ものづくりは、
決まったものを毎回同じようにつくることではない。
生活必需品はそうかもしれない。
米や魚やその他のモノは、そうやって作り続けるかも知れない。
しかし私たちの作るものは、
新しくなくては意味がない。
それはちょうど、新しいコロンブスの卵を作ることに近い。
複雑で新しいものはすぐに作れる。
ルールを継ぎ足していけばいい。
日本の家電が行き詰まったのは、
ルールを継ぎ足しすぎて、
いったいなんなのか分からなくなってしまったことにあると思う。
創造的ものづくりは、
コロンブスの卵であるべきだ。
それ以前には誰も思い付かなかったのに、
それを一回聞くと、
なんでこんなこと思いつかなかったのか、
わからないほどシンプルで本質的なこと。
「コロンブスの卵度数」が測れるかどうか分からないが、
それが高いほど、
僕はクリエイティブだと考える。
僕らが作るもののうち、
以下のようなものがコロンブスの卵的であるべきだ。
テーマとモチーフの関係。
テーマそのものもそうかも。
シチュエーション。
コンセプト(こういう趣向のおたのしみ、という全体を貫く考え方)。
主人公。
その他重要人物。
伏線やストーリー構造など、ストーリーのしかけ。
目的の面白さ。
問題の面白さ。
解決の面白さ。
展開の面白さ。
セリフの言い方や、そのもとになる考え方。
ビジュアル。ファッション。音楽。
(最後の一行は脚本とは関係がない)
こういうことに、
コロンブスの卵的な創造があるべきだと、
僕は考えている。
全部じゃなくてもいい。
なにかひとつ、コロンブスの卵があるべきだと思う。
(たくさんあると、斬新なんだろう)
そうでない限り、新しくてよいものを作ったとは言えないと。
コロンブスの卵は、常に一定量生まれるのかな。
最近率が下がってないかな。
ジョブスのいた頃のMacは、コロンブスの卵だらけだったと思う。
テレビや映画は、60年代、70年代、80年代、90年代に対して、
どうだろうね。
日本は停滞している。
コロンブスの卵は生まれても潰されている。
潰されるのが怖くて、もう金の卵を産まなくなったのか。
2017年09月24日
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