2017年09月23日

勘は、偶然ではない

勘をどういうものだと思うか。
よく知らない人ほど、偶然を引くオカルト的な力だと思っている。
10個のくじの中から、偶然当たりを引くのが勘だと。

しかし、
熟練者の判断の「勘」はそうではない。



熟練者は、これまで沢山の失敗を経験している。
だから「こっちへ行ったらケガをする」ということが、
なんとなくわかる。これが勘だ。
「こっち」は、
前と同じシチュエーションや、
似てるシチュエーションのときにはたらく。
それが理屈づけられれば人に説明できるのだが、
そもそも以前の失敗を言語化していなかった場合、
「なんとなく危ない」ということしか言えない。

昨今、反省会が現場から消失ぎみである。
怒られるのがいやな若者が、飲みにこない。

どうして失敗したのか、延々と言葉で分析すべきなのに、
怖くてやっていない。

反省会の場で、
なぜ失敗したのか、
どうすれば成功したのか、
どうしたらそれに気づけたのか、
いつ気づけたか、
いつ軌道変更すれば間に合ったか、
そのためにはいつまでに気づかないとアウトか、
何回気づくチャンスはあるか、
などを分析しておかない限り、
それは今後に生かせない。

どういう根本的な失敗があって、
サブの派生的な失敗はどこから来ていて、
それは根本的な失敗さえしなければ防げて、
なんてことも分析できない。

昔は先輩に首根っこをつかまれて、
飲みにつきあわされた。
撮影の日は、朝まで反省会だった。
それを怒られることで、
正解はなにか、
いつその正解に気づくべきだったかを、
言葉で分析することができた。
それは十年たっても僕の心に刻まれている。

今はそうでない。
だから、みんな毎回同じ失敗をしている。


勘とは、
熟練者の失敗の経験から生まれたものだ。
なんとなくそこへ行くと失敗する。
だって前あったもの。
そのとき失敗したのはこういう理由で、
いまはそれとこれが似ている。

いまはそれと違うこれがあるから、
違うファクターで効くかも知れない、
じゃあもうちょっとやってみて、
前と同じ穴にはまるなら、
引き返す準備をしよう。

本来、勘とはそういう方向に働かせるべきだ。


逆に、こうしたほうが成功した、
というポジティブな勘もある。

しかし、
わたしたちの作るものは、同じものではない。
クリエイティブとは新しさの別名だ。
前と同じ方法では、定番だともいえるし、
停滞だともいえる。
勿論、どこからどこまでをベタとして王道化し、
どこから新しい要素を入れるかは、
塩梅をきめるべきだ。

だから、前成功したことをやりつづけるのは、
作風ともいえるし、
停滞ともいえる。

だから、前成功したことを勘に結びつけることは、
この世界ではあまり意味がないと思う。
事務仕事とか、決まったことならいいとは思う。


ということで、勘は、
ことばになっていないなら、
単なるオカルトだ。

あるいは、「経験者のいうことだからほんとうだろう」
と無批判で受け止めるにはちょうどいいかもしれない。
出来れば、
勘でダメだというには、
どうして失敗するか、
それをことばで説明できるようにしておきたい。
「前失敗したアレに似ている」でもいい。



ちなみに、いま関わっている仕事が、
前失敗したアレに似ている。
体制が空中分解している。
作品内容も空中分解するだろう。
アレに似ていると警告しても、
未経験者は無理だろうね。
ちなみに、
「指示を出す人の才能があまりにも低すぎて、
おれの提案を全く無視して、
自分のやりたいようなことを押し付ける」
というものだ。
せっかくつまらないから良くしてやってるのに、
それをいらないとばかりにメタメタにする。
それをそもそもつまらないと思ってない。


映画「いけちゃんとぼく」は、
それで空中分解した部分が多々ある。
原作を理解しすぎている俺と、
プロデューサーや宣伝部の理解の低さと、
「面白い」という基準の低さでの、落差がありすぎた。
だってあれで「大ヒットする」と言ってたんだぜみんな。
微妙な所があるから直したい、と言っても、
みんな「そうは思わない」って言ったんだぜ。
「宣伝の仕方がおかしい」といくら抗議しても、
みんな「そうは思わない」って言ったんだぜ。
僕はそれをわすれない。

クレラップのCМもそうだった。
4:3の時代に一世を風靡できたが、
震災があって、HDになって、
僕とクライアントの思うことが、
どんどんずれていった。
「子供が可愛ければそれでよい」と考える皆と、
「それじゃ面白くもなんともない」と考える僕との、
落差がすごくあった。
結局僕が降板することになったが、
内容的にはむごいと思う。ぬるくて見てられない。
それで商品は売れてるのかねえ。
売れてるならいいけど、
僕が思っていた、「文化の領域にいく」
ということは実現できていない。

で、今やってるやつも、
そういうやつだ。
それは面白くもなんともないが、
クライアントがそう考えるなら、
やらないといけない。
それでヒットしなかったら僕の責任で、
首を切られることになるだろう。
監督というのは、首を切って責任を押し付けるためにある。
(サッカーの監督とかをイメージするといいだろう。
外人を呼ぶのは、あとくされがないようにするためだ)



