ほぼ日の糸井さんの言葉は、わりとほぼ毎日見てたりする。
今日のは感動した。
引用する。
親父ばかりの会議に芦田愛菜が入ってくるのがアイディア。
芦田愛菜は単なる無垢な子供の象徴なのか、
人生二周目とも言われる落ち着いた地平からの子供目線のことなのか、
全体からは推測できない。
僕は後者だと思うけど。
こじれた都合は、
それを全部飲んで、フィルターみたいに濾して、
出てきた抽出液を見て、
子供みたいに扱うのが一番いい。
つまり、
こじれた都合が多いほど、
それを濾すフィルターの性能が必要だ。
プロの仕事というものは、
フィルターがすぐボロボロになるくらい、
滅茶苦茶なものばかりだ。
汚水を飲める水にする浄水技術のようなものだ。
だから頭を大変使うし、
疲れてぐったりする。
汚物疲れだな。
肝臓とか腎臓の気持ちだ。
休みを取っても、こびりついた汚物はなかなか取れない。
しかも汚物は、日を追うごとに増えていく。
昨日までの都合に、
新しい都合が付加されて、
最初の注文とは全く違うものを作らされるはめになる。
せっかくコツコツ積み上げたパズルが、
寨の河原の石のように台無しにされるはめになる。
それでも芦田愛菜のようでいなくてはならない。
子供の目線でフラットに見れること。
それは面白いの?面白くないの?
それはシンプルなの?複雑なの?
それは素敵なの?素敵じゃないの?
それは価値があるの?価値がないの?
それに応えるためには、積み上げたパズルを壊す勇気をもち、
また積み上げる勇気を持たなければならない。
僕はアイデアは先頭であるべきだと考えている。
全ては素晴らしいアイデアから生えた手足のように、
全てが神の設計のように緻密に作られるべきだと。
現実には、アイデアはしんがりだったりする。
もはや滅茶苦茶な状況を、アイデア一発で逆転してくれと。
そうして私たちは、
まるでアイデアが先頭であったかのように、
しんがりから全てを作り直す。
しんがりから先頭にいきたいものだ。
2017年10月20日
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