2017年09月28日

業界の構造のねじれを批判する

僕は映画は90%脚本で決まると考えている。
映画が物語である以上、
ビジュアルより出演者より、ストーリーやその結論を楽しむものだ。

しかし、ビジネスが成立するかどうかは、
脚本の出来ではなく、
出演者、原作などの担保で決まる。
それは、映画は借金して作るからである。
借金には担保が必要ということだ。

かつては、脚本がよいから、
金を引き出すために担保を揃えるのが、
プロデューサーの表向きの仕事だったと思う。
あくまでそれは表向きで、
裏方としては脚本を作っていたはずだ。

いま、担保だけ集めて脚本を開発していない、
担保集め係に、プロデューサーの価値が落ちている。

僕は監督だからプロデューサーのほんとうのことは分からない。
しかし外からみる限りは、
この人たちは担保集めしかやってない感じがする。
だって詰まらない映画を客に出して恥ずかしくないからだ。

内容は脚本家や監督に丸振りして、
自分は担保集めだけして、
そういうやり方だから、いつまでたっても邦画はよくならない。

本当にいい映画を作りたいプロデューサーも、
僕はどこかにいると信じている。
だからここで叫んでいるわけだ。

担保集めなんて、単なるカード集めじゃん。
カードの実力は本人の実力じゃない。
posted by おおおかとしひこ at 12:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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