一本の作品を作り上げるには、
多くのアイデアが必要だ。
そしてそのアイデア自体には、
出来不出来がある。
出来不出来といっていいのか、
強い弱いといっていいのか、
とにかくアイデアにはバラツキがある。
ちょっといいかも、のレベルから、
ほほう、というレベルから、
いいぞ、というレベルから、
あっと驚く、というレベルから、
脱帽、というレベルから、
じわじわ効いてくるレベルから、
革命的なレベルから、
イマイチなレベルから、
目をつぶれるレベルから、
失敗だろというレベルまで。
これらは、実は人によって評価はバラバラだ。
つまり、アイデアという観点から見ると、
一本の話は、
バラバラのアイデアが並んでいて、
かつ、人によって評価がバラバラのものが、
順番に並んでいるわけだ。
それでも確率分布を平均すると収束していく
(大数の法則)ので、
マスにコミュニケーションする前提の、
ストーリーというものは、
一定の評価に落ち着いて行く。
(勿論時代が変われば評価軸は変わりうる)
だから、その大数から作品を見る目こそが重要だ。
さて本題。
そのバラバラなアイデアは、
ストーリーに重要なポイントほど、
素晴らしいアイデアであるべきという話。
つまり、クライマックスやテーマが確定する瞬間や、
結論としてのラストシーンが最上であるべきで、
第一ターニングポイントや第二ターニングポイントが、
その次であるべきで、
ミッドポイントがその次であるべきで、
オープニングや語りストは、その次であるべきで、
その他のシーンはそれより下のアイデアでよい、
ということである。
書き始めよう!と勢いづいている頃は、
オープニングとかモチーフとか世界観の導入とかの、
アイデアを思い付いている時だ。
いわゆるツカミの部分。
しかしながら、その素晴らしいアイデア以上を、
何個も出さないと、
そのストーリーはしりつぼみになるよ、ということ。
初心者ほど最初のアイデアに興奮して、
最後まで見通せていない。
だから挫折する。
(または、最初はよかったけど…になる。
尻上がりになることはない)
ベテランほどラストから考えて、
アイデアを調整していく。
「アイデアを練る」という行為は、
全てのストーリー上の重要ポイントに関してのアイデアが、
バランスよくなるまで、
あるものを却下したり、
あるもの以上を思いつくまで七転八倒することを言う。
(ここで妥協すると痛い思いをする)
また、アイデアには深さのようなものがある。
分かりやすくて取っつきはいいけれど、
そこの浅いものから、
パッとは分かりにくいが、
じっくり付き合うと実によく考えられていて、
噛めば噛むほど味わいの深くなるものまである。
最初の方は前者でつかみ、
最後の方は後者で進めていく。
ラストは心の奥底にどすんと来る後者でもよいし、
幕切れのスパッといく前者でもよい。
ドラマ風魔の場合、
ギャグセンスやトンデモドラマとしてつかんでおき、
徐々に深いものに巻き込まれていくように、
配置してある。
1:ギャグセンス
2:ギャグセンス+増えた
3:増えた人たちのそれぞれと基本ルール
4:増えた人たち2
5:兄弟の絆と痛み
6:痛みの広がり
7:ギャグセンス+何のために闘うのか
8:ミッドポイント、敵の分裂
9:責任の重さ+何のために闘うのか
10:人として
11:何のために闘うのか
12:全ての集束
13:最終テーマの確定
こういう仕組みで、徐々にアイデアたちに、
絡め取られていく仕組みを計算しているわけだ。
これは、各話の具体的脚本を書く前の、
シリーズ構成という一段階上の層の仕事だ。
映画一本でいうと全体構成みたいな段階。
これで大体揃ったな、
と思った時点で、
そのアイデアの下部構造を作っていく感じ。
具体的に言うと、そのアイデアから次のアイデアまでの、
繋ぎを作っていくイメージだ。
アイデアにはバラツキがある。
それは植物の葉がバラバラに生えていくようなもの。
それをどう整えるかが、
剪定者の腕の見せ所。
2017年10月19日
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