なんだか面白い記事を見つけたので貼っておく。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/13731364/
三幕構成というのは、
この記事における思考フレームと同じ考え方だ。
しかし逆に言うと、
三幕構成が万能な理論ではないということがわかる。
序論本論結論を書け、
って言ったって、肝心の話の中身がなければ、
白紙にしかならないからだ。
僕は、思考フレームなんかかなぐり捨てて、
滅茶苦茶でいいから、
泥臭くていいから、
何でもいいから最後まで書け、
ということにする。
話の中身がまず繋がってなければ、
そもそも話をしてはいけないと僕は思うのだ。
面白かろうが詰まらなかろうが、
矛盾があろうがなかろうが、
まず最後まで書くこと。
最後まで書けさえすれば、
それを一幕二幕三幕に切り分けたり、
要らないところを切ったり、
足りないところを足すことは可能だ。
なぜなら、
「そういう落ちにするならば、
これは必要であれは必要ない」
などと、客観的に分析できるからだ。
落ちも決まってなければ、
これはいるのかいらないのか分からない。
面白いか面白くないかも分からない。
(瞬間風速は測定出来ても、
最終的な落ちに必要かどうかもなんともいえない。
理想は、瞬間風速は最大で、
落ちにがっつり関係あることである)
一回できれば、
整理していくことはさほど難しくない。
最後まで書くこと自体が、僕は難しいと考える。
で、大抵の場合、
最後まで書かないと、
自分が結局やりたかったことなんてハッキリしないのだ。
ハッキリさせるために、最後まで書ければいいと僕は思う。
思考フレームは、慣れた人の説明でしかない。
分かってる人には分かるけど、
分からない人にはやっぱり分からないと思う。
あれのああいう感じのこと、
みたいな合意ができないからだ。
慣れてない人は、
やっぱり最後まで書く経験を積んでいくしか、
ないと思うんだよなあ。
ストーリー作りは泥臭い。
スマートに出来るストーリーなんてない。
あるとしたら、詰まらないパッチワークだけだ。
オリジナルを作るのは、泥臭くてみっともない努力が必要だ。
だって生命を生むんですもの。
生命は合理では作れない。
生命は泥の中から現れる。だから面白い。
2017年10月12日
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