2017年10月05日

陽キャと陰キャを書き分けられるか

自分と似たサイドは書けても、
逆サイドはなかなか書けないよね。


表面上のリアクションや普段の仕草は書ける。

もう少し書ける人なら、
中で何を考えてるのか、
書くことができるかも知れない。
何を大事にしていて、
どんな嘘をついて、
何を捨てても平気で、
何だけは守りたいか、
書くことができるかも知れない。

まずはそこまで内面を理解することだ。

理系文系論争とか男女論争とか、
ネットではよく見るような、
互いのことを分かってない(無知な)論争を、
書けるようになろう。

何故なら、作者だけが双方の内面を理解していて、
作中の人物は、リアルと同じように、
互いの内面を理解していないからだ。

まずそのことを書けるだろうか。
陽キャのことをほんとうには理解していない陰キャ、
陰キャのことをほんとうには理解していない陽キャ、
彼らの思い込みによる、
認識の食い違いのケンカ。

それは、作者が互いのことをよく知らないと書けないだろうね。


僕は陰キャだから、陽キャが苦手だ。
でも陽キャが悩まなかったり、
孤独を感じなかったり、
ストレスがたまらなかったり、
するわけはないよ。
陽キャも、陰キャが苦手だろう。
でも陰キャは、楽しいことが嫌いなわけではないし、
本当は我を忘れて騒いでみたいし、
おしゃれしてみたいんだよ。

そんな外面と内面のギャップを、
うまく書き分けられたら、
なかなかの腕前だ。


さらに上級者になると、
それらのキャラクターが、
そうじゃなくなる瞬間を書くことが出来るようになる。

陽キャだとはとても思えない発言、発想、行動、判断、
陰キャだとはとても思えない同。

それらは、ある文脈に出会ったときに現れる。
それは特別な文脈で、
普段のキャラクターが崩れてしまうぐらいに、
動揺していたり、理性が飛んでいたり、
そんなこと考えられなくなったり、
普段の自分じゃない自分が出てくる瞬間なんだ。

たとえば子供の頃に憧れた漫画家にあえるとなったら、
どんなおじさんおばさんも子供に戻ってしまうよね。
陽キャも陰キャも関係なくなるよね。
そんな感じ。

それって、そのキャラクターが、
陽キャ陰キャとは別に持っている、
大切な何かに触れるときにそうなると思う。

陽キャ陰キャは、あくまで外見の印象だ。
陽キャだって冷淡なところもあるし、
陰キャだって燃えるような情熱を持っている人もいる。

その大事な何かに触れるときに、
人は変わる。

その瞬間こそ、映画が扱う、人間のドラマの瞬間だ。
それを、事件から解決のストーリーラインの中や、
コンフリクトの中で、
描くのである。
posted by おおおかとしひこ at 22:28| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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