ライブ変換二日目にして気づいたこと。
エンターの出番が多いのが気になる。
通常の仮名漢字変換の場合、
変換モードに突入する:スペース
→問題なければエンターで確定
がデフォルトだが、
「問題なければ確定するかわりに、
文字入力を続けることでエンターを省略できる」
というのがある。
僕はこっちをデフォルトで使っている。
ライブ変換の場合、
どこかでエンターを押さないときりがない。
ライブ変換が実装されていることえりでは、
句読点区切りで変換の精度を決めているらしい。
なので、句点または読点でエンターを押すと、
気分的に楽になるわけだ。
しかし、カタナ式の「。確定」と、
人差し指エンターに慣れた俺は、
QWERTYの糞小指エンターに逆戻りしなきゃいけなくて、
とても不快なのである。
これはライブ変換の仕様ではなく、
QWERTYの仕様だから、カタナ式さえMacに乗れば問題ないわけだ。
あと、「ひらがなのまま確定したい」とき、
仮名漢字変換ならば、「スペースを押さずにエンターで確定」
という技がある。
カタナ式ではこれらと組み合わせて、句読点確定を用意したわけだ。
とくに語尾がひらがなになることはよくあるからだ。
(上の文で言えば、語尾が、以降はひらがなだ)
ライブ変換が勝手に漢字に変換してしまっているのを、
一々戻すのが面倒に感じた。
これはしばらく学習させれば対応してくれるかも知れない。
あと、予測変換候補の表示をオフにすると、
目線が文章に集中できるよ。
ライブ変換とはつまり、
予測変換の第一候補で、文章を都度変換モードに入れるシステムなわけだ。
なんだか「大体を機械に任せ、大事なところは人間が判断」
みたいな、第二世代の機械の使い方になってきた気がするね。
一文字一文字楔を打つように推敲していく小説には向かないが、
口述筆記レベルの軽い文章なら、
断然ライブ変換がいいね。
これは人工知能の陰謀で、我々に軽い文章しか書かせない目的かもしれない。
まあ最終的には、ライブ変換は音声入力への基礎技術になるのだろう。
その為の誤変換ビッグデータを取りたいのだろうな、
というのはわかるけど、
俺は協力しない。
集合知は最適解ではないと僕は考えている。
愚衆のノイズがたった一つの正解をかき消すことのほうが多いと考える。
つまりライブ変換が目指す結果は、
集合知的な平均的な、仮名漢字変換だ。
それが「俺の文章」の独自性と喧嘩することもあるということ。
文章は思考そのもの。
ライブ変換を調教するのは個性であると言えそうだ。
思考を機械に渡してはいけないね。
しばらくMacでの文字うちに退屈しなさそうだ。
これ、共用Macでやっていいのかねえ。判断に困るわ。
2017年08月27日
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