しばらく使ってみる、といったくせに、
早くも終了宣言。
わたしの文章にむいていない。
理由をのべよう。
最大の問題は、
「ひらがなのまま確定する速い手段がない」こと。
たとえば上の文、
「わたしの文章にむいていない。」
を入力するとき、
「私の」と勝手に変換してしまう。
ことえりの学習能力は、
過去数回分の記憶しかないらしい。
つまり「わたし」を「私」と使い分けたとき、
過去数回分優勢であったほうを第一候補に出すだけだ。
日本語は、漢字とひらがなを使い分ける。
「私の」では硬いな、と思ったら、
「わたしの」とひらがなで書く。
同様に、
「文章に」と硬く入ったから、
「むいていない。」とひらがなで出る。
これによってニュアンスをつけるわけだ。
硬いことを硬く言うのではなく、
分析的ではなく、本音として言うニュアンスにするために。
だから、漢字とひらがなを使い分ける(時にカタカナも)のは、
「日本語を書く」ことの基本ですらある。
どんな小説入門にも文章入門にも、
基本の何ページか以内に出てくることだ。
しかもこれは学ぶことではなく、
日本語話者なら無意識に使い分けている。
これが、ライブ変換では困難である。
第一候補をおおむね出来るだけ漢字に変換したがる傾向がある。
調教すればいけるかと思ったが、
鳥頭の記憶力しかないので、
すぐに元に戻る。
で、ここからが更に問題で、
一文書き終えて確定するとき、
はじめの方の言葉をひらがなにしたいときに、
大分前まで戻って再変換し、確定二回しなければならない。
(一回目ひらがな確定、二回目文確定)
これが相当面倒だと感じた。
「わたしの文章にむいていない。」と書きたいときに、
「私の文章に向いていない。」とライブ変換されたものに対して、
文末から先頭まで戻り(矢印連打またはコントロールA?)、
「わたしの」をひらがなに変換、
エンターで確定するか、
矢印で移動して「むいていない」と変換、
確定のエンター。
(エンター押さずに書き続けると、また勝手に「私の」に戻しやがることがある)
これ、手間が多すぎる。
従来の漢字かな変換では、
少なくとも書いた順からカーソルが始まり、
逐次で選んでいけた。
ライブ変換では、
「気にくわないところだけ戻ってエンター連打」
をしなければならない、ということに気づいた。
文を書くときの意識は前からあとにあり、
戻ったら次にどうしようとしていたか、
わからなくなるものである。
つまり、思考が蒸発する前に書き留めることが、
本来のライブ変換の目的だとしたら、
戻ることは最悪の悪手だ。
ということで、僕はライブ変換を切ることにした。
もっとも、
「とにかく書いておきたいのだ、
ひらがなタイピングのメモよりまし。
あとで直す前提」という速記対応には、
なかなか便利かも知れない。
しかし僕はそういう用途の時は手書きなので、
不要と判断した。
ネットの噂を色々見ると、
「日本語を学ぶ外国人が日本語を書く」のにちょうどいいらしい。
たしかに漢字を手書きで覚えるよりも、
読みさえタイプできれば漢字を勝手に埋めてくれるツールは、
とてもありがたいね。
あれ?これ、移民政策の尖兵ですか?
日本語の母国語としての表現には向いていないが、
漢字の弱い人や、バカにはちょうどいいゲタ履きになるだろう。
もっとも、初期のワープロ病のように、
「なんでもかんでも漢字に変換した文章」が出来上がるのは確かだ。
つまり、バカ文章専用機と、僕はライブ変換を断定した。
日本語で考え、日本語を効率的に書くための道具を、
作るべきである。
バカにゲタを履かせて、捻挫させるような道具は、
日本文化に害悪であるとさえ言えよう。
それでもライブ変換を使う人は、
バカを隠したいのだろう。
ライブ変換はつまり、知性のヅラである。
2017年08月29日
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