2017年09月07日

ドラマチックなのは、絵ではなく文脈

ストーリーをよく知らない初心者が陥る誤解。
「ドラマチックな絵があれば、ドラマチックになる」という誤解。


たとえば南の島で夕日をバックに抱擁する恋人。
たとえば雨のなかで叫ぶ女。
たとえば崖から転落し、爆発炎上するクルマ。
たとえば町を破壊する巨大ロボ。
たとえば都市を覆うほどの巨大UFO。

これらがドラマチックに見えているのだとしたら、
あなたはガワしか見ていない。
それだけにドラマチックを感じるのだとしたら、
あなたは映画を見慣れていない、ドシロウトだ。
そういう人が脚本を書くと、
ドラマチックな絵ばかりの羅列になる。
ちっとも面白いストーリーでないことが多い。
それは、絵に引っ張られていて、本来の中身のドラマが平板だったりする。
ストーリーがドラマチックであるということは、
絵がドラマチックであるということとは関係がない。
(勿論理想は、両者が一致すること)

たとえば、
「瞬きを一回するごとに火山が噴火する」
という呪いをかけられた男の話を考えよう。

その男が一回瞬きをするごとに、
桜島が噴火したり新島が噴火したりする。
それが段々巨大な火山が噴火することがわかる。
次は阿蘇山か富士山か、
あるいはイエローストーンか。
つまり、
「その男の瞬きに、地球滅亡がかかっている」
ということになる。
みんなは必死でその男の瞬きを止めようとする、
という短編だ。

ドラマチックなのは、地球滅亡いかんである。
しかし実際に撮影される絵は、
男が瞬きするかどうかという、
物凄く地味な絵であることに注意されたい。
男が瞬きするか否かを、よってたかって止める、
というナンセンスコメディだろうかね。

絵がドラマチックなのではない。
文脈がドラマチックなのである。

逆に言うと、
ドラマチックでない絵でも、ドラマチックなストーリーは作れる。
ドラマチックな絵は予算が必要だが、
ドラマチックでない絵は予算に優しい。
つまり、アイデア次第では、
最も安く、最も面白い話を創作できる。

逆に、ドラマチックな絵ばかりで、
文脈がスカスカならば、
内容がない、絵だけは立派な写真集が出来上がるだろう。
ああ、シンゴジラがそうだったね。


あなたは、どれだけの普通の絵で、
どれだけのドラマチックなストーリーが作れる?

そういう練習をしてみるといい。
地味な絵だけの、本当に面白い話を作ってみたまえ。

それが自在に出来るようになったら、
それのどこか、肝になる場面をドラマチックな絵にするといい。
それが名作だ。
posted by おおおかとしひこ at 14:04| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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