2017年10月07日

世界はやさしいのか、厳しいのか

世界はやさしい。それをベースにしたものを喜劇という。
世界はきびしい。それをベースにしたものを悲劇という。



性悪説と性善説、どちらが正しいかはわからない。
正義が正しいか、悪が正しいかはわからない。
楽観主義と悲観主義、どちらが正しいかはわからない。
悲劇と喜劇、どちらが正しいかはわからない。

しかし、作品の中で、それらは首尾一貫していなければならない。
それはあなたの主義や哲学と関係なくても構わない。
悲劇と喜劇を交代交代で書いてもいいし、
ハッピーエンドとバッドエンドを一個おきに書いてもいいし、
どちらかを片寄って書き続けてもいい。

そして、多くはその世界観が作者の人生観と一致すると誤解されるが、
ぶっちゃけ一致してないものも書けるべきだ。

なぜなら、私たちは他人を書くからである。
自分自身がどう思おうと、
他人の人生観や世界観と、なにも一致しなくてはいいではないか。

逆に、そこが分離できないから、
主人公と自分を同一視してしまい、
誤った書き方(メアリースー)をしてしまうのだ。


勿論、自分の信じる世界観を書く方が、
力強い作品になるし、
書いてて楽しいかもしれない。
しかしそれは同時に、他人を書けないという弱点になりかねない。


ストーリーというのは、異なる考え方のコンフリクトである。
悲劇の主人公と、喜劇の主人公のケンカのようなものだ。
性善説の人間と性悪説の人間との、争いだ。
楽観と悲観の戦いだ。

そういう風に考えないと、他人同士の考え方の相違は描けない。

どうしてそんなに考え方が違うんだろう。
生まれもっての性格か。
いや、そこにいたる経験で、
そうなってきたはずだ。

つまり、他人の人生観を考えることは、
他人の生い立ちを考えて想像することだ。


あなたの人生観と真逆の世界を描いてみよう。
やさしい世界と、厳しい世界の対立を描いてみよう。
あなたの人生観側が敗北して、そうでない世界が勝利する物語を書いてみよう。

それは習作でよい。
あなたの書く世界が、その後豊かになるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 13:12| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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