セットで考えよう。
その問題に適した主人公はどういう人か?
逆に、
その主人公はどういう問題を解決するのか?
これが、不可分になるまで練っていこう。
別に誰が解決しようが変わらない事件。
別にその事件を解決しなくてもいい主人公。
それでは面白くない。
その人が直面し解決せざるを得ない、
運命的な、
主人公と問題との出会いを考えよう。
それは、マリアージュになるべきである。
その問題を解決するのに、
最も相応しい人物は、
どのような内的問題
(克服するべき過去、渇き、不足)があると、
面白い話になるだろう?
その主人公が直面する問題は、
どのようにしてその主人公の内的問題
に直面せざるを得ないようになるだろう?
これらはペアで螺旋のように発展させていくといい。
その問題を解決するように、
その主人公は運命付けられていた、
と思えるくらいに、
主人公の内面的成長に、ぴったり来るように、
問題も主人公も設定されているべきだ。
ただのヘンテコな事件や、
興味深い事件や、
見事な解決法や、
目から鱗の解決の仕方や、
感動的な解決法だけでは、
片手落ちのパズルである。
ただの深い内面や、
感情移入に値する内的物語や、
成長に感じるカタルシスや、
私たちの内面にもある不満や苦痛が、
代償行為による鬱憤ばらしになるだけでは、
片手落ちのポエムである。
問題は、そのマリアージュなのだ。
事件とその解決というセンタークエスチョンと、
主人公の渇きと内面の旅の終着は、
二つでひとつ、表裏一体の、
絡み合った運命である。
そうなるのが理想だ。
分かりやすい例を。
仮面ライダー(昭和版)は、
改造された人間が、その悪の組織を倒す、
という問題と解決を描く。
同時に、
「力を持ってしまったものの孤独や疎外が、
皆に受け入れられる」
という主人公の内的旅を描いている。
それは、卵と鶏の関係のように、
どっちが先と言えないような混ざり方をしている。
子供の頃は外的問題、
つまり怪人とライダーのバトルに夢中になっているが、
少し成長してから見ると、
本郷猛の孤独感や疎外感を味わえる仕掛けに気づくわけだ。
ヒーローは孤独である。
異能者は孤独である。
それは、
「他人と違うというだけで、他人から疎まれている人」
全てが感情移入可能なのだ。
だから、仮面ライダーが異能ゆえに皆に恐れられたり、
あるいは石を投げられたり、
迷惑だと言われたりする場面はとても重要だ。
そしてその仮面ライダーが、
仲間を作っていく過程は、さらに重要である。
自分の居場所を、人々のなかに見つけるというのは、
人生のテーマのひとつだからだ。
なので、
僕は平成ライダーにいまいち魅力を感じない、
昭和ライダーファンだったりする。
(響鬼は惹かれたが、2クール経っても面白くなかったので脱落)
同じ物語は、「妖怪人間ベム」にも「新造人間キャシャーン」にも、
見ることが出来る。「デビルマン(原作)」もそうだね。
あるいは「ロッキー」も「スターウォーズ(EP4のみ)」もだ。
彼らは、異能ゆえに人々に怖がられるシーンがある。
ベムは毎回哀しみの変身をする。俺は人間じゃないんだと。
キャシャーンは人々からアンドロイド達と同じだと石を投げられる。
デビルマンは悪魔扱いされる。
ロッキーは思わず親友ポーリーに拳を振り上げるシーンが堪らない。
スターウォーズは孤独や疎外感は、ワンシーンだけある。
おそらく、ほぼ同時期のこれらの内的主題は、
社会からの疎外感であった。
当時の若者は、みんな疎外感に悩んでいたのだろう。
今はどうだろね。
そこまで分かりやすく疎外はないかもね。
陰キャはいるけど陽キャと分離されてしまった。
リア充のふりをする辛さ、みたいなのは今日的かも知れないが。
つまり、テーマと、事件と解決のペアと、
主人公は、
三角形の構造なのだ。
その事件解決に、運命的に出会う主人公。
内的殻を破らないと、解決できない事件。
そういうペアを考えよう。
2017年09月10日
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