現実逃避に映画や漫画を見る。
それはよくあることだ。
じゃあさ、あなたの作品は、
現実逃避先にふさわしいほど出来がよいか?
ということなんだよな。
現実逃避というのは、
まるで別の世界に夢中になることだ。
いわばその瞬間だけは、
鑑賞者は全く別の世界に生きる。
たとえば月に行くようなもんだ。
外国に行くようなもんだ。
全く別の世界の、全く違う人の、
全く違う人間関係の世界に、
その人の意識はとんでゆく。
現実と全く違う世界もある。
現実と似たような世界だけど、
少し違った結果、全然違う世界に見えているものもある。
それはどっちでもいい。
結果的に、今あるこの現実と違っていればいい。
鑑賞者が不幸だから幸福な世界が見たいかというと、
必ずしもそうではない。
幸福ばかりだと、現実の不幸体験から嘘っぽいと思ってしまう。
大福の中の塩味は必要だ。
幸福だけの世界もないし、不幸だけの世界もない。
架空の世界は、「そこにある」ように、リアルに見えなければならない。
だから、映画の場合は、「この現実と少しだけ違うこと」
というのが世界のベースになっている。
ひとつだけちょっと違うが、あとは全部この世界と同じ、
というのが、世界がそこにあるリアリティーをもつ。
(ドラマ風魔では、そのテクニックを使っていて、
散々忍びたちが殺し合いをしてるのに、
「警察に相談したほうが良いのでしょうか」と、
ごく常識的な対応をする場面がある。
この世界と同じなのだと、実在感が湧いてくる)
漫画やファンタジーは逆に、
この世界と違えば違うほどいいという考え方かもしれない。
でもどこか似ていなければ、やはり世界の存在感はないかもね。
全く違う世界だとしても、
私たちの世界と同じ法則が働いていないと、
想像もしにくいからね。
(たとえば重力が逆に働く世界を描くとしても、
そこでは悲しいことがあれば泣く、というのは同じだとするとか。
重力が逆で悲しいことがあると笑う世界にするなら、
すべてをあべこべにしてしまい、
それでも感情は全部同じにするとかね。
そこの世界の人が笑うのは、仲間を失ったときだ、
みたいにすれば、全く別の世界なのに、そこで感情移入ができる。
ヒロインが主人公とデートするときに、悲しい顔になったら、
それは最高の印とかね)
いずれにせよ、
その世界は、今の現実を忘れてどっぷり浸かるだけの、
存在感があるだろうか?
魅力があるだろうか?
それを常に問うことだ。
設定がほとんど現実でも構わない。
その人がいて、その人間関係があるだけで、
そこは別世界だったりする。
魅力のあるキャラクターがいれば、
それだけでそこは別世界だ。
(恋する原理と同じ)
私たちは、フィクションの世界に現実逃避し続けてきた。
それを、もうひとつ増やすのである。
新作を作るということは、そういうことだ。
これは書いている途中ではなかなか気づかないことだ。
書く前の構想段階、
書き終えたあとのリライトや評価段階で、
ちゃんと練っていくといいだろう。
ストーリー自体は常に緊迫した、脇目もふらぬ最短ルートを通りながらも、
その世界自体は常に余裕のある、
想像力の羽ばたく余地のある背景であるのが、
理想だと僕は思う。
そういうものが、一番現実逃避しやすいよね。
2017年10月13日
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