ひっぱるというのは、謎だけを見せておいて、
その解決、種明かしをすぐには見せないことだ。
その間に人は想像する。
あれはああいうことになっているのではないか、
これはこうだろうなと。
予想や期待や想像が膨らみ、
これを知りたいと思わせた頃に、
普通は種明かしをする。
なあんだ、という拍子抜けか、
なるほど、と膝を打つものかは、
謎と種明かし次第だ。
知りたい!という気持ちがピークになったとしても、
まだ遅らせるのを、ひっぱるという。
一種のじらしテクニックなわけだ。
気を付けるべきは、
じらしておいて、いざ種明かしをしたときに、
「待たされた甲斐があった」と気持ちよくスッキリ出来るかどうか、
ということ。
散々じらされて、
それが拍子抜けだったら、
ハッタリ野郎の汚名を被ることになるだろう。
ところが、じらしてひっぱると、
その種明かしの間までは、
なんだか面白げな雰囲気だけは保つことが出来る。
これがハッタリストーリーが横行する原因である。
映画の場合、2時間で決着がつくので、
どんなにじらしても2時間以内に種明かしが来るのだが、
連載漫画なんかは何年もじらすことが可能だ。
で、それに相応しいカタルシスのある種明かしならばいいのだが、
大抵はそこにものすごい満足感を得られるものにならないことが多い。
つまり、連載漫画のひっぱりは、
大抵ハッタリの道具にしかならない。
長年漫画を読んでいると、
ハッタリ用のひっぱり(謎をふっておいて、
そのネタはあとで考えてどうとでもなる用)と、
そうでない、根拠のあるひっぱりが、
なんとなく区別がつくようになる。
根拠のあるひっぱりは、
きちんとした伏線を計画的に張っている。
つまり、
種明かしまでワンセットでひっぱる。
ワンセットだから、
種明かしの規模がたいしたことないときは、
自覚的にひっぱりを小さくするという自己批評が効いているものだ。
そうでないときは、
狼少年のひっぱりになってしまう。
種明かしのカタルシス、なるほど!感がないと、
それはひっぱりに見あわないしりつぼみになる。
あるいは、
ひっぱりだけ作っておいてその結末はあと考えるタイプだと、
とにかくひっぱっておこう、
なんて、嘘のひっぱりが横行することになる。
最近の漫画は、そういう嘘のひっぱりが横行している割合が増えた。
それで延命するやり方が、一種の局所解のようになってしまっている感さえある。
「この○○は一体どうなったんだよ」
「まだ最後まで見てみないとわからんだろ」
(待つ)
「オイ結局○○はどうなったんだよ」
「(わからないので)考察しよう」
みたいな尻切れトンボが多い気がする。
古くはドラゴンヘッド、エヴァ、ちょっと前まではガンツか。
そもそもひっぱるには、
種明かしとペアになって、
観客を納得させるだけの実力が必要だ。
ひっぱる責任というか。
それがない者が、ただひっぱっておいて、
責任を取らない例が増えてきた。
それは、面白いストーリーとは言わないのだよ。
面白くなりそうなストーリーではあるかも知れないが。
どうひっぱる?
何を知りたくさせる?
何をまだ明かしてどれは明かす?
どうミスリードさせて、
いつまでひっぱって、いつ種明かしをする?
その計算をしよう。
それがうまくいったときのみ、
それは面白いストーリーだ。
それがうまくいかなかったら、
最初は面白くなりそうだったけど、
後半ぐだったダメストーリー、と認識されるだろう。
つまりは結局、
謎と種明かしのペアの、納得感で決まるのだけど。
ひっぱりは、そのスパイスに過ぎない。
何でこうなるんだろう?
→それは明かされない
→なるほどひっぱるつもりだな?
→あれー最後まで明かされなかったけど?
これは、単なるダメなストーリーである。
論理的な展開が出来ていないからだ。
出来ていないのとひっぱりは、
このように見た目から混同しやすい。
逆に狼少年は、この混同をハッタリに利用する。
狼少年は殺せ。
2017年08月29日
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