2017年08月31日

全体のバランスを整える

最初に構成理論を学ぶと、
一幕をつくって、第一ターニングポイントをつくって、
次に二幕をつくって、ミッドポイントや第二ターニングポイントをつくって、
三幕をつくればいいのか!
とテンションが上がってつくりはじめるのだが、
大概それは挫折する。

僕はこのやり方をオススメしない。
構成理論は、
「一通りできたときに、全体のバランスを整える」
ためにあると考えている。


僕はそれよりも、
新しいシチュエーションや問題と、
それがどう見事に解決されるのかのペアを考える。
(入り口と出口)

次にどういう主人公がそれを体験するのか、
どういう問題を抱えていて、
その解決と関係するのかを考える。

世界やそこにいる人を考え、
どのようなかかわり合いの中で事件解決が進行するかを考える。
その中で重要人物が出来てくる。
中盤を考えて、
「このストーリーは、主人公と○のストーリーである」
と考えて、○には誰がふさわしいか考える。
勿論その人は複数いてもいい。
それぞれが動機や目的を抱えていることを想像し、
○の立場からこの物語を考えてみる。

ここまでで大体全体が見えてくるから、
この話のテーマ性やサブテーマはなんだろうと俯瞰し、
必要とあらば微調整する。
あるいはログラインを書いて本質はどこにあるのだろうと考える。

なんとなく整ってきたら、
一度プロットとして書いてみる。

足りないところがあることに気づきながらも、
それらをちょいちょい飛ばせば、
ラストまでは一応書けるはずだ。
だって最初に出来てるからね。


ここでようやく構成理論を使うのだ。

三幕構成にちゃんとなってるか、
各幕の比率は、1:2:1(二時間)か、
あるいは1:1:1(短編)か、
あるいは2:2:1(ごく短編)か。

この全体のストーリーであるところの、
第一ターニングポイントはなにか、
第二ターニングポイントはなにか。
(あとで該当箇所を変えてもいい)
そこで、それぞれのターニングポイントで要求されることを満たしているか。

そして、それぞれで区切られる三幕が、
適切な比率か。
そうでないなら、足したり引いたりして、
バランスを整える。

大抵は序盤が長く、中盤が短く、終盤が短い。
序盤をもっと簡単にストーリーに引き込むようにシンプルにし、
中盤で楽しめるポイントを沢山考える。
○のサブプロットはここで生きてくる。
それらすべてが終盤へ集約していくようにするといい。
同時にいくつかの焦点があると、
確実に中盤は面白くなる。

ミッドポイントはどうだろう。
かりそめの勝利または敗北があるか。
あれば、それはどこか。
真ん中辺りに持っていくために、
前後を調整できないか。
そこで全くプラスとマイナスが逆転するように、
中盤全体を変えられないか。


こういうのを、プロットや手書きの全体図やメモを駆使しながら、
頭の中で再構築してみる。

出来たらまたプロットに書き下す。


で、また構成理論を使う。
全体のバランスを整えるわけだ。


構成理論は、構成を生む装置ではない。
構成をチェックする定規だと思うといい。

ストーリーの構成を考えるのは、
テヅカチャートによる訓練が、
多分一番いい。
柔軟で面白くて意外な発想を鍛えるには、
「この面白げなシチュエーション」の、
「前に何があったか」「それからどうなるのか」
を5個ずつ考えて、
さらにそれぞれにたいして同じことをして、
面白げなものをピックアップして、
さらに同じことを繰り返して…
という無限の発想をしておくと、
「面白げな筋書き」をうまく作れるようになる。

というか、うまく作るにはテヅカチャートの基礎訓練がないと出来ない。

しかもテヅカチャートは一本のストーリーラインについての訓練だ。
サブプロットを何本も走らせ、
それらを絡み合わせるような、
長編向きの方法論ではない。

だから、テヅカチャートはあくまで基礎で、
実際のストーリー作りでは、
さらに上の技能が必要になってくる。


これらを、部分と全体について、
何度も何度も何度も妄想する。
最初から最後まで頭の中で組み立ててみる。

それが面白くなったら、
プロットにまた書き下す。

プロットは最初はペラ一枚だったのが、
何枚かに増えていく。

そうしたら、また一枚におさめたプロット概要を書くときもある。

それで全体のバランスを概観できるからだ。

このときに、また構成理論の定規を使って、
バランスが大体合ってるかをチェックする。


プロットで面白ければ、
ストーリーは絶対に面白くなる。

ここでようやく登場人物を喋らせはじめる。
頭の中で生き生きと動くように、
泥人形に命を与えるわけだ。
どういうしゃべり方をするのか、
どういう性格なのか、
何を抱えているのか、
誰のことをどう思っているのか、
などなと。

あとはご都合主義に陥らないように、
執筆をはじめる。


全体の工程において、
構成理論の果たす役割はわずかだ。
たいしたことをしていない。
しかし美人はプロポーションで決まるのと同じで、
構成のちゃんとしたものは、素直に読めるものだ。

美人か美人じゃないか程度にしか構成理論は効かない。
魂を奪われるほど魅力的かどうかは、
ストーリー自身の中身で決まる。

つまり、構成理論はガワの理論でしかない。
posted by おおおかとしひこ at 09:28| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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