2017年10月16日

アウトロー2

アウトローの結末は3つしかない。
1. ローになる
2. アウトローのまま死ぬ
3. 別のアウトローに変貌


1. ローになる

どんな非日常事態であっても、
それが日常状態、平和に戻るのが物語の結末である。
ということは、アウトローはローになる。
めちゃくちゃが秩序だった世界に再構築されて終わる。
あとは平穏で法の下くらしていく。

恋愛物語のゴールは結婚だ。
実際は結婚してからも色々あるんだけど、
恋愛というアウトローが法律上の婚姻になったことで、
ローに落ちるのだ。

アウトローの悪は滅びる。
秩序という平和が訪れる。
もうズルをしたりめちゃくちゃなことは出来ない。

あるいは、アウトローキャラクターは、
ロー側に転身する。
不良キャラが最後に先生になる話はとてもよくある。
「ズートピア」ではキツネは警官になったよね。
アイアンマンは破天荒なアウトローだったが、
シールドの一員になることで存在意義を得た。

つまり、アウトローはローに認められることで、
存在意義を獲得する。
これは、アイデンティティーの物語としても成立する。
何かを目指したチンピラは社会に認められて全うになる。
山猿の小次郎は、「風魔の小次郎」になる(ドラマ版)。


2. アウトローのまま死ぬ

悪役はローに成敗される。
改心することはない。だからスッキリする。

魅力あるアウトローは、そのまま死んでしまうことも多い。
スレッガーはそのまま死んだよね。
そういうキャラクターは、心に残る。
「俺たちに明日はない」のラストはどうだったか。
時代のローに息苦しさを覚えていた70年代は、
若者がアウトローになり、そのアウトローの理想のまま死ぬ、
という話が神格化された。
尾崎豊もその神格化の一人かもしれない。

アウトローはアウトローのまま死ぬか、
ローに認められてローになるかだ。
第三の選択肢もある。


3. 別のアウトローに変貌

悪者はよく南の島へ脱出する。
別の国でまた悪どいことをやるんだろう、
というラストはよくある。
このロー世界からいなくなったから、秩序が戻った、
なんてことはよくある。
追放というのもよくあるよね。

あるいは正義のアウトローは、
次の国へ旅立って終わる。
もう会えないかも知れないが、どこかで会おう、
みたいなラストはよくある。
この世界に平和が訪れたとしても、
どこか遠い国では別のアウトローがあるから、
そこでこそアウトローは生きるだろう。
行方不明エンドもこの変形だ。
「きっと生きてる、生きて今もどこかで闘っているのだ」
なんてのはよくあるラストだ。



煎じ詰めれば、アウトローの結末はこの3つだと考えられる。
物語とはアウトローであるとすれば、
ローに転身か、死ぬか、どこかに旅立つしか、
アウトローとローの相克の結末はない。
アウトローが悪でローが正義とも限らない。
必殺仕事人はアウトローで正義だからね。
ローはあくまで組織的秩序というだけのことだ。
保身という悪もある。

アウトローとは、社会と個人の関係を考えることかもしれない。
だからアイデンティティーの問題が存在するのだろう。

つまり、物語とは、最終的には、
個人と社会の関係の結末をつけることでもある、
と、アウトローの観点から言えることになる。
posted by おおおかとしひこ at 12:04| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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