2017年08月29日

【カタナ式】俺氏、ライブ変換を切る

しばらく使ってみる、といったくせに、
早くも終了宣言。

わたしの文章にむいていない。

理由をのべよう。


最大の問題は、
「ひらがなのまま確定する速い手段がない」こと。

たとえば上の文、
「わたしの文章にむいていない。」
を入力するとき、
「私の」と勝手に変換してしまう。

ことえりの学習能力は、
過去数回分の記憶しかないらしい。
つまり「わたし」を「私」と使い分けたとき、
過去数回分優勢であったほうを第一候補に出すだけだ。

日本語は、漢字とひらがなを使い分ける。
「私の」では硬いな、と思ったら、
「わたしの」とひらがなで書く。
同様に、
「文章に」と硬く入ったから、
「むいていない。」とひらがなで出る。

これによってニュアンスをつけるわけだ。
硬いことを硬く言うのではなく、
分析的ではなく、本音として言うニュアンスにするために。


だから、漢字とひらがなを使い分ける(時にカタカナも)のは、
「日本語を書く」ことの基本ですらある。
どんな小説入門にも文章入門にも、
基本の何ページか以内に出てくることだ。

しかもこれは学ぶことではなく、
日本語話者なら無意識に使い分けている。

これが、ライブ変換では困難である。


第一候補をおおむね出来るだけ漢字に変換したがる傾向がある。
調教すればいけるかと思ったが、
鳥頭の記憶力しかないので、
すぐに元に戻る。

で、ここからが更に問題で、
一文書き終えて確定するとき、
はじめの方の言葉をひらがなにしたいときに、
大分前まで戻って再変換し、確定二回しなければならない。
(一回目ひらがな確定、二回目文確定)
これが相当面倒だと感じた。

「わたしの文章にむいていない。」と書きたいときに、
「私の文章に向いていない。」とライブ変換されたものに対して、
文末から先頭まで戻り(矢印連打またはコントロールA?)、
「わたしの」をひらがなに変換、
エンターで確定するか、
矢印で移動して「むいていない」と変換、
確定のエンター。
(エンター押さずに書き続けると、また勝手に「私の」に戻しやがることがある)

これ、手間が多すぎる。


従来の漢字かな変換では、
少なくとも書いた順からカーソルが始まり、
逐次で選んでいけた。
ライブ変換では、
「気にくわないところだけ戻ってエンター連打」
をしなければならない、ということに気づいた。

文を書くときの意識は前からあとにあり、
戻ったら次にどうしようとしていたか、
わからなくなるものである。

つまり、思考が蒸発する前に書き留めることが、
本来のライブ変換の目的だとしたら、
戻ることは最悪の悪手だ。

ということで、僕はライブ変換を切ることにした。



もっとも、
「とにかく書いておきたいのだ、
ひらがなタイピングのメモよりまし。
あとで直す前提」という速記対応には、
なかなか便利かも知れない。

しかし僕はそういう用途の時は手書きなので、
不要と判断した。


ネットの噂を色々見ると、
「日本語を学ぶ外国人が日本語を書く」のにちょうどいいらしい。
たしかに漢字を手書きで覚えるよりも、
読みさえタイプできれば漢字を勝手に埋めてくれるツールは、
とてもありがたいね。

あれ?これ、移民政策の尖兵ですか?


日本語の母国語としての表現には向いていないが、
漢字の弱い人や、バカにはちょうどいいゲタ履きになるだろう。

もっとも、初期のワープロ病のように、
「なんでもかんでも漢字に変換した文章」が出来上がるのは確かだ。

つまり、バカ文章専用機と、僕はライブ変換を断定した。



日本語で考え、日本語を効率的に書くための道具を、
作るべきである。
バカにゲタを履かせて、捻挫させるような道具は、
日本文化に害悪であるとさえ言えよう。


それでもライブ変換を使う人は、
バカを隠したいのだろう。
ライブ変換はつまり、知性のヅラである。
posted by おおおかとしひこ at 13:06| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。