愚痴はこのへんにしておこう。

勘をばかにしないということ。
それはどういうアラームなのか、
皆で共有すること。

一人熟練者がいて、
皆が初心者なら、
いくらアラームを出しても、
それを信じない初心者たちにつぶされてその船は沈むだろう。
初心者が熟練者になるには、
反省会をして次に生かすループをつくることだ。

あるいは、それがオカルトかどうか、
言葉で検証できる知性を持つことだ。
言葉で分析しないなら、
その熟練者の経験談を聞いておくことだ。
「それと同じことがおこる」かどうか、
分析してみることだ。



勘は、
10の選択肢から、
「それはない」というのを外す、
動物が生きるために発達させてきた、
経験を判断に生かす力だと思う。
選択肢が全部等価なときに当てるのはオカルトだが、
現実の選択肢は等価ではない。

ない選択肢を外すことで、
ありそうな選択肢を検討する時間をつくれる。
全部を検証するのは、
しらみつぶしといってもっとも愚かなやり方である。
ずっとしらみつぶして死ね。

(このへんのことが、
非ノイマン型であるところの量子コンピューターの
アルゴリズムが浸透すれば、なにか知見があるかもしれない。
量子コンピューターは、
そもそも人間がどうやってノイマン型計算を使わずに、
正解に辿りつけているのかを、模倣しようとして生まれた、
ネットワーク型の計算方法だからだ。
量子コンピューターは、
量子的確率計算だから毎回違う計算結果をだす、
というのがわけわからないよね。
何回か計算させて、確率分布を求め、
一番たしからしいのを、正解とするらしい。
ほとんど神の宣託だよな。
あとはそれでノイマン型、つまり、従来の論理であとづけするようだ。
そもそも今のセキュリティ、
素数や因数分解を使った暗号化は、
ノイマン型でしらみつぶしすると〇億年かかる、
みたいな「勘の存在しない計算」を前提としている。
だからいわば勘に近い、
しらみつぶししない量子コンピューターに、
簡単に破られることが予測されている。
ようやく、
人間の勘みたいなことが計算的に実現しそうだ。
勘とはどういうものかについて、
もう少し研究は進むかも知れない。
しかし再現性や、誰でも同じ結果が得られること、
という科学の枠組みが通用しない世界になっていく。
芸術が科学できないのはそういうことだ。
だから「こういうことがある」という、
マーフィーの法則みたいな「法則集」「傾向集」として記録されるだろう。
でもそれって、「おやじの小言」と、
フォーマットとしては一緒になるということ。
なんだ、そんなこと、人類は太古の昔からやってるぜ)


おれの勘では、
映画界も、CМ界も、沈みかけた船である。
原因は、
面白いものが、
「上に通せない」という理由でつぶされていくこと。

面白かった時代は、「面白いじゃないか、やろう」だった。
「おもしろいのですが、今のわたくし共では難しいと思います」
が現状で、
それは、「面白さでは突破できない時代」になりつつある。
勘じゃなくてもわかる話だね。
(面白さ、は笑いとは限らない。
感動でも感心でもおしゃれでもいい。
とにかく心が動くことだ)





脚本論にもどそう。

勘を鍛えよう。
そのためには、沢山失敗して、
その分反省会をすることだ。
一本書いたら、
ノート一冊くらいは、反省会ノートに書くことがあるだろう。
それは誰にも見せなくていいから、書いたほうがいい。

書いたら書きっぱなしなら、
それは獣と同じだ。
あなたは成長しなければならない。

それには、分析と反省だけが、上に行ける手段である。

そうじゃないなら、
ある日偶然実力が伸びるオカルトしかない。
そしてあなたに奇跡は舞い降りない。
じゃあ、自力でいくんだ。
posted by おおおかとしひこ at 18:55| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いけちゃんとぼくを見て、DVDを買ってから、このブログへ辿り着きました。私はプロを目指しているわけではないので、逆にここまで脚本のことや物語について強い意志を見せる大岡監督の熱意に内心びっくりしてしまいました。いけちゃんとぼくについては最近yahoo感想覧に書いたものをそのまま書きますと「映画自体が泣かせようとしてるわけではないのに泣いてしまった。でも、泣ける本NO.1の肩書はいらない」です。五つ星をつけさせていただきました。あの宣伝の仕方は私も首を傾げていたのでコメントしてみようかと思い立った次第です。監督の次回作、必ず観に行きます。それまで頑張って企画を出し続けてください。闘い続ける人は男女関係なくカッコいいですよ。ファンというのは勝手なモノですね(笑)。それでは。
Posted by 林 at 2017年10月26日 21:25
林さんコメントありがとうございます。

角を立てずにうまくやるやつが出世します。
でも後世に残るのは、本物だけです。
頑張って本物を作りたいと考えております。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年10月26日 22:36
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