2017年09月18日

バトル漫画は何故面白いのか

「結果が出ることが決まっている」からだ。


バトル漫画の魅力は、
技のかっこよさやネーミングに負うところが大きい。
見開きドーンの絵の魅力もあるよね。
極端に言えば、バトル漫画とは必殺技の応酬だけを楽しんでりゃいい。

しかしそれらは、全てデザインの領域のことである。
映画で言えば監督の領域で、
脚本家の仕事領域ではない。

もしバトル漫画か何故面白いのかと聞かれて、
技のかっこよさ、なんて答えているのならば、
脚本家失格である。
それはストーリーの部分ではないからだ。
(もっとも、バトル漫画はストーリーではない、
という答えは半ば正解かもね。
「魁!男塾」の実写映画が、いかにつまらなかったか。
同じくバトル漫画原作のドラマ風魔は、バトルをメインにせず、
人間ドラマを中心としたことが、成功の原因だと僕は思う)

さて、ではバトルのストーリー要素って?

それが、「必ず結果が出ることが決まっている」というところだと僕は考える。


バトルとはつまり、
命の取り合いにせよ、
スポーツ的な勝負事にせよ、
頭脳勝負だろうが肉体勝負だろうが、
勝ち負けを競うものである。
つまり、必ず勝ち負けは確定することが前提だ。
(たまに引き分けやノーコンテストもあるが)

ということは、目的がはっきりしていて、
かつ結果が出ることによって、
「ストーリーが進行する」のである。

これは停滞と真逆のことである。
前前記事のミュージカルの話で言うと、
バトルシーンはミュージカルシーンと同じだ。
ただ歌って踊るショーでなく、
歌が終わったときにストーリーが進行していなければならない。
それと同様、
バトルシーンが終わったときに、
ストーリーが進行していなければならない。
進行とはつまり勝ち負けの決定
(となんらかのドラマの進行。
たとえば前勝てなかったことを克服するとか、
相手の正体が明らかになるとか)
を、最低限含めるのだ。


逆に、バトルやスポーツシーンのない、
(ふつうの)ドラマでは、
「結果が出ること」を目的に行動する、
ということである。
試合や殺し合いの代わりに、
何かしら「結果が出るもの」について何かをするということが、
ドラマ進行ということなのだ。

それはどう転ぶか分からない(=危険がある)。
確実ではない。
しかし不可能そうでもない。
ある種の勝算(作戦や何かの根拠)はある。
しかし100%ではない。
そして結果が出ることだけは確実にわかっている。
さらにその成否は、その人の人生を左右することもわかっている。
だから、ノーリスクではない。

そういうものに挑むのがドラマだ。

それが、人生のなにかではなく、
バトルシーンになるのがバトル漫画であり、
スポーツシーンになるのがスポーツ漫画だってこと。
あるいは、それが恋愛の何かになるのが、恋愛ものってこと。

それらのうちで、バトル漫画が一番優秀なのが、
「確実に結果が出ることがわかっている」
という明快さだろうね。
恋愛ものでは、
「ちょっと仲良くなる」みたいな曖昧な目標になりがちで、
結果が出ることが明らかとは限らない。
だから、「このテスト期間が終わるまでに、ちょっと仲良くなりたい!」
なんて、期限つきで結果の成否を判定しやすいように、
条件を絞ったりする。
これはバトル漫画のような明快さには届かないわけである。


あなたがストーリーテラーを目指すのなら、
そのバトルの特徴を保ったまま、
漫画的バトルでない描写のような、
人生の何かを探し出すことだ。

それはおそらく、なにかしら勝負をかける瞬間になるだろう。

それがクライマックスでもいいし、
それをきっかけに、もっと大きなストーリー(つまり勝負事)に、
進んでいってもいい。


バトル漫画は何故面白いのか。
どんな形にせよ、ストーリーがばんばん進むからだ。
トーナメントなんか、
ただバトルしてるだけなのに、ばんばん人生の結果が出ていくんだぜ。
なんて省エネなストーリー進行形式か。

停滞するストーリーとは、真逆のことである。
「結果が出ることがわかっているなにか」に、
主人公たちを放り込もう。
posted by おおおかとしひこ at 17:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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