2017年09月12日

理解されなきゃなんにもならない

どんなに素晴らしいものでも、
理解されなきゃないのと同じ。
それが大衆への価値だ。

相対性理論は真実であるが、
光速度不変から導き出されるローレンツ変換
(空間や時間が伸び縮みする)
なんてことを、大衆は理解できない。


しかしながら、GPSがメートル単位で測れるのも、
カーナビで道じゃないところに車が突っ込まなくなったのも、
Googleマップと現在地がずれない保証も、
すべては相対性理論による恩恵だということは、
真実だ。
ただ、大衆が理解できないだけだ。

だから、技術者は永久に理解されない。
技術者同士がわかる話(学会)は盛んだが、
そこに大衆がまぎれてもちんぷんかんぷんだ。

僕の言っていることは、技術論なので、
大衆には通じない。
なんだか変なおじさんが世の中に嫉妬して喚いている、
という風に見えるだろう。
しかし、技術者から見れば、おそらくは貴重な話を書いていると思っている。


技術論ならまだ分かる。
問題は、
「あなただけが発見した、あなただけの何か」を、
伝えるときだ。

「それは全て理解されないかも知れない」と、
まず疑う気持ちをもとう。

「そんなバカな、これは素晴らしい何かであり、
それを全て理解すれば世界は変わるのだ。革命的なのだ」
とあなたは考えるだろう。
「三行では説明できない。
何故なら複雑に入り組んでいる理論だからだ」
というに違いない。

しかし大衆は、そんな複雑なものに付き合ってくれない。
途中で飽きてどこかへ行ってしまう。
だからあなたは、三行で説明しなければならない。

「全てを三行では無理だ」と考えるなら、
こう考えるといい。

その複雑怪奇な素晴らしい全貌は、
全部をまとめて見ないと分からないとしよう。
では、「三行で説明できる面白い部分はどこか?」と。

何も、あなたの素晴らしいなにかを、
わずか三行に押し込める必要はない。
凝縮できるのは理想だが、
相対性理論だって凝縮できない。
(有名な等式E=mc2は、冒頭の成果となんの関係もない。
ただ短いから有名になっただけで、
これが使われているのは原爆と原発と加速器だけだ)


三行では語れない。
そういうもののとき、
「その部分集合で、
誰もが分かる、三行で分かる面白い部分はどこか?」
という問いを立ててみよう。

あなたの素晴らしい何かを全員が全部理解する必要はない、
と割りきって、ここなら面白いよ、
と考えるといいだろう。
ここなら、みんなと共有できるところ。
あとは詳しく読まないと分からないので省略、
という部分集合。

ちなみに相対性理論では、
「光速度に近づくほど時間がゆっくりになる」
という部分集合はよく使われる。
SFにおけるウラシマ効果である。
これを使った名作に猿の惑星があるが、ネタバレなので各自確認のこと。
同様のネタでは、映画スタートレックでも使われていたよね。

なんだか分からないがその一行を認めたら、
ストーリーを面白く楽しめるもの。
それくらいの部分集合を見つけるべきだ。

それが実は、「物語に嘘はひとつ」ということと関係している。


ウラシマ効果は嘘ではなく事実だ。
β崩壊の寿命が違うんだよねたしか。
しかし大衆にとっては嘘と同じレベルなのさ。

あなたの素晴らしい何かは、
誰にも理解できないが真実かも知れない。
あなたは素晴らしいガリレオか、
またはただの嫉妬おじさんかは、
誰にも分からない。

問題は、ストーリーが面白いか面白くないかで、
面白いストーリーというのは、
たったひとつの嘘を認めれば、
あとは全部日常からの類推で理解できるものをいう。

それが大衆に向けて何かを発信することで、
「分りやすい/分かりにくい」というのは、
そのことを言っている。


さあ。
あなたの素晴らしい何かの、
面白い部分集合はなに?
それがどんなに突飛でも、
ひとつだけなら大衆はOKだ。
むしろ、物凄く面白いそれをひとつ求めている。
posted by おおおかとしひこ at 11:27| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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