプロジェクトを進めるのなら、
「今コンセプトを詰めているところだ。黙って待っとれバカ」と、
その者の口を封じて二度と近寄らせない方針をとるはずだ。
現実には、このバカが指示系統の上の方にいて、
かつ金を持って来ている、という負い目が、リーダーにあることが多いのである。
こうして、泥舟は、毎回沈む。
どうして泥がまだ固まっていないのに、出航したの?
子供でも同じ問いをするだろう。
バカが言ったのさ。叩きを作ろうとね。
叩いて叩いているうちに、沈んでしまったのさ。
バカを口封じするか。
複数でやらないか。
自分がそのバカになるか。
答えは3択かもしれない。
4択目は、ないのだろうか?
ちなみに某スレとは、2ちゃんのキーボード配列板の大昔の部分だ。
バカに対して、みんな無視してコンセプトを詰め、
司会者がしきり、「暗いと不平を言うよりも、進んであかりをつけましょう」
の精神で、それぞれに改善案とコンセプトを提出し、
議論を煮詰めて行った。
技術者の集団とはかくあるべしといった、見事な進行だった。
このアイデアの一つの結実は「つばめ配列」として完成したが、
結局全てのコンセプトを満たす完成品は作られなかったようだ。
つまり、全ての人が合意するには、とても時間がかかる。
我慢しきれずに具体を出してしまうと、必ずグダグダになる。
人の集団でのものづくりの、法則のようなものかもしれない。
2017年08月26日
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