2017年09月09日

リライトの良くない例をじゃんけんにたとえてみる

せっかく完成していたじゃんけんに、
四手目の手を加えてしまうような行為。
これは、間違ったリライトだ。


どうして完成度が高いじゃんけんに、
四手目を加えてしまうのだろう。
「じゃんけんをすでに知っている人を前提にして、
それにアレンジを加えてしまう」からである。

全ての人は、じゃんけんが初見だと考える。

そういう人たちにむけて大事なことは、
じゃんけんのルールを把握してもらうことだ。
みっつのうち好きな手をだすこと。
グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝ち、パーはグーに勝つこと。
あいこならもう一回。
これを決着がつくまでやる。
戦略はとくにないが、公平に等確率で決着をつける、
コイントスより合理的な方法だということ。
しかも複数いてもできる方法だということ(あいこが増えるけど)。

これらのことを把握して、
かつ何回かやってみない限り、
じゃんけんを楽しむことはできない。

これが第一稿で、初見だ。

しかし、
ヘタなリライトは、この人たちに、
「じゃんけんには四手目がある。それをQとする。
Qはグーに勝つ。グーはチョキに勝つ。チョキはパーに勝つ。
パーはQに勝つ」
と説明するようなものである。
しかし、「Qとチョキが来たら?」
と、新たな矛盾を指摘されて、
それにまた言い訳を新たに作り、都合合わせの連鎖を繰り返すようなものだ。

それは、正しいリライトではない。
正しいリライトとは、
本来の、じゃんけんをうまく魅力的に説明する方法だけなのだ。

それなのに、四手目を加えてしまう心理とはなにか。
おそらく、自信のなさだ。

なにか足りないから、足そうとしてしまう心理だ。

これは、せっかくのじゃんけんという完成された第一稿を、
台無しにしてしまう行為である。
自信を失わずに、ちゃんと世界を構築すればいいのに、
ついつい足してごまかそうとするのは、
間違ったリライトである。

もちろん、じゃんけんの二手しかできてなくて、
足りない原稿もあり得る。
その時に三手目を足して完璧な作品になることもある。

今の状態がどうかについて、
客観的に見れるかどうかということが、
どれだけ大切か、
分かるというものだ。


あなたのリライトは、四手目を足す愚行なのか。
それとも三手目を奇跡的に思いついて足す行為なのか。
それは、プロットのときに正解があるはずだ。
プロット段階でそもそもそれができていないのなら、
原稿が出来上がってからは手遅れだったりする。
それをどうにか、あとでは出来ないので、
四手目を足すことで、
新しいことをしたような気になっているだけなのだ。

自信のなさが、迷いを生じさせる。
スポーツでも執筆でもおなじ。
客観的に見ているコーチがいればいいのだが、
そうそういいコーチはいない。
シナリオ教室にかよっても、その先生がそれだけの眼力があるかどうか、
なんとも言えないね。

我々は、つねに暗闇を疑心暗鬼で進むしかない。
灯台は、プロットの時に見えた、「これ、面白そう」という確信しかない。
できるだけ、それがどうして面白いと思ったか、
最初にメモしておけば、
その思いに忠実に書くことが出来て、
四手目を足す必要はないということがわかるだろうね。
posted by おおおかとしひこ at 22:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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