これがどうしてねじれになっているか、
うまく説明していなかったかもしれないので、補足。
詰まらない映画をつくったときの、反省会や浄化が進まないからである。
だめなプロデューサー:内容を監督や脚本家のせいにして、
自分は別の担保を探しに行くだけ
監督や脚本家:プロデューサーの言うことをきいて、
内心ダメだと思いながらも従ったせいで、内容が酷かったことを批判され、
なおかつあいつらはダメだったと烙印を押される
つまり、別々のものしか求めてなくて、
「いいものをつくる」螺旋が壊れている。
それがねじれだ。
なぜこれは面白くなかったのか。
どうして問題になってしまったのか。
どうすれば次は面白いものがつくれるのか。
何が一体面白いストーリーなのか。
次は何が面白いのか。
主役の人気のせいにするでもなく、
周囲のせいにするでもない、
まっとうなふつうの仕事のやり方が抜け落ちていると思う。
当然それには才能や技術がいる。
僕は、それをここである程度提供しているつもりだ。
それは業界をよくしたいからだ。
2017年09月28日
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