安定して生活して、心も平穏に保たれて。
それは我々の生活の理想で、
ある意味日常かもしれないけれど、
それは物語には、一秒たりともあるべきでない。
物語とは、楽園を追い出された者たちのことである。
主人公どころか、
登場人物全員が、
平穏で平和な日常を送らないことにしよう。
物語とは時間単位の変化である。
平穏な暮らしは定常状態であり、
微分すれば0だ。
つまり変化をしていない。
それは、ストーリーにおいては停止を意味する。
もっと言うと停滞だ。
あなたが自分のストーリーが停滞しているなあと感じるとき、
誰かが安定した日常に入っていないか、
確認するといい。
「大変な闘いが終わって、
ようやく日常に戻れたシーン」は、
危険から平和への変化を描いているので、
これには相当しない。
問題は、
「今日も平穏な暮らしを送り、
そして明日も平穏な暮らしを送り、
次にまた平穏な暮らしを送る」だ。
それは定常状態であり、物語ではない。
一方の激動に対して、変化しない対比としてそれを持ってくるならば、
まだその存在意義はある。
しかし、進行を旨とするストーリーにおいて、
定常状態は停滞にすぎない。
つまり、退屈である。
たとえば、
「大変な闘いが終わって、
ようやく日常に戻れたシーン」の次は、
「せっかく平穏な暮らしに戻れたと思ったのに、
まだそうではなかった、
話は終わってなかったのだ」が接続しなければならない。
進行こそ是である。
ワンシーンも、
「今日は平和で、なにもなかった」があってはならない。
それはストーリーではないからだ。
勿論、何もない平穏な暮らしは、
ストーリーの最初と最後には登場するかもだ。
それはストーリー(平穏でないこと)の逆だから。
しかし、全登場人物が、
平穏な暮らしをせずに、何かしらそうでないことが、
ストーリーの進行条件だといってもいい。
なぜなら、そうであれば「目的をもつ」からだ。
ストーリーを停滞させるのは、
目的が見えないことだ。
平穏な暮らしで安心したら、目的がなくなってしまう。
そこに安住するのは、目的のない、
ストーリーと真逆なことである。
相変わらずファイアパンチを追ってはいるが、
10年後のサンに、目的がないことにあきれてしまった。
だから一向にアグニと絡まない。
現状のサンには目的がない。
サンダーキックで奇跡を起こし、アグニに祈るという、
彼の中では平穏な暮らしをしている。
つまり定常状態だ。
これがストーリーになるには、
それが壊れて目的をもつときだけで、
それはなかなか訪れないので、
つまりはサンダーキックは出落ち状態の放置だ。
せっかくスタートダッシュを切るチャンスを失い、
結局は停滞する物語を、延々見させられる退屈に陥っている。
ストーリーが動くということはどういうことか。
誰も平穏な暮らしをしてないこと。
誰もが目的を持ち、そこに向かって動いていること。
その目的に近づいたり遠ざかったりして、
状況が動いていることを、
ストーリーが動いているという。
その目的への接近速度が早い遅いが、
展開の早い遅いである。
定常状態は物語の敵だ。
設定場面だけで終わるのは、出落ちの定常状態である。
2017年09月18日
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