2017年09月14日

美大出は、ストーリーのことなんてわかっちゃいない

また暴論してみよう。


たとえば絵を描く人。
イラストを描いて、Tシャツにしたりコースターにしたりして、
儲けている人はたくさんいるだろう。
たとえば音楽を作る人。
作曲する人はたくさんいるだろう。

芸大美大は、たぶんそういう人たちの集まりだ。
だけど。
ストーリー専門は、芸大美大にはない。
どちらかというと手の力に頼る。
デザイン、絵、楽器。演劇もあるのかね。

そういうものは、
「見た目でなんかいいもの」
になりがちだ。Tシャツのグッズが代表的だ。

そこに意味なんてない。
それが面白ければいい。
笑いにも似ている。
しかし「手で作られたもの」だから、
圧倒的に言葉での表現ではない部分で表現している。

つまり、言葉の介在が少ない。


ストーリーとは、全て言葉で表現できるものである。
それは意味であり論理だ。

出来ていないストーリーのことを、
矛盾があると指摘したり、
これ意味あったん?と指摘したりすることは、
ストーリーとは強固な意味と論理を持っていないとダメだということだ。

これに、芸大美大は歯が立たないわけである。
だって手で作ることしかやってなくて、
そういう社会で育ってきたのだから。

言葉を鍛えていない人が、言葉の世界に入れるわけがない。
そして、言葉を操るには、ある程度のIQがいる。

もっとも、芸大美大生全員がバカだといっているわけではない。
頭が切れて、ストーリーのことが分かる人もいるだろう。
IQが高くてもストーリーのことが分からない硬直したやつもいる。

とはいえ、文芸部は、頭のいい大学の出のほうが、
まともな神経を持っているものだよね。
これは経験則だけど、真実でもある。

言葉に対する感性や鋭敏さ、
論理の破綻や首尾一貫性、
それに意味があるかないか、
それらは、
芸大美大生の日常ではシビアでない。


ストーリーとは落ちのことだ。

これまでの首尾一貫した話が、
落ちによって、
どういう意味があったかが確定する。
その切れの良さが、ストーリーの価値になる。

美大生が作ったTシャツに、
「こんなのつくってなんの意味があるの?」
と聞いてみたら、
「面白かったり可愛ければそれでいいじゃないですか」
と言ってくるだろう。
「これにはこういう意味があり、こういうことを構造化して示しているのです」
ともし言ってくる人がいたら、
「それだけを意味するのであれば、
もっと簡単な図表で示すことが出来るよね?」
とさらに追い込んでいけばいい。
最後には、「芸術に意味なんてないだ!」
と逆ギレするだろう。


意味のないものに、物体なら価値はある。
その物体そのものの価値だ。

しかし、たとえば本の物体には価値がない。
ストーリーの価値とは、
それが記されている物体の価値ではない。

芸術にはふたつある。
物体と、物体でないものだ。
前者は絵画やデザインや彫刻や建築、
後者は音楽や舞踊あたりだろうか。

ストーリーは後者に属する。
しかしながら、それは身体表現を伴わない、
抽象でしかない。
それは概念に近いものだ。

だから、意味や論理が通っているかどうかなのだ。

意味がない概念はゴミ。
論理の破綻している概念もゴミ。
意味と論理のあるものだけが概念化しえて、
他人と通じるものである。

物体があれば、互いの間において、いいよねと愛でることが出来る。
概念はそうではない。


つまり、
芸大美大生の作っているものと、
ストーリーは真逆だ。

だから、芸大美大出は、ストーリーを理解できない。
作れないし、修正できないし、批評できない。
勿論暴論である。
東大京大出が全員出来るわけでもない。

しかしある程度意味や論理の世界に生きていれば、
それを頭の中で操作して、
作ったり修正したりチェックしたり批評したりすることは、
可能だろう。
その能力は、言語能力と空想力に、比例しているのかもしれない。
言語能力だけでもダメで、
空想力だけでもダメだろうね。


言語能力を鍛えるには本を読むしかないらしい。
辞書を頭から読む人もいるらしい。
あとは書いたり喋ったりするアウトプットも重要で、
そのループが人を言語的に賢くする。
空想力を鍛えるには、空想するしかないよね。
頭の中でどれだけ架空を作れるかという、
脳内の楽園能力だよな。

プロになってわかったことは、
プロといえども、その能力に大差があることだ。
あるいはジャンルの偏りがあることだ。
プロテストがない世界だからね。
ないままプロになった人は、あとがキツイだろうな。

で。
「面白ければそれでいい」なんて言うやつに限って、
意味や論理の破綻に無頓着だ。
それはストーリーではないのだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:14| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここに書いてある美大生観、あながち間違っていないと請け合ってもいいです。自信をもっておっしゃっていいと思います。美大にはこれまで一ページも本を読んだことのない者が巾を利かせているのも事実です。

一応映像コースのあるデザイン学校で勉強しましたが、このブログに書いてあるような脚本論は全てハツミミで、いったいウチらが勉強してきたことは何だったんだと思うことしばしばです。

いつかここにまともなコメントを寄せてみたいと思っていますが、更新ペースが速すぎてとても追いつきません。
Posted by みや・でぃぞん at 2017年09月14日 21:34
みや・でぃぞんさんコメントありがとうございます。

クリエイティブを訳の分からないものとして、
神格化して思考停止してはいけないと、
僕は考えています。

コメントはいつでもどうぞ。適宜返します。
リアディゾン懐かしいなあ。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年09月14日 22:02
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