2017年09月24日

ものづくりとは、コロンブスの卵をつくること

ものづくりは、
決まったものを毎回同じようにつくることではない。
生活必需品はそうかもしれない。
米や魚やその他のモノは、そうやって作り続けるかも知れない。

しかし私たちの作るものは、
新しくなくては意味がない。
それはちょうど、新しいコロンブスの卵を作ることに近い。


複雑で新しいものはすぐに作れる。
ルールを継ぎ足していけばいい。
日本の家電が行き詰まったのは、
ルールを継ぎ足しすぎて、
いったいなんなのか分からなくなってしまったことにあると思う。

創造的ものづくりは、
コロンブスの卵であるべきだ。

それ以前には誰も思い付かなかったのに、
それを一回聞くと、
なんでこんなこと思いつかなかったのか、
わからないほどシンプルで本質的なこと。

「コロンブスの卵度数」が測れるかどうか分からないが、
それが高いほど、
僕はクリエイティブだと考える。


僕らが作るもののうち、
以下のようなものがコロンブスの卵的であるべきだ。

テーマとモチーフの関係。
テーマそのものもそうかも。
シチュエーション。
コンセプト(こういう趣向のおたのしみ、という全体を貫く考え方)。
主人公。
その他重要人物。
伏線やストーリー構造など、ストーリーのしかけ。
目的の面白さ。
問題の面白さ。
解決の面白さ。
展開の面白さ。
セリフの言い方や、そのもとになる考え方。
ビジュアル。ファッション。音楽。
(最後の一行は脚本とは関係がない)


こういうことに、
コロンブスの卵的な創造があるべきだと、
僕は考えている。
全部じゃなくてもいい。
なにかひとつ、コロンブスの卵があるべきだと思う。
(たくさんあると、斬新なんだろう)

そうでない限り、新しくてよいものを作ったとは言えないと。


コロンブスの卵は、常に一定量生まれるのかな。
最近率が下がってないかな。

ジョブスのいた頃のMacは、コロンブスの卵だらけだったと思う。
テレビや映画は、60年代、70年代、80年代、90年代に対して、
どうだろうね。
日本は停滞している。
コロンブスの卵は生まれても潰されている。
潰されるのが怖くて、もう金の卵を産まなくなったのか。
posted by おおおかとしひこ at 16:06| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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