2017年09月02日

書く速度を上げることの効用

脚本論で論じておく。

僕がタイピング速度を上げていこうとしているのには意味がある。
書く速度を上げると何が起こるのか。

「直すことを躊躇しない」という効用だ。


書くことはとても大変だ。
それはパズルだ。

大変なパズルを一回組み上げると、
それを崩すことにとても抵抗を感じる。

三日かかった原稿を白紙に戻すことはとても辛い。
しかし二時間で書いたものなら、
「まあいいか、すぐ書き直すわ」となる、
ということである。

ストーリーの本質はパズルを組むことにある。
文字を書くことにはない。
文字なんて道具だ。
パズルさえ組めれば、文字は自動的に出てきてほしいぐらいだ。

しかし文字に書くこと自体に時間がかかると、
それを二度とやりたくないと心理的に抵抗が出てしまう。

だから、直したくても今更直したくない、
という心理的抵抗がうまれる。

この「今更」 を取り除くには、
書くスピードが速いといい、
と思ったわけだ。


考えたことがすぐ文字になる。
媒体はなんでもいい。
手書き。タイピング。音声入力。
僕はそのうち音声入力も試すと思う。
タイピングはいつか手が衰えるかも知れないし、
怪我をするかも知れないし、
ひょっとするとタイピングより速いかも知れない。

いずれにせよ、今のところ、
僕は手書きが一番速いし、
同じパズルでもいい文章を書ける。

だから僕は清書用にタイピング速度を上げる研究をしているわけだ。
タイピングなんてさっさとなくしたいんだよ。
手書きをスキャンして欲しいくらいだ。
目線入力を補助に使えばなんとかなるような気もするけどな。


とにかく。
書く速度を上げよう。

手の器用さを上げることは、
どれくらい後天的に出来るか分からない。
ひょっとすると、僕は手書きの才能があって、
他人の手書きよりずいぶん速くて、
他の人が後天的に速くなるより速いかも知れないので、
そこのところは分からない。
(ざっくり言うと、文字を写すとき700字/10分)


書くスピードさえあれば、
直しに躊躇しない。
書くスピードさえあれば、
いくらでも組み直していける。

その可塑性と自由度こそ、
一番の武器になる。


一回組み上げたものを壊せること。
最初からパズルを組み直すこと。

実際のところ、それがリライトの本質だ。

最初に書いたものが完璧でないとき
(そしてそれは100%に近い確率)、
それをより磨いていく、
欠点を直していく、
矛盾を回収していく、
よりシンプルに、
より研ぎ澄まし、
より豊かに、
よりテンポよく、
より面白くするには、
リライトしかないんだよね。

パズルを頭のなかで組み直すことに時間をかけたい。
書くことなんて一部で終わらせたい。
書くこと自体に苦手があったら、
そうはなれないと思う。


作家になるたったひとつの才能は何かというと、
書くことを躊躇わないこと、
だと思うんだ。

僕は手書きはそうだったけど、
タイピングはそうじゃなかった。
だから一回入力した文章のリライトが本当に苦手だったと、
今では思っている。
フリック入力でブログを書くようになって、
QWERTYローマ字より手軽に書けるようになったから、
僕はタイピング速度を本気で上げようと思ったのかも知れない。


直せ。直せ。直せ。

いくらでも書けるのなら、
いくらでも直せる。

ああ、あそこをこう直すといいな、
書いてみるか、
とすぐ出来ないと、リライトなんて出来ない。

あそこをこう直すといいんだろうけど、
今更それをやるのは大変だなあ、
と躊躇すると、
ベストを逃した、言い訳だらけのものにしかならないと思うよ。
posted by おおおかとしひこ at 11:20| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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