どんな主人公も内的問題を抱えている。
つまりあなたは、
心のトンネルをどうやって抜けるかを、
毎回違うパターンで書かなければならない。
内的問題に自覚のない人はいない。
自覚がなければそれは問題と認識すらされないからだ。
じゃあ、
自覚のある、
自分の性格的、心理的な、欠点や不足を、
ドラマを通じて克服する、
ということを、
あなたは一本つくるたびにしなければならない、
ということである。
ものすごく簡単な例だとすると、
「謝ることができない」という欠点を抱えた主人公が、
最後には人に素直に謝れるようになるような、
体験と変化を、
「事件が起きて解決しようとする過程」のなかで、
やらなければならないということである。
謝れない人が謝れるようになる、
なんてのは、テーマとしては小さなレベルだ。
30分ドラマの一話程度のテーマだろうね。
映画のテーマとしては、内的問題が矮小だとは思う。
まああくまで例だ。
つまり、映画を書くということは、
映画に値する内的問題と、
その劇的解消のペアを、
用意しなければならないということである。
さあ。
そんなに毎回色んなパターンを、
あなたは持っているかな?
心的成長を、どれだけあなたはリアルに書けるかな?
初心者は自分を書いてはいけない。
「主人公の心的成長」を描くのに、
「自分の心的成長」を描かないといけないからだ。
成長は苦しい。
だから、たいていそれを描けずに放り出してしまう。
脚本一本書くたびに、映画に値する成長を自分でしなければならない。
それが自分を書くことの欠点である。
当然、自分でない他人の成長なら、
いくらでも苦しめられるし、
苦悩させられるし、
逃げなくてすむし、
客観的に成長のリアリティーを感じながら、
納得するような、
腑に落ちるような成長を描けるはずである。
つまり。
あなたは毎回、
別の心のトンネルを用意し、
別のパターンの抜け方を用意しなければならない。
面白げな事件と解決を考えるだけでは、
ストーリーを考えたことにならない。
それがなんの意味があったのか、
というところにいくためには、
主人公の成長(変化)が不可欠である。
つまり、事件と解決のセットと、
トンネルと抜け方のセットの、
両方が必要である。
その主人公はどんなトンネルに入り、
どうやって見事に出てくるの?
それが一番大事なことさ。
(テーマが一番大事とか、面白さが一番大事とか、
プロットが一番大事とか、魅力が一番大事とか、
一番大事なものはたくさんありすぎるね)
2017年09月16日
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