「ただ大人しく待っているだけの、
世の中を変えられない弱い私が、
ある日王子様に見初められてハッピーエンド」
というスタイルを、シンデレラストーリーと言うことにしよう。
つまりこれは、メアリースータイプのストーリーだということ。
昔、女性の権利向上運動、男女同権運動があったとき、
文化の代表のひとつ、
シンデレラは真っ先に矛先を向けられた。
いわく、
女の子は昔からシンデレラを刷り込まれるから、
「従順で大人しく待っているだけの、
世の中を変えない大人に育つ」と。
男による女の支配が当たり前だった時代では、
このストーリーに繰り返し憧れることは、
たしかに現状を固定することに役立っている、
という主張もある。
時代は下った。
少なくとも、現代では、
名目上は男女同権にはなった。
(アラブの女性の権利はどうか詳しく知らない)
しかしたとえば、
じゃあ軍隊も男女半々にしろとか、
生理休暇禁止とか、
やくざの兵隊も男女半々な、とか、
そこまでの強権発動は控えめになっている。
現代は移行期である、とか、
現実問題の適材適所、という言い訳のもとに。
(格闘技は?将棋は?
などなど、男女に明らかな差があるものはたくさんある)
ところで。
もしシンデレラが女ばかりのものであったら、
それは男女同権への逆行を意味するはずだが、
実はシンデレラは男のものにもなってしまった。
「何の変哲もない俺。それどころか、陰キャで目立たなかった俺。
それがある日をきっかけにブレイクする。
かわいい女の子が突然俺を好きだと言ったのだ。
それにより皆の見る目が変わる。
俺は美少女に恋されるだけの魅力があることを、
誰も認めていなかったのだ」
これが、シンデレラストーリーの男女逆だと、
なぜ分からないのか?ということだ。
これは、ここの脚本論で徹底的に批難している、
素人がよく書いてしまう、
自分の願望充足のための、
ご都合の妄想に過ぎないものだ。
(のび太症候群も同根である)
変形はいくらでも可能だ。
美少女を会社の会長に、舞台を学生の日常からサラリーマンにすれば、
「冴えない会社員の俺。
現実逃避で行った釣り堀のオッサンが、
何故か突然話しかけてくれて意気投合。
色んな人生のことを教えてくれる。
実はうちの会長だったなんて!
大出世する俺!」
という話に変形可能だ。
これもシンデレラと同じ構造を持っていることが分かるだろう。
たとえば牛乳石鹸のwebCM、
今週のファイアパンチは、
とくに酷いシンデレラストーリーだ。
前者は散々批判した。
「何もしてないくせに、何故か一番愛してほしい人から、
無条件に承認される」
というのがメアリースーの特徴だ。
それは現実には母親しかいないので、
これはビッグマザーに抱かれたいという幼児的欲求であると言える。
牛乳石鹸においては、
主人公は何もしてないくせに、妻と子に愛されている。
ただごめんと言っただけで、何もしてないくせに。
妻と子が、ビッグマザーであるわけだ。
今週のファイアパンチは更に酷くて、
ユダ(死んだ妹ルナに瓜二つで、記憶を失ったため、
ルナだと思い込ませて10年兄妹として暮らしてきた)が、
急に「全部気づいていた」ことになって、
何故だかキスを迫ってきて何故だかセックスをしていた。
シンデレラストーリーのまんまだ。
王子様はビッグマザーであるわけだ。
ユダもビッグマザーであるわけだ。
シンデレラストーリーは、
ただ待っているだけで何もしない女を非難した。
これはおかしいと。
人は求めるものを得るために、
危険を省みず挑戦し獲得すべきであるという、
男の論理を女も生きるべきだと主張し、
名目上はそのようになった。
しかし実際のところ、
そんな面倒なことするよりも、
シンデレラストーリーのほうが、
努力しなくていいから楽なのだ。
「いつか誰かすごい人が、
自分の全部を理解して、
自分をまるごと認めてくれる」
という夢を見続ける方が、
現実で苦労するよりははるかに楽だ。
現実は辛い。せめてシンデレラストーリーを見ていたい。
そう思う人が、
女どころか男も増えたというのが、
男女同権運動の結果だ。
女は強くなったが、その分男も弱くなった。
男女を均そうとしていたのだから、
その帰結は当然だ。
これが人類の進化とは思えない。
男女同権運動は、二つにわかれていた男女を、
新しく二つにわけた。
シンデレラと、そうでない人にだ。
差別撤廃運動は、もうひとつの差別を新しく生んだのだ。
シンデレラストーリーを夢見る人は、
いずれ人工知能に接続され、
美しい夢VRを見続ける、
奴隷になるのかも知れない。
ラッキースケベとかほざくラノベジャンルにも、
僕は同じ波動を感じて毛嫌いしている。
しかしちゃんと探ってないのでなんともだ。
そもそも萌え絵は、シンデレラストーリーだ。
イケメンなんとかもね。
あなたは、
夢見るシンデレラか?
傷ついてなお前へ進もうとするロッキーか?
僕はロッキーでありたいし、
シンデレラを毎度ボコボコにして、
ストーリーとはロッキーであれ、
と言うだろう。
シンデレラストーリーは、のび太症候群の人たち、
メアリースーに取り憑かれた人たちの、
現実逃避ドリームになる。
夢見てんじゃねえよ。
夢は見させるもんだ。(車田正美)
2017年08月30日
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