カタナ式で指がしゃべる速度に到達したので、
「指がしゃべる」元祖の親指シフト(現ニコラ配列)を触ってみることにした。
しかしたぶんこの配列では、俺の指はしゃべるところまで行かない。
左の薬指に「あ」「し」「じ」がいて、
左の小指に「を」がいるのが、
もう無理だと感じた。
右の小指の「ん」「っ」も無理そう。
右の薬指の「い」は、
見た目だといけそうかなと思ったが、
たしかカナ頻度で「い」はトップ3だったはず。
「ない」が既に打ちにくい。
ああ、やはり俺の指は親指シフトではしゃべれそうにない。
俺の指は動かない。
薬指小指が動かない。
動かないことはないが、
人差し指と中指のようには動かない。
なにせ俺の左薬指は、
利き手の右人差し指の1/2.6のスピードだ。
「あ」とか「し」みたいな、かなり重要なところに、
そんな凹みがあって、
快適な言葉の流れになるはずがない。
たしかに、
これを批判して、飛鳥配列やらなにやらが、
生まれていった経緯がよくわかる。
そして僕は飛鳥配列ですら諦めた。
薬指小指が辛かったからだ。
(その反動なのか、カタナ式ではその指は使わない方針)
前腕の中の、手の甲側には、
指を動かす腱鞘が入っている。
それが使いすぎて炎症起こすのが腱鞘炎。
そして、中指と薬指と小指は、
みっつまとめて同じ腱鞘の中に入っている。
だからこの三本の指は、基本的にバラバラに動かない。
バラバラに動かそうと思うと、
ピアニストのように、腱鞘の分解ストレッチを延々とやらないといけない。
僕は体が硬い。上体前屈はマイナス10センチ程度だ。
これは先天的なもので、
これでも高校時代は少林寺やってて毎日柔軟して、
2センチくらいまでには鍛えていた。
その努力を指の腱鞘にしない限り、
少なくとも薬指小指を思いのままに動かすことは難しい。
つまり、親指シフトで指がしゃべると言える人は、
もともと柔らかい人かも知れない。
僕は飛鳥配列で、
秒1カナくらいまでは行ったけど、
それでも腱鞘が悲鳴を上げた。
握力は低下し、肩が凝り、視力に影響があった。
両手ともだ。
腱鞘の柔軟には年単位かかると思う。
そこまでしてやる価値があるかどうか、
やってもいない人には分からない。
だから飛鳥配列を僕はやめた。
カタナ式で秒5.8打出来るようになったのは、
人差し指と中指だけで打つからだ。
(右薬指も補助に使う)
各指の特徴を、親指シフトは把握していない。
俺の人差し指と中指はしゃべる。
薬指小指はしゃべらない。
親指シフトを開発した人は、
全指が元々しゃべる人だったのだろう。
そういう人は、親指シフトでも指がしゃべると思う。
しかし挫折した人の多さから、
それは先天的才能がない人の割合の高さを物語っている。
勿論地味に柔軟を年単位やればいいかも知れないが、
それで出来た人の話がないので、
成功イメージを持てないから不安だよね。
人は、不安なことはしない。
親指シフトの「指がしゃべる」について、
もうひとつ懐疑的な点がある。
「カナが指に一対一対応」だから、というのが親指シフトの利点で、
それゆえ、指がしゃべるという。
え?お前ら、日本語を一文字単位で考えてんの?
俺は、文節とか語尾とか、名詞とか、塊単位で考えてるんだけど?
飛鳥配列には、語尾の倍速打鍵という考え方がある。
「です」「ます」「する」などは、
通常より速く打てるアルペジオ打鍵になるように配置されている。
だから、語尾の塊に関しては倍速打鍵できる、
というのが飛鳥配列の利点だ。
これは、一文字単位の打鍵ではなく、
日本語の塊を塊単位で打とうとした試みである。
しかしそれも完璧ではない。
倍速打鍵出来る言葉はそれほどない。
ところがカタナ式ではその塊の数がものすごく多い。
左右に子音母音を分けていて、
6キー8キーしか使わないので、
子音単位、母音単位でアルペジオ打鍵が多数発生するからだ。
飛鳥配列のような2カナ1アルペジオでなく、
カタナ式は2文字4打鍵中の2アルペジオ(または1アルペジオ)、
ということにはなるけれど、
日本語頻出2文字連接上位300内では、6割の中にアルペジオがあることが確認されている。
ということで、カタナ式は塊単位でのアルペジオの流れがある。
塊単位で日本語を打っていくことを、
僕は最初から考えていた。
親指シフトの人は、
「頭の中の一文字を一打」というが、
所詮これはQWERTYローマ字入力を批判するための、
方便だと考える。
日本語を書くとき、一文字単位で僕は考えていない。
塊単位で考えている。
「か」「た」「ま」「り」ではなく、
「かたまり」だ。
ローマ字だと「katamari」だけど、
カタナ式だったら、
左k*t*m*rと右aaa*iの連携だ。(*の前後がアルペジオ打鍵)
勿論親指シフトでも「かたまり」という運指を、
ひとかたまりに覚えるまでやるだろう。
でも、人差し指と中指だけで打つことはないだろうね。
指がしゃべるとは、一文字一打から生まれるそうだ。
ほんとか?
一文字一文字しゃべってたら、
ホーキング博士のような人工声帯みたいな喋りになっちまうぞ。
言葉は文字が単位でなく、
塊が単位だと僕は考える。
もっといえば、定形語句や、
定形のやり取りやお約束も含めた、
もっと大きな単位が言葉や思考や文化だと考えている。
それを一気に打てなくて、
指がしゃべる状態とは言えないと僕は考えている。
親指シフトの主張する「指がしゃべる」と、
僕の考える「指がしゃべる」は、
イメージに開きがあるようだ。
僕がそこに達して、初めてその違いに気づいたというわけだ。
つまり、僕は親指シフトに、少々失望したわけだ。
童貞の妄想並みに「指がしゃべる」ことを至高だと考えていたら、
童貞捨てたらそうでもないと気づいた感じ。
この程度の配列を有り難がってるのは、
既に習慣化した人だけでいいと思う。
新しく始めても、合理がない気がする。
好きでやるなら止めないが。
合理でいくなら、飛鳥配列のほうが全然いいんじゃない?
指が10本とも喋れる人限定だけど。
別の考え方、新JIS配列から派生した、
月配列系列や下駄配列、その進化版の新下駄配列は、
詳しく触っていないので分からない。
いずれも最速を目指せそうな勢いはある。
しかし薬指シフトの新下駄は、一回挫折した。
僕の貧弱な薬指小指では、
しゃべるほど動いてくれそうもないなあ。
右小指のBSだけで俺激痛が走ったし。
(個人の感想です)
さらに。
指がしゃべることと、書くことには、
僕は差があると考えている。
指がしゃべっても、書いたことにはならないと。
長くなりそうなので、別記事にします。
2017年10月01日
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