2017年10月01日

【カタナ式】指がしゃべる考2:書くこととは

僕は書くのが仕事だ。
しゃべることが仕事ではない。

しゃべることと書くことは、出力する器官が違うだけ?
いや。全く違うよ。

脚本家の有名なトレーニングに、
「喫茶店のおしゃべりを録音して文字起こしする」
というのがある。
それは二つのことを学ぶ。
1. リアルな言葉は机の上で考えるよりもよっぽど豊か。
2. リアルな言葉は、わりと支離滅裂。


1に関して言うと、閉じてないで、
常にリアルを収集せよ、
という作家としての心構えと、
現状そこに至っていない痛感をすればいいだけのこと。

問題は2だ。

言われる言葉は、書く言葉よりも支離滅裂なのだ。

言う、というのはリアルタイムだ。

自分が言おうとしたことが途中で終わってしまって、
別のことを言い始めたり、
相手のリアクションによって話題が変わっていったり、
言い直したり、
言葉を間違って使っていて話が食い違ったり、
それに気づいて訂正したり、
興味がないから別の話題へ移ったり、
考える間があったり、
そういえばと突然前のことを思い出したり、
相手が別の話をし出したり、
話が前後したり、
結論がなかったり、
するものである。

テレビのトーク番組を作れば分かることだが、
出演者の話は、
議題を決めて話したとしても大抵こうなる。
だから、話をうまく纏まったように、
編集する。
余計なところを切るだけでなく、
字幕で補ったり、時間軸を入れ換えて分かりやすくするときもある。

言う話と、書く話は違う。
言うことは、支離滅裂でも構わない。
なんとなく合ってればよく、
その場の空気のほうが重要だ。

書くことは、支離滅裂であってはならない。
首尾一貫し、意味のあることを書くべきだ。
だから上との対比で言えば、

言い出したこたは最後まで(落ちがつくまで)言う、
脇道にそれない、
相手のリアクションを加速に使う、
言い直さない、
的確な言葉、最小の言葉を使う、
興味のある話しかしない、
淀まず一気に、しかも緩急つけて、
思い出しても付け加えない(むしろ最初から入っている)、
相手は噛み合う話しかしない、
時系列がきちんと整っている、
結論が明確で論旨が明快、

であるべきなのだ。


ハリウッドの脚本の格言に、
「Writing is rewriting」というものがある。
第一稿をとにかくなんでもいいから書き終えて、
その後の推敲こそで、
文章にしていく、という方法論だ。
第一稿は、大抵8割くらい書き直されるらしい。
そんなに?
でも日本の文豪の万年筆の原稿を見ると、
丸々×をつけてワンブロック書き直したやつとか、
しょっちゅう見るよね。
手の入っていない、綺麗な原稿を見ることはほとんどない。
でも、仕上がった文は綺麗だ。

つまり、書くという行為は、
汚い言うという行為を、綺麗に整えていく、
という行為なのである。

言うこととは、エントロピー増大で、
書くこととは、エントロピー減少に値する。

インタビュー記事も同じくだ。
言いたい放題言った滅茶苦茶なことを、
ライターが読めるように整理するのだ。


さて本題。

「指がしゃべる」のは、書くという行為か?


僕は、指がしゃべることは、夢の記録に似ている、
と昔書いた。
それはつまり、言うことってその程度、
だと僕は考えているということだ。

書くことは格別努力が必要で、
格別首尾一貫した統一的な整った思考が必要である。
しかも難しく書かず、
難しいことを平易に言うのがベストだ。

僕は、「指がしゃべる」状態は、
所詮喫茶店の会話でしかないと、
結論付けることにした。


勿論、書く以前の前段階としてのおしゃべり技能として、
タイピングは役に立つかも知れない。
第一稿をがーっと勢いで書くことや、
創作メモを取ることにおいて、
まるでおしゃべりのようなマシンガントークで、
文字にしていくことは、
高速タイピングは一種の道具として役に立つだろう。


しかしそれは、僕はいつも手書きでやっている。
所詮時系列がバラバラで、レイアウトフリーな文章ならば、
リアルにフリーレイアウトな手書きの方がいい。
(僕は升目も罫線もない、ただの白紙に、
ひたすら書いていく方法だ)

何より漢字変換が存在しない。
ぼくは「かんじ」だとは思ってなくて、「漢字」だと思っている。
人の言葉を聞いてるときは、
「感じ」か「漢字」かは、イントネーションや文脈で、
勝手に別の言葉に分類されているようだ。
(かんじという平仮名から、どっちだろうか、
と選んでいないということ)
自分から出力するときは、最初から概念として、
それこそ塊で出力している。
それが漢字かひらがなかは関係なくて、
「その塊がそう表記するから」、漢字とかひらがなに書き分けているだけである。

残念ながら、漢字直接入力をマスターしない限り、
仮名漢字変換の存在するタイピングでは、
この峡谷を越えることは出来ない。

で、ふと思ったのだ。
「俺の手書きのスピードは、いかほどか?」って。
条件を揃えるために、
タイプウェルを写し、タイムを計測、
という実験をしてみることにした。

次回に続く。
posted by おおおかとしひこ at 13:47| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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