僕はこうでなければならないと考えている。
魅力的なキャラクターはとてもいい。
彼らとずっと過ごしたい、という欲望こそ、
ストーリーを見続ける理由かも知れない。
だが、
ストーリーがそれ以上に魅力的になるべきだ。
面白いストーリーだがキャラクターがいまいち
なのと、
キャラクターがいいのだが、ストーリーがいまいち
なのは、
どちらもいまいちである。
大抵の連載漫画は、
最初ストーリーが面白く、
途中からキャラクターが魅力的になっていって、
キャラはいいんだけどストーリーが詰まらなくなって、
それでもダラダラ続いていく。
それは、「長期的に付き合う」から成立するのかも知れない。
ワンピースが何年やってるか知らないが、
キャラクターの魅力的だけでも何年も引っ張り続けるのはすごいよな。
それでジャンプは何年も食っていける。
一発勝負の映画とは、ビジネスの形態が違う。
ストーリーだけに注力すると、
キャラクターがそれに沿って動く自動人形のようになってしまう。
キャラクターだけに注力すると、
ストーリーもなにもない、お喋りだけのバラエティーになってしまう。
(二次創作はそれを楽しむものである。
二次創作は作品ではない。趣味のなにかだ)
キャラクターが立ってくると、
ストーリーの要請を無視して、
勝手に走り出すことを、経験したことがあると思う。
そういうときにやるべきことは、
それに流れを任せるのか、
ちょっと巻き戻して、走り出す方向を誘導してから走り出させると良い。
流れにただ任せると、たどり着くべき場所が分からなくなり迷宮入りする。
そもそもストーリーを書く前に、
全体地図(プロットという名の段取り表)を作っておいたはずだから、
所々そこへ向かうようにうまくキャラクターを誘導してやると良い。
馬は好きな方向へ走りたがる。
その力の走る先を、手綱でコントロールすればいい。
たとえば、行動の理由を作ってあげる。
たとえば、誰かからニュースが入る。
たとえば、誰かから頼まれるようにする。
たとえば、そのキャラの出自に関することで。
たとえば、そのキャラの過去に関することを使う。
などのごく自然な方法を使い、
次の目的地へ進めるように、
暴れ馬(たち)の手綱を引けば良い。
あなたは暴れ馬でもあり、
地図を見ている御者でもあるわけだ。
キャラクターがいまいちでストーリーだけ面白いのは、
御者が勝っていて馬が面白くない。
ストーリーはいまいちでキャラクターだけ面白いのは、
御者不在の暴れ馬なだけ。
前者はゴールにはたどり着けるが、
頭で考えただけで血肉になっていない。
後者は砂かぶりは面白いが、俯瞰で見たら全く意味のない空騒ぎ。
で、ほっといたら後者になってしまうので、
僕は、
キャラクター<ストーリー、
と覚えておけ、
ということにした。
ストーリーさえきちんと組めたら、
つまり、
常に焦点がはっきりしていて、
全員の行動に目的と理由があり、
それらが絡み合うことで影響しあい、
事態を進めることになり、
かつ矛盾がない、
かつテーマがしっかりしていてぶれていなく、
サブプロットのサブテーマが、
テーマを上手に補強している、
かつ構成もしっかりしている、
というものならば、
あとは暴れ馬を何頭か放り込んで手綱を握るだけだ。
つまり、
プロットを組む段階と、
実際の執筆は、
全く違う二段階だ。
プロットは完全に理屈のパズルだ。
執筆はキャラクター(分裂した自我)が勝手に走り出すのを、
うまくなにかで制御していくことだ(統合)。
勿論、キャラクターとプロットは決まりきったものではなく、
作っている途中に予定変更することもある。
それは、「何を書いているのか」の変更すら生む。
別にそれがより面白いのなら、そっちへ行ったってよい。
全体のプロットさえしっかりしていればね。
大抵の初心者は、キャラクターを走らせるだけで終わってしまう。
それが楽しいからね。
それは人形ごっこの楽しさと、実はほとんど同じ。
落ちとか意味とか展開とか焦点とかのない、
原始的なものに過ぎない。
だから、
キャラクター<ストーリー、
という公式を見て、それを戒めようということ。
ストーリーにキャラクターがかけ合わさったのが最強。
最強以外は微妙。
それだけのこと。
キャラは取っつきやすく、人を惹く。
「キャラがいいんだよ。
でもね、ストーリーはもっといいの」が、
理想だ。
2017年09月03日
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