2017年09月16日

トンネルを抜ける

どんな主人公も内的問題を抱えている。
つまりあなたは、
心のトンネルをどうやって抜けるかを、
毎回違うパターンで書かなければならない。


内的問題に自覚のない人はいない。
自覚がなければそれは問題と認識すらされないからだ。

じゃあ、
自覚のある、
自分の性格的、心理的な、欠点や不足を、
ドラマを通じて克服する、
ということを、
あなたは一本つくるたびにしなければならない、
ということである。

ものすごく簡単な例だとすると、
「謝ることができない」という欠点を抱えた主人公が、
最後には人に素直に謝れるようになるような、
体験と変化を、
「事件が起きて解決しようとする過程」のなかで、
やらなければならないということである。

謝れない人が謝れるようになる、
なんてのは、テーマとしては小さなレベルだ。
30分ドラマの一話程度のテーマだろうね。
映画のテーマとしては、内的問題が矮小だとは思う。

まああくまで例だ。


つまり、映画を書くということは、
映画に値する内的問題と、
その劇的解消のペアを、
用意しなければならないということである。


さあ。
そんなに毎回色んなパターンを、
あなたは持っているかな?

心的成長を、どれだけあなたはリアルに書けるかな?

初心者は自分を書いてはいけない。
「主人公の心的成長」を描くのに、
「自分の心的成長」を描かないといけないからだ。
成長は苦しい。
だから、たいていそれを描けずに放り出してしまう。
脚本一本書くたびに、映画に値する成長を自分でしなければならない。
それが自分を書くことの欠点である。

当然、自分でない他人の成長なら、
いくらでも苦しめられるし、
苦悩させられるし、
逃げなくてすむし、
客観的に成長のリアリティーを感じながら、
納得するような、
腑に落ちるような成長を描けるはずである。


つまり。

あなたは毎回、
別の心のトンネルを用意し、
別のパターンの抜け方を用意しなければならない。


面白げな事件と解決を考えるだけでは、
ストーリーを考えたことにならない。
それがなんの意味があったのか、
というところにいくためには、
主人公の成長(変化)が不可欠である。

つまり、事件と解決のセットと、
トンネルと抜け方のセットの、
両方が必要である。

その主人公はどんなトンネルに入り、
どうやって見事に出てくるの?

それが一番大事なことさ。


(テーマが一番大事とか、面白さが一番大事とか、
プロットが一番大事とか、魅力が一番大事とか、
一番大事なものはたくさんありすぎるね)
posted by おおおかとしひこ at 13:27| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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