2017年10月13日

現実逃避

現実逃避に映画や漫画を見る。
それはよくあることだ。

じゃあさ、あなたの作品は、
現実逃避先にふさわしいほど出来がよいか?
ということなんだよな。


現実逃避というのは、
まるで別の世界に夢中になることだ。

いわばその瞬間だけは、
鑑賞者は全く別の世界に生きる。
たとえば月に行くようなもんだ。
外国に行くようなもんだ。
全く別の世界の、全く違う人の、
全く違う人間関係の世界に、
その人の意識はとんでゆく。

現実と全く違う世界もある。
現実と似たような世界だけど、
少し違った結果、全然違う世界に見えているものもある。

それはどっちでもいい。
結果的に、今あるこの現実と違っていればいい。

鑑賞者が不幸だから幸福な世界が見たいかというと、
必ずしもそうではない。
幸福ばかりだと、現実の不幸体験から嘘っぽいと思ってしまう。
大福の中の塩味は必要だ。
幸福だけの世界もないし、不幸だけの世界もない。
架空の世界は、「そこにある」ように、リアルに見えなければならない。

だから、映画の場合は、「この現実と少しだけ違うこと」
というのが世界のベースになっている。
ひとつだけちょっと違うが、あとは全部この世界と同じ、
というのが、世界がそこにあるリアリティーをもつ。
(ドラマ風魔では、そのテクニックを使っていて、
散々忍びたちが殺し合いをしてるのに、
「警察に相談したほうが良いのでしょうか」と、
ごく常識的な対応をする場面がある。
この世界と同じなのだと、実在感が湧いてくる)

漫画やファンタジーは逆に、
この世界と違えば違うほどいいという考え方かもしれない。
でもどこか似ていなければ、やはり世界の存在感はないかもね。
全く違う世界だとしても、
私たちの世界と同じ法則が働いていないと、
想像もしにくいからね。
(たとえば重力が逆に働く世界を描くとしても、
そこでは悲しいことがあれば泣く、というのは同じだとするとか。
重力が逆で悲しいことがあると笑う世界にするなら、
すべてをあべこべにしてしまい、
それでも感情は全部同じにするとかね。
そこの世界の人が笑うのは、仲間を失ったときだ、
みたいにすれば、全く別の世界なのに、そこで感情移入ができる。
ヒロインが主人公とデートするときに、悲しい顔になったら、
それは最高の印とかね)


いずれにせよ、
その世界は、今の現実を忘れてどっぷり浸かるだけの、
存在感があるだろうか?
魅力があるだろうか?
それを常に問うことだ。

設定がほとんど現実でも構わない。
その人がいて、その人間関係があるだけで、
そこは別世界だったりする。
魅力のあるキャラクターがいれば、
それだけでそこは別世界だ。
(恋する原理と同じ)


私たちは、フィクションの世界に現実逃避し続けてきた。
それを、もうひとつ増やすのである。
新作を作るということは、そういうことだ。

これは書いている途中ではなかなか気づかないことだ。
書く前の構想段階、
書き終えたあとのリライトや評価段階で、
ちゃんと練っていくといいだろう。
ストーリー自体は常に緊迫した、脇目もふらぬ最短ルートを通りながらも、
その世界自体は常に余裕のある、
想像力の羽ばたく余地のある背景であるのが、
理想だと僕は思う。
そういうものが、一番現実逃避しやすいよね。
posted by おおおかとしひこ at 10:59| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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