2017年10月12日

人が一息に書けるのは2000字(仮説)

どの程度の思いが横たわっていると、
書こうというエネルギーが臨界値を迎えるのか。
人にもよるかも知れない。

僕の仮説を出してみる。
一息に思いを外に出せるのは、
2000字程度、というものだ。


このブログはたいてい一気書きをしていて、
大体30分から小一時間かかっていて、
大体2000字前後だ。

原稿用紙5枚分。
脚本フォーマットなら5分相当。
シーンにしたら2〜3シーンか。
(1シーンの長さはバラバラだけど、
平均を取れば1分半くらい)

ああ、なんとなくこんなもんだよね。
これくらいの内容なら頭のなかで想像しきれて、
一気に吐き出すことは出来そうだ。

逆に言うと、
ここまで吐き出したら、
次をすぐには書けないのである。


飯を挟むとか、全く別のことをするとか、
ネタ帳めくってなにかまた書きたいことを考えるか、
そうしない限りは、
次の2000字は出てこない、
(その日中にでるとも限らない)
というのが僕の経験に基づく仮説である。


エッセイというのは、
おおむね1600〜2000字らしい。
人が一息に理解するひと掴みの量、
というのはそれぐらいであるという僕の仮説の裏付けかも知れない。

石田衣良、有吉佐和子は、
1日4000字、10枚までしか書かないという。
午前中の部と午後の部に、それぞれ一息で書ける分を書く、
みたいな日々を考えれば、
毎日やるということを考えるのなら、
不可能ではない数字だ。
(西尾維新の1日2万字は異常すぎる)

タイピングの平均的なことも、
これを裏付けている。
タイピング一級は700字/10分だが、
これを30分ほどノンストップでやれば2100。
ノンストップで書くことはなかなかに難しいから、
休み休み書くとして、1時間かけるとしたら、
まあまあそういうことというわけ。


勿論その2000という数字は、
人によっては5000かも知れないし500かも知れない。
そこらへんはどうでもよくて、
僕が言いたいのは、
そのキャパ分吐き出したら、
次書くまでにはチャージ時間が必要だということ。

自分の中にそのチャージするだけの材料があれば、
また一時間後には吐き出しタイムに入れるかもしれないが、
そんなに毎日卵を産めるわけではない。

だから、ネタ帳やプロットをつくっておくのだ。


ネタ帳やプロットは、
詳しく作りすぎても概略過ぎてもいけない。
それは、
「あなたが次書くことがなくて頭が真っ白になったとき、
それを見ながら少し考えれば、
2000字程度書くことを捻り出せそうなもの」
として書いておくべきなのだ。

だから人によって、
ネタ帳やプロットの書き方は異なるのだ。
自分が出来るように書いておくからだ。

ネタ帳やプロットを作るのが下手なひとは、
どこまで綿密に書くべきかを、
おそらくわかっていない。
それは自分が使えるレベルで、
という、「自分に基準がある」ことを知らないのだ。

それってつまり、
「次何を書くべきか、まったくもって困ってしまい、
メモを見たらするするとアイデアが形になり、
一気に2000字書けた」
という経験を何度かしてこないと、
分からないことなのである。

自己言及のパラドクスのようであるが、
それは自分なりのものを開発していくしかない。


2000という数字はあくまで仮説である。
当たらずと言えど遠からずだとは思う。
posted by おおおかとしひこ at 16:36| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。