何がおもしろいのか。
色々考えてると、ほんとうにわからなくなる。
ちょっと離れて考えよう。
それは、「何か、やらかしそう」か?
全てが上手に連関していて、見事に面白いものの場合、
それは全貌として面白いわけだから、
それは「面白かった」となるはずだ。
面白いものを書く、というときに考えることは、
全体として面白いものであるべきことは勿論だけど、
それじゃ、結論に至らない限り面白かったかどうか、
わからないのが欠点である。
だから、途中でも面白くあるべきである。
途中でも面白いということはどういうことか。
最後まで見て満足することではなく、
その途中でも面白いということは、
「期待できる」ということだ。
何が期待できるかというと、
「これから」が、である。
ある時点での面白さというのは、
結論の面白さではない。
「全貌は分らないが、
今面白く、かつこの先が面白そうな気がする」という面白さのことである。
ついでにいえば、
「最後までいけば、きっと完璧な全貌になっていて、
たしかに面白かったと期待できる」ということも、
成分として含んでいることが考えられるよね。
つまり、面白さのほとんどの成分は、
「期待」である。
ということで、
「何かやらかしそう」なのは、
面白いの大部分の成分を占めることになる。
何かが破裂しそう。
ケンカが起こりそう。
対決が避けられなさそう。
落ちそう。
助かりそう。
死にそう。
生き返りそう。
とんでもないことが起こりそう。
訳がわからなすぎて、解説を求めたい。
(しかも、腑に落ちたくて、かつ、それが普通でないものを期待)
すげえことになりそう。
最終的にどうなるか分からないが、おそらくこうなる予測。
などなどが、
「(現在)面白い」ことの正体ではないだろうか。
異論は認める。
ストーリーが面白い、という以外にも、
キャラが魅力的、
世界観が面白い、
ミステリアスで、その先を知りたくなる、
なんてのも大きな要素だ。
「その先を知りたい」だけでなく、
「今この世界にずっといていたい、
明日も明後日もいたい、
ここにいることをただ感じていたい」というのも、
面白いに含まれると考えられる。
(それが二次創作の動機のひとつになっているだろうけど)
もちろん、我々はこれを利用して何かを書くわけだけど、
最終的にはストーリーが面白く無くては意味がない。
ということで、
「何かやらかしそう」かどうかは、
ストーリーが今面白くなっているかどうかを、
チェックするのにちょうどいい。
注意すべきことは、
「何かやらかしそう」は、
わりとすぐに出来るということだ。
何か危険なにおいのする場所へ行ったり、
なんかすげえ人物を登場させれば、
すぐにこの雰囲気は作ることができるからである。
ということで、
「ある場所へ行く」
「新しい人物が出て来る」
というのは、新展開の常道で、かつ期待感をあおることができるので、
しょっちゅう使われる方法だということ。
だから、初心者でもすぐに使える方法だ。
問題は、この先、この期待に応える十分なエンターテイメントを
用意しておかないと、
単なる「出落ち」になってしまうことである。
だから、困ったら、
新しい場所へ行ったり、
新登場人物を出したりしたくなる人は、気を付けた方がいい。
それは、今面白いけど、
すぐに面白くなくなる可能性が高いからだ。
その場所や人物が、
今のストーリー上の焦点にどう絡み、どう話を進めるのか、
それが進展しないと、話はさらに面白くならず、
堂々巡りをすることになるだろう。
進まない話は面白くない。
だから、またまた違う場所、違う登場人物を出して、
また面白くなるようにして、
結局また何も進展せず、
また……というループを繰り返しているうちに、
飽きてやめてしまうことがほとんどなのではないか。
これを防ぐには、メインストーリーの焦点は何か、
それはこれらの新展開でどう変わっていくのか、
(それは面白いか)
を、考えてから、そういう新場所、新キャラを出すといいだろう。
つまり、準備なき新キャラや新場所は、
必ずあなたを苦しめることになるだろう。
(そしてたいていそれは出落ちになっておしまいだ)
面白さの大事な要素は、
「何かやらかしそう」である。
そして、その期待に応えて、
「何かをやらかして、話が面白く進展する」
ということである。
前半だけ出来るハッタリ野郎のままでいないことだ。
(ダメな漫画家はよくこの罠にはまって、苦しむことになるよね)
あなたのストーリーの、各場面をチェックしよう。
それは、いつも「何かやらかしそう」な空気に満ちているか?
満ちていれば、
観客はそこで緊張しながら、
行方を見守っているだろう。
そうでなければ、
退屈しているだろう。
2017年09月17日
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