実際のところ、
持っている小道具(持ち道具)にまで、
配慮して脚本を書くことは難しい。
しかし小道具は芝居の基礎である、
ということも知っておくといい。
小道具を考えるということは、
最もダメな芝居とは何かを考えることだ。
それは、
「棒立ちのまま台詞をただ言う」だ。
下手くそな演出を見ていると
(特にCMに多い)、
人物が立ち位置で立ったまま、
ただ台詞を言って次のカットに変わってしまうものがよくある。
これは最悪だ。
人物がそこで生きていない。
その人の時間をそこで過ごしていない。
写真の組み合わせのようであり、
それは作者の都合で動いている駒である。
最上の芝居とは、
その人が本当にそこで本気でそう思って、
言ったり行動したりするように見えるものだ。
棒立ち芝居は、自ら言うのと真逆で、
「誰か計画した人に、言わされている」
というものになりがちだ。
だから自然さもリアリティーも消えて行く。
これを避けるには、
「棒立ちするな」という指示は間違いだ。
ある程度自由が利くように、何かを持たせるとよい。
ファイルでも、スマホでも、ボールペンでも、
鞄でも、財布でも、アクセサリーでも、
手すさびになればなんでもよい。
昔はタバコはその基本だった。
「棒立ちする大根役者にはタバコを吸わせておけ」なんて格言が現場にあった。
その大根役者が芝居が出来なくても、
タバコの煙が自然な芝居をしてくれたものだ。
ということで、何かを持ってて不自然じゃない文脈を、
脚本側で作っておけばよい。
その逆は、「手荷物検査であらゆるものを奪われた手ぶら」だ。
そうなると不安だろう。
そんな不安をスクリーンの向こうに伝えてはいけない。
だから何かを持たせていると、自然な芝居になる。
逆に言えば、その人の不安を表現したいなら、
手ぶらにさせるといい。
どこに手を置くべきか、不安になるだろう。
(昔からスターの条件は、
手ぶらでも様になる役者である。
ポケットに手を入れずに、
手ぶらで立ち姿を決められる俳優はなかなかいない)
ということまで考えた上で、
脚本を書けていれば完璧だ。
伏線を張ったり回収したり、
焦点に緊迫させたり興味の矛先を変えたり、
台詞の端々に気を配りながら、
「そこにその人がリアルに自然にいるためには、
何かを持ってるといいぞ」ということまで、
脚本で気づいていなければならない。
特に指定がないときは監督の裁量でもあるけれど、
持ち道具に注意して映画を何本か見てみるとよいだろう。
棒立ち芝居を避けるために、
うまい役者/うまい監督/うまい脚本は、
小道具を上手に不自然でない範囲で使っているはずだ。
逆に下手な役者/下手な監督/下手な脚本は、
棒立ちで板付き(足に釘を打ったみたいに動かない)で、
ただ台詞を言うだけだったりする。
2017年10月17日
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