「結果が出ることが決まっている」からだ。
バトル漫画の魅力は、
技のかっこよさやネーミングに負うところが大きい。
見開きドーンの絵の魅力もあるよね。
極端に言えば、バトル漫画とは必殺技の応酬だけを楽しんでりゃいい。
しかしそれらは、全てデザインの領域のことである。
映画で言えば監督の領域で、
脚本家の仕事領域ではない。
もしバトル漫画か何故面白いのかと聞かれて、
技のかっこよさ、なんて答えているのならば、
脚本家失格である。
それはストーリーの部分ではないからだ。
(もっとも、バトル漫画はストーリーではない、
という答えは半ば正解かもね。
「魁!男塾」の実写映画が、いかにつまらなかったか。
同じくバトル漫画原作のドラマ風魔は、バトルをメインにせず、
人間ドラマを中心としたことが、成功の原因だと僕は思う)
さて、ではバトルのストーリー要素って?
それが、「必ず結果が出ることが決まっている」というところだと僕は考える。
バトルとはつまり、
命の取り合いにせよ、
スポーツ的な勝負事にせよ、
頭脳勝負だろうが肉体勝負だろうが、
勝ち負けを競うものである。
つまり、必ず勝ち負けは確定することが前提だ。
(たまに引き分けやノーコンテストもあるが)
ということは、目的がはっきりしていて、
かつ結果が出ることによって、
「ストーリーが進行する」のである。
これは停滞と真逆のことである。
前前記事のミュージカルの話で言うと、
バトルシーンはミュージカルシーンと同じだ。
ただ歌って踊るショーでなく、
歌が終わったときにストーリーが進行していなければならない。
それと同様、
バトルシーンが終わったときに、
ストーリーが進行していなければならない。
進行とはつまり勝ち負けの決定
(となんらかのドラマの進行。
たとえば前勝てなかったことを克服するとか、
相手の正体が明らかになるとか)
を、最低限含めるのだ。
逆に、バトルやスポーツシーンのない、
(ふつうの)ドラマでは、
「結果が出ること」を目的に行動する、
ということである。
試合や殺し合いの代わりに、
何かしら「結果が出るもの」について何かをするということが、
ドラマ進行ということなのだ。
それはどう転ぶか分からない(=危険がある)。
確実ではない。
しかし不可能そうでもない。
ある種の勝算(作戦や何かの根拠)はある。
しかし100%ではない。
そして結果が出ることだけは確実にわかっている。
さらにその成否は、その人の人生を左右することもわかっている。
だから、ノーリスクではない。
そういうものに挑むのがドラマだ。
それが、人生のなにかではなく、
バトルシーンになるのがバトル漫画であり、
スポーツシーンになるのがスポーツ漫画だってこと。
あるいは、それが恋愛の何かになるのが、恋愛ものってこと。
それらのうちで、バトル漫画が一番優秀なのが、
「確実に結果が出ることがわかっている」
という明快さだろうね。
恋愛ものでは、
「ちょっと仲良くなる」みたいな曖昧な目標になりがちで、
結果が出ることが明らかとは限らない。
だから、「このテスト期間が終わるまでに、ちょっと仲良くなりたい!」
なんて、期限つきで結果の成否を判定しやすいように、
条件を絞ったりする。
これはバトル漫画のような明快さには届かないわけである。
あなたがストーリーテラーを目指すのなら、
そのバトルの特徴を保ったまま、
漫画的バトルでない描写のような、
人生の何かを探し出すことだ。
それはおそらく、なにかしら勝負をかける瞬間になるだろう。
それがクライマックスでもいいし、
それをきっかけに、もっと大きなストーリー(つまり勝負事)に、
進んでいってもいい。
バトル漫画は何故面白いのか。
どんな形にせよ、ストーリーがばんばん進むからだ。
トーナメントなんか、
ただバトルしてるだけなのに、ばんばん人生の結果が出ていくんだぜ。
なんて省エネなストーリー進行形式か。
停滞するストーリーとは、真逆のことである。
「結果が出ることがわかっているなにか」に、
主人公たちを放り込もう。
2017年09月18日
